2016年10月10日

熊楠を思ふ旅

本宮に大竹哲夫さんという人が住んでいる。知の巨人である南方熊楠に魅せられて想いが募って熊野に移住し、自己表現を生業にしながら熊楠のメッセージを今に伝えている。

100年も前に、「自然生態系のエコロジー」は「社会システムもエコロジー」として共存させることで人間の「精神のエコロジー」も豊かに保てると言い、風景と空気は地域経済に豊かさをもたらすとも言った熊楠。これをとても判りやすく現代語訳して情報発信しているのが大竹さんだ。

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大竹哲夫さん

9月に盟友の水野雅弘さんの紹介で大竹さんの講義を聞いて判りやすい話に共感。水野さんとは、動画をダウンロードしながら楽しめる、熊楠の縁の土地を訪ねるARマップを作ろうと動き始めたところだったのだが、なんと大竹さん、熊楠が熊野をガイドする本の原稿を書き上げようとしているとのこと!添える写真はあるのか聞いたら、これからだとのことだったので是非ご一緒したいとお願いした。

そして、この3連休を活用して第1回目の撮影と相成った。

4時半起きで、羽田空港7時25分発に乗って南紀白浜。予報は雨と曇り。雨の中を駐車場に移動し大竹さんの車に乗り込んで、最初の撮影ポイントである白良浜から眺める熊野三所神社に着く頃には雨が上がり車を降りたら強い陽射し。

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熊野三社神社

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昭和天皇の御座船

ここには熊楠が昭和天皇にご進講をした時の御座船が安置されていたり、斉明天皇の腰掛け岩がご神体だったり開始早々ボルテージが上がる。熊楠の活動の起点ともなった神楽神社日吉神社。突然の通り雨に参道が輝き写欲がそそられる。日本のナショナルトラスト運動の発祥の地となった天神崎では熊楠の愛娘の文枝さんがこんなエピソードを言い残している。「今のうちになんとか県庁に働きかけ、天神崎海岸を保護地区に指定しなければ必ずゆくゆくは別荘用地として不動産業者に買収されることは当然起こり得ることと憂いて地元の人たちにもよびかけましたが、また南方先生の十八番が始まったと一笑に付されました。」(「父 南方熊楠を語る」日本エディタースクール出版部)熊楠の先見性が垣間見えると同時に、そんなことを家族を通して伝え聞くのは素敵だなと幸せな気持ちになる。それにしても大竹さん、その地のいかなる熊楠エピソードでも頭の中の引出しに入っているようだ。

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天神崎にて

多くのシイで鬱蒼とする神林が残る伊作田稲荷神社は、京都の伏見稲荷よりも歴史がありご神体を見ようとした者には天罰が下ったという逸話があり、怪しい顔つきで鎮座する狐の視線にドキッとするような雰囲気が漂う。赤いのぼり旗がはためく熊楠が守った神林がある西八王子宮や白いのぼり旗が迫力の八立稲神社。今年もこうして地域の人たちが集まって気持ちの良い笑顔で祭りの準備をしている。神社合祀で廃社された出立王子にものぼり旗が立ち提灯が並び地域の人の信仰心に心打たれる。今の日本で一番大切な自分の住まう地域の記憶を残すこと。この地域にこうして祭りが残ったのも、神社合祀の名の元に行われた国政の戦争借金の返済目的と、自治体の私利私欲にまみれた政策方針への抵抗勢力となった、熊楠を始めとする地域の有識者たちの先見性と胆力。

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西八王子宮

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八立稲神社

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伊作田稲荷神社

今は高山寺で、主治医だった喜多幅武三郎や、牟婁新報社主の毛利柴庵たちの墓に囲まれるように熊楠の墓もあり、この世から離れても仲良く連れ添っている素敵な面々なのである。なんて羨ましい人生なんだろうと思いながら墓石に向き合った。ところで、年中山野を駆け巡った熊楠さん、広葉樹林にはとんでもない数のヤブ蚊が群生していて視界が塞がるのではと思うほど一斉に飛びかかってくるのを、どうやって避けて小さな小さな命を静かに観察できたのか教えてくださいと聞いてみたが、愚問じゃと一蹴されたのか風も吹かず反応はなかった。

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高山寺

日没は、当時は皇太子だった昭和天皇に無位無冠の熊楠がご進講を行った神島を、対岸の鳥の巣から眺めるという念願を叶えて終えた。熊楠によって今に生態系を残し、天然記念物に指定され立ち入りが制限されているため上陸は希望として胸に。島にはご進講のあとに建てられた碑に熊楠の歌が刻まれている。「一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでまし森ぞ」

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神島

日没後、1時間に38mmという突然の豪雨の中を移動し、車から降りたら傘はいらずで、水野雅弘さんと合流し3人で田辺の味光路へ。水野さんが提案する「ジャパニーズ・エコロジー」を熱く語り合う時間。100年も前に、この地を中心にした南紀の自然資源を資本と考え、地域が自立した経済で生き抜くことを示唆し続けた熊楠。大竹さんや水野さんがそれをカタチにすることを、応援する役割を担いたいと気持ちが入った時間でもあった。

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ジャパニーズ・エコロジーを語る夜

2日目の朝、目が覚めたら大竹さんが「やはり神島が見えますよ」と笑顔で窓を指さした。高いフロアにある部屋に投宿していたので、天気予報通り雨が降っていれば昭和天皇の気持ちになって写真が撮れると考えていたが、これも見事に叶った。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国が生みし南方熊楠を思ふ」
この歌は、33年前に出会った熊楠へのお返しとなるような歌を昭和37年に昭和天皇が詠んだもの。天皇が個人の名前を歌に託したのは唯一と言われている。大竹さんのウェブサイトでは時空を越えた二人のコミュニケーションと伝えている。

雨の中を内陸に向い上富田町の八上神社へ。ここは中辺路にある王子。合祀で廃社されてしまったが地元の人たちの熱意で7年後に復社。鬱蒼とするスダシイの森に樹齢500年の杉が鳥居の横に立ち境内には西行の歌碑。熊楠はこの歌を手本に神島の石碑に刻まれた歌を書いたと言われている。続いて向かった須佐神社。やはり熊楠が大切にした場所で、こんもりした神林の中に佇む。

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須佐神社

次は海に向かい、熊野権現が本宮に落ち着く前に鎮座しようとしたが波の音が聞こえるために、1日で去ったという伝説に従って明治29年に建てられた熊野神社へ。参道には桜が植えられ大正時代には桜の名所となり近隣から多数の人が訪れたと言われているが、戦後の食糧不足で伐採され再び桜の宮へと地元の人が植樹して守っているが、雨に濡れる今日では当時の賑わいは想像しにくい。近くには、合祀されたものの住民が交渉して復社した金比羅神社。江戸時代に作られた味わい深い狛犬が雨の中を静かに鎮座していた。

国道42号を一気にすさみ町に駆け抜け、周参見湾に浮かぶ稲積島に到着。ここも熊楠が保全に協力した場所で今は暖地性植物群落として国の天然記念物に指定されている。この日はたまたま周参見王子神社の秋祭りで下地地区の神輿が稲積島に向けて御仮屋に置かれていた。14時から再開するらしいとの事でお昼を食べながらしばし待っていると、時間を過ぎたあたりから集まり始め最後の集団に千鳥足の神主さん。ボチボチと神事が始まったが動くたびにフラフラして氏子さん達は大笑い。写真を撮っている人に話しかけたら、毎年この調子でみんなこれも楽しみにしているとのこと。祝詞も時々声になるが何を言っているのか言っていないのか。お祓いも左右に動くたびにフラフラし氏子さん達は大爆笑。何ともほのぼのとしたお祭りで笑い過ぎて涙を流しながら撮影。大竹さん曰く「氏子さん達が楽しそうにしていることが神様の楽しみでもあるのだと思う。」熊楠もこういった地域の人との交流を楽しんでいたのだろうな。

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稲積島をバックに周参見王子神社の祭

とても清々しい気持ちで古座川へ。ここでは南紀熊野ジオパークガイドでエキスパートの神保圭志さんが待っていてくれた。古座川は祓い川とも呼ばれ、熊野特有の自然を神とした社のない古代神社というか無社殿が多い。まず訪れたのは島がご神体の河内神社。心を込めて島を撮る。ここで車を止めて少し歩くと、少女伝説の少女峰の少し上流で、弘法大師伝説のある田んぼを抜けたあたりに月の瀬という開けた場所がある。ここは古座川に月影が映る絶景を楽しんだ場所。その対岸にあるのが無社殿の祓の宮。大竹さんのお気に入りの場所で、グッとくる神聖なる場所。語り継がれる歴史。昔から人々に敬われ大切されてきた場所は、とても小さな土地でひなびた場所だが地力を異様に感じる。それにしても少し歩くたびに逸話のある場所が点在している恐るべし古座川

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祓の宮

明治政府によって強行された神社合祀は、一町村に一社という基準に従い全国で20万社から7万社まで激減。三重県では90%の神社が合祀され、次いで和歌山県だったと言われ多くの地域の記憶が消滅した。この古座川流域では粘り強く抵抗した歴史があるという。熊楠がこの地を訪ねたのは合祀が始まる前だったようだが、地域の人々との交流があって熊楠の精神が活かされていたらと勝手な想像を楽む。

歴史から植生まで縦横無尽に語る神保さん。神保さんのポートレイトを撮って再会をお約束し、急ぎ車に戻り大急ぎで一枚岩に向かう。日没ギリギリに到着し赤く染まる空を写す圧倒的な大きさの一枚岩を無事撮影。どんどん演技する空に従って表情を変える一枚岩。撮影の醍醐味を味わって印象深い一日を終えた。

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神保圭志さん

古座川沿いの旅館でグッスリ休み快晴の朝。回船業で栄えた名残を、街並みや石垣に感じつつ歩く。鳥居も社殿もない貴重な無社殿の神戸神社や、明治時代の青年会「互盟社」の建物などが点在。快晴で透明度が高い空気。多数の訪問先があるため先を急ぎつつ漁師町の印象も撮影しながら那智勝浦へ。

到着したのは補陀落山寺。隣にはかなり古い社殿の熊野三所大神社が大樹の深い影の中に神々しく朝日を浴びて佇む。この神社、那智の浜のすぐ近くにあり、熊野詣が盛んだった頃は浜の宮王子と呼ばれ、潮垢離を行って身を清めて那智の滝に向かったという。大竹さんのガイドでは、熊野は神仏習合の聖地であり神道や仏教や修験道が混然一体となっていた。明治の神仏分離や廃仏毀釈により神道化が進んだが、ここでは昔の神仏混合の名残が見れる場所。ここ補陀落山寺は補陀落渡海の地で、那智の浜から渡海船で捨身行の補陀落渡海した上人は、平安時代から江戸時代にかけて25人。補陀落渡海とは、30日分の食糧を積んで舟に乗り生きながらにして水葬されるような業。今は寺の裏に墓碑が静かに並ぶ。

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補陀落渡海の渡海船

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那智の浜

次は那智の滝に向かう。滝そのものが神であり仏であるため飛瀧権現といわれる。権現とは仏が神の姿で現れるということだと大竹さん。途中2011年の水害で被災した爪痕が残る道を走り熊野古道の名所の一つである大坂門はパス。ご神体である滝を凝視すると流れが逆転して龍が岩を昇るようにも見えて来た。

この滝の水源でもある那智の山中。熊楠はここで粘菌の研究に没頭していたが、この時期こそが熊楠にとって重要だった。孤独な生活で極限状態にあり、死も意識するほど精神は研ぎ澄まされ体外離脱なども体験して、森羅万象に想いを馳せエコロジーの思想を極めていったのだった。それには、ロンドン時代に出会いその後も友情を育んだ、真言僧の土宜法竜(どきほうりゅう)との便りの往来が重要な役割を果たしていたと言われている。

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那智の滝

さて、さらに山を分け入り弘法大師が開いたと言われる妙法山阿弥陀寺に向かう。弘法大師堂に心を奪われたが、ここは誰もいないのに鐘が鳴る死者の霊魂が詣でる地であり、日本最初の焼身往生の地でもあり、熊野古道最大の難所の「死出の山路」の入り口で死者の霊に会えるとも言われ、女人禁制の高野の代わりに多くの女性が訪れた女人高野でもある。

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妙法山阿弥陀寺の大師堂

霊魂が彷徨う山から補陀落の海まで、熊楠も超感覚的知覚現象を体験し、那智は海の果てに向いた聖地としての地力を強く感じる。

様々な情報と地力を受けてヘトヘトとなりながら新宮に向う。

神倉神社の石段は、源頼朝が寄進したと言われる貴重な鎌倉時代からの作り付けのままであまりに急な傾斜に足がすくみ、ご神体のゴトビキ岩は地元でヒキガエルの意味。次に訪ねた渡御前社は、神武天皇の仮の宮だった場所だと言われ、それを石垣に見出そうと撮影。いずれも熊野速玉大社に関わりのある社とされ、熊野の信仰、歴史がしっかりと土地に根を下ろしていることをしみじみと感じる。さて、今回最後の訪問地である熊野速玉大社。鮮やかな朱色に柔らかな気持ちになりしっかりと撮影をし終えた。

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神倉神社の石段

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渡御前社

熊楠をガイドに熊野を旅する。そもそも地力があり様々な歴史が刻まれる熊野。そこで森羅万象に想いを馳せ日本本来のエコロジーの思想を極めていった熊楠。あまりの情報量に圧倒された3日間。熊楠に魅せられこの地に移り住んでネットを駆使して「み熊野ネット」「熊楠のキャラメル箱」Twitter「南方熊楠」などで情報を発信する大竹哲夫さん。そして熊野の地に憧れ移り住み映像メディアを駆使して発信する水野雅弘さん。いずれもが熊楠の後継者となって、この地から「自然生態系のエコロジー」「社会共生のエコロジー」「精神を支えるエコロジー」この3つのエコロジーをJapanese Ecologyとしてすでに発信しているように感じる。

あらゆる場所で様々な事があり遅れ遅れになるのが常の僕の撮影だが、大竹哲夫さんが立てた撮影計画をなんと無事終了。新宮駅からの特急南紀に間にあった。これはきっと、めまぐるしく変化する天候に素直に従いつつ執拗に粘る僕を、にこやかに見守ってくれた大竹さんとの相性の良さのなせる技かなと感じる。大竹さんから車中でと駅前の除福寿司を差し入れてもらい出発。ふと駅舎を見ると手を振る大竹さん。発車までしばらく時間があったのに待っていてくれた事に感激して大きく手を振って再会を約束。

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新宮駅にて

※全ての訪問先の史跡や場所のテキストリンクは大竹哲夫さんの「み熊野ネット」です。より詳しく知りたい方は是非クリックしてみてください。

次回は11月。「熊楠を思ふ」旅を続けます。


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2016年10月05日

今こそ「流域思考」!

この言葉、岸由二慶應大学名誉教授のイキザマそのものだと感じます。

ネーミング、キーワード、その概念や考え方を表現する言葉は多様だと思います。その人の経験によって、多面体の概念をどこから見るかによってアプローチが違うと思います。

岸先生は、自分の幼少の頃からの体験をベースに、研究室の中で時間を積み重ねるだけでなく、現場で自ら土に水に植物に昆虫に動物に混じり合いながら会得した思想を明快な言葉にして発することをされてきたのだと、僕は未熟ながらお話を聞きかじりながら感じてきました。お話を聞けば聞くほどに、自分の行動から生み出された言葉を大切にし、魂を注ぎ、イキザマを晒している純粋な人なんだと感じてもいます。

そんな「流域思考」という概念、いよいよ理解が広がり始めたのではと実感しています。

頻発する水害による河川堤防の決壊や避難指示の遅れなど、災害大国にありながら対処療法の問題点を指摘する報道ばかりが去年の秋頃には目についていましたが、ようやく「流域」という言葉がニュース番組でも使われるようになり、自治体の区分ではなく流域全体を俯瞰した課題の取り上げ方が見受けられるようになっています。

しかし、最近気になったのが、流木が海に流れ出し養殖施設を破壊している事実や、流木によって橋桁が崩壊した事実など、簡単に目に見えることを捉え、流木が悪者になる伝え方をしています。この流木、以前は伐採した木、つまり根がない流木が悪さをした事もあったのかも知れません。それは山で伐採した木を放置してしまった結果だと思うのですが、現在の流木は根があるものが多いと聞きます。根こそぎ流されてきている状態。つまり山の手入れが追いついていない実態が晒されている。日本の山の課題が浮き彫りになっていることを伝えて、根本原因である林業を応援する報道が欲しいと感じます。少し余談になりますが、伐採をした木が悪さをしないような森林施業管理を促すのが、国際森林認証FSCの役割でもあります。

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三重県紀北町海山

さて、岸先生が提唱する「流域思考」。この言葉を聞く機会が増えた事は喜ばしいのですが、気になる記述も増えてきました。そして「流域思想」や「流域環境思考」という誤用とも取られかねない言葉。

今一度、岸先生の言霊に耳を傾ける時が来ているように感じますので、思い立って書き記しました!

2012年の2月に、お声がけいただき初めてお会いして感銘を受け、2013年から2014年にかけて、岸先生と何度か行った「ESDと生物多様性」のワークショップや、僭越ながら僕がファシリテーターを務め、流域を語る錚々たるメンバーが集まり2014年2月に開催された東北大学の生態適応シンポジウム「東北のグリーン復興は流域から考える」でお話いただいた事を、頼りない記憶から思い出してみると、

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「地球生命圏は、Icy Land + Sandy Land , Rainy Landで構成され、人間が社会を構築するのは雨降る大地であり、雨降る大地は流域の入れ子構造でできている。生命圏の秩序に即し、生物多様性の保全回復・実践・教育は、水循環が大地を区切る「流域」を単位にすすめる。これが「流域思考」の生物多様性戦略である。(流域=雨や雪の水が水系に集まる大地の領域)

医学では19世紀に細胞病理学(病気は細胞の質的量的変化によって生じる)という現在の常識が確立するまで、体液病理学(人間は血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁の体液のバランスによって病気引き起こされる)が信じられていた。人間は大地に対して同じような過ちを犯しているとしか考えられない。雨降る大地は流域の入れ子構造であり、行政区分(人間の都合で線引きした管理区分)ではなく、自然の境界線によって管理しなければ、適切な予防(防災対策)ができず、適切な治療(災害処理)が出来ず、学習効果は得られず大地管理のスキル向上はない。

「流域思考」で大地を保全管理すれば、生物多様性の保全、資源管理、防災、津波、洪水土砂災害のいずれもに対応できるが、最大のネックは行政区を越える管理方法であるということ。」

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ヨコハマbデイ2012にて

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そして、昨年2015年9月の鬼怒川流域災害の際、数日に渡ってFacebookで皆さんに投げかけて多くの反響をいただいた文章も備忘録として以下に記します。

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「今日のNHKスペシャルを見て思う。」2015年9月12日

最初に流域災害という言葉は耳にしたが、最終的には広域対策という言葉しか出て来ない。根本対策の議論に至らない内容は極めて物足りないと素人にも判る。しかも番組の結論として、災害の専門家ですら「情報を活用できる社会を目指す」という。

避難指示を出した自治体の責任者は、国交省の浸水シミュレーションを見て色が付いていない川を渡った西側への避難指示を出したと言っている。溢れる川への想像力もないのも、大川小学校の教訓もないのも残念だが、隣接自治体への広域避難も出来ないと教科書通りのセリフを聞いて本質が見えたわけだが、それを指摘する事もないNHKの番組の構成の問題というよりも、自然の地図を俯瞰するという基本が、誰の頭からもすっぽりと抜け落ちているとしか言いようがない。

今こそ、慶應大学の岸由二名誉教授の「流域思考」による減災防災対策の水源域からの河川管理計画、流域圏の自治体で広域連携する避難対策を立て、それに伴う情報基盤を構築をする、これを広域だの県レベルだの国レベルだのという抽象的な言葉で結ぶのではなく、「流域思考」を最も理解している国交省が作成する事が急務だと言いたい。

そして同時に、義務教育の中で「流域思考」を取り入れて、どんな職業についても、常に自然の地図で物事を発想できる日本人をひとりでも多く育んでもらいたいと切に思う。これはESDの基礎でもあると思っている。
そうしなければ、これからこのような気候変動の影響を受けた異常気象による流域災害は続発するはずで、これがまさに気候変動、温暖化対策の「適応策」に他ならない。どうしてここまで番組で語れないのか。いま、防災減災を世間に向けて語る方々には岸由二先生の著作を読んでいただきたいと、焦りとも嘆きとも思える感情でこの文章を書きました。

誰かを攻撃したいわけではありません。1人でも多くの命を守るために、1人でも自責の念にかられる人を減らすために、多くの人に発信できる人たちと必要な事を始めなければならないという気持ちだけです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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「慶應大学岸由二名誉教授が提唱する『流域思考』とは!」2015年9月14日

地球の陸地は、氷の大地、砂の大地、雨降る大地で構成され、人間の経済活動は雨降る大地で営まれている。この雨降る大地は水の流れによって、毛細血管と細胞のように構成されている。という基本から発する考え方で、地球に生きるための人間の基本そのもののお話と、僕は受け止めています。

これをベースに社会を考えるというのは自然な発想であり、いまこの根本が完全に抜け落ちている対処療法によって、公共事業や防災計画が立てられているのではないかと懸念しています。時代をシフトする、持続可能な社会づくり、、、いろんな言葉で多くの人が未来をより良くしたいと行動しています。そんな活動の全ての基本に、この「流域思考」が必要だと思っています。

「行政区分図」で見ていた社会づくりを、流域圏による「自然の地図」で俯瞰することで、社会インフラの根本を見直す事になり、持続可能な社会にシフトするヒントが満載だと思っています。改めて1人でも多くの人と、この「流域思考」を共有できたら幸いです。

サイト検索するといろんなページがありますので、ぜひお時間のある時に検索してみてください。まずはこのThink the Earth Paperを読んでもらえたら良いのではと思い共有しますね!
Think the Earth Paper「流域思考」 

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「これが『流域思考』だ!」2015年9月15日

1人でも多くの人に読んでいただきたい。

慶應大学岸由二名誉教授が、今回の鬼怒川の水害を捉えて、「流域思考」を非常に丁寧に話しています。NHKスペシャルで浮き彫りになった自治体の避難誘導の課題、学校教育の現状、これまでの水害にも触れ、気候変動、生物多様性の危機に対する「適応策」、今後の具体的な対策までコメントしています。そして入門編に「流域地図の作り方」の著作紹介も。カユい所に手が届く内容です。

先日来、僕がつたない文章で書いた「流域思考」が、いよいよ岸先生ご本人と日経BPの柳瀬さんとの会話で解き明かされています。是非読んでください。とても早いタイミングでの記事化、柳瀬さん、流石です。素晴らしいです。ありがとうございます!
鬼怒川の水害、再発を避けるには「流域思考」が必要

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さあ、今こそ岸先生の話す「流域思考」に耳を傾けよう!

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ヨコハマbデイ2012にて

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2016年09月19日

熊楠を思ふ。

来年、南方熊楠生誕150年の節目を迎える。

それを機に「ジャパニーズ・エコロジー」を考え発信したい。知の巨人の全てには迫れないけど、エコロジスト、アクティビスト熊楠の一面だけでも、日本の知恵が地球の持続可能な営みを続ける知恵であることを伝えたい。

自然共生社会の「コミュニケーション・デザイン」「教育ツール&プログラム開発」「普及啓発事業」をミッションとするプロボノ集団である、一般社団法人CEPAジャパンの主要活動の一つを推進するため、盟友の水野雅弘さんが考え至ったコンセプトを実現するために、理事有志による「南方熊楠探検隊」が揃って南紀入り。

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自称「ダブルまさひろ」水野雅弘さんと田辺湾で

南紀の海を見下ろす水野さんのオフィスでのディスカッションで、「警鐘」を鳴らした熊楠という水野さんの言葉から、「警鐘」が「継承」でもあるなと漢字変換してみたら、「形象」が出て来た。これは見えないものがカタチになって現れるという意味であり、まさに熊楠が考えていた「ロゴス」を越えた「レンマ」を意味し、「景勝」は風景であり、熊楠は天然風景は「わが国の曼荼羅」と言った。この4つの「KEY-SHOW(けいしょう)」=「警鐘」「継承」「形象」「景勝」を考えていきたいと整理をしてみた。水野さんとのディスカッションはいつも相性良くテンポ良くアイデアを重ねていく刺激がある。

その後、「み熊野ネット」を運営する熊楠の研究者でもある大竹哲夫さんの講義のあとのディスカッションで、神社合祀の反対運動で柳田邦男に記した「南方二書」で熊楠が挙げた8つのポイントもこの4つの「けいしょう」に収斂されることが創造できた。この8つのポイントは今年の南方熊楠賞を受賞された中沢新一さんの「熊楠の星の時間」でも記述されているが、

1、神社合祀は敬神の念を薄くする
2、神社合祀は民の融和を妨げる
3、神社合祀は地方を衰退させる
4、神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する
5、神社合祀は郷土愛、愛国心を損なう
6、神社合祀は土地の治安と利益に大きな害がある
7、神社合祀は史蹟と古伝を滅却する
8、神社合祀は天然風景と天然記念物を滅亡する
の8つので、これを伝えようとした熊楠の気持ちを踏まえた4つの「けいしょう」。

この神社合祀の反対運動で熊楠が掲げた「エコロギー」という言葉。熊楠は100年も前の明治の世で、「3つのエコロジー」つまり生態系のバランスが守られた「自然のエコロジー」の維持のため、人間社会のバランスである「社会のエコロジー」に目を向け、それが「精神のエコロジー」の健全を守るという連鎖を見ていたという記述も「熊楠の星の時間」にある。

さらに、「風景を利用して地域の経済の繁栄が得られる工夫をせよ」と言い、「風景と空気が金儲けになる」と、地域にある自然や文化的資産が観光産業の資源になると考え、持続可能な風景を維持した地域を未来に託そうとしたのではないかと、大竹哲夫さんの講義の中から知った。

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大竹哲夫さんとのディスカッション

そんなビンビンと精神に響く話の後に打合せのために訪ねた南方熊楠顕彰館。敷地内には熊楠の住んだ家がある。建物を見た瞬間に、魂が呼ばれるように本能のままに建物に近づき一気に童心に還って撮影に没頭してしまった。顕彰館の皆さんも閉館時間が近いから先に見学をどうぞと笑顔。「おお」と声を上げながら、熊楠がここに確かにいたという光と風を感じながら一人興奮のままにシャッターを切った。

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熊楠の書斎

その後の会議で、150周年事業の構想アイデアを聞かせていただき、自分たちが何がしたいのかの想いを伝え、今後も意見交換と恊働の可能性を得た。自分たちのスキルとアイデアを最大限に提供させていただきたいと考えている。熊楠が100年前に、景色と空気が金儲けになると言った事の本質を学び、コミュニケーションデザインしたい。いろんな方と形にできたらと思う。

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南方熊楠顕彰館での打合せ

2月に熊楠を思って水野さんと一緒に中辺路を巡ってから半年。熊楠関係の本を読んで妄想はしていたがいよいよ始動。

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大竹哲夫さんと本宮で

水野さんと構想している事の第一歩として、大変に幸運で光栄な事に大竹哲夫さんが構想している「熊楠本」出版に向けて写真家として恊働させていただく事になった。大竹さんが本の中でガイドを考えている33カ所全ての撮影。そのために年内に3回撮影の予定を立てている。メール等でやり取りをしているが、その都度、興奮のボルテージが上がっていっている。CEPAジャパンの活動で、写真家として機能できるのは今の自分には一番幸せなことかも知れません。

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継桜王子

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熊楠を思ふ。


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2016年08月03日

都会で観るセミの神秘

東京のど真ん中にある日比谷公園。日没と同時に主役が入れ替わります。

今日は、僕が代表を務めている「一般社団法人CEPAジャパン」が応援している、夏の恒例イベント「セミの羽化観察会」(主催:NACOT 自然観察指導員東京連絡会)が開催され、自然の神秘の時間があっけらかんと展開されている知られざる日常を覗いてみました。

明るい時間は、割れんばかりのセミ時雨の中、目に見えるのは集まった70人ほどの家族連れと40名の自然観察指導員の人、人、人が主役。NACOTメンバーの、スムーズな説明から子ども向けのクイズで上手く話に参加者を引き込んでいき、そこで注意事項。特に、観察に夢中になって足元に他の幼虫が出て来て歩いていたら、せっかく何年も土の中で成長してようやく地上に出てきたのに、、、という事にならないようにと、大切な気配りを教えてくれます。

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日が暮れてセミの鳴き声も収まり始めると、子どもの歓声の先には木に登るセミの幼虫のけなげな姿。暗くなった周辺を見渡すと、懐中電灯がチラチラと動き黒い人影が囲む先に光に浮かぶ羽化を始めたセミの幼虫達。

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気がつけば、そこかしこでアブラゼミ、ミンミンゼミと思しき幼虫達が次々と木々の葉に辿り着いていて、主役が人間から昆虫達に移行していきます。

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ググッと白い体が背中を破ったり、体を反らせて体を殻から抜き出したりすると人間の歓声が上がります。この頃になると、子どもだけでなく大人の声も大きくなってきています。どちらかというと、大人にスイッチが入ってきています。それもお父さんよりお母さんの方が熱くなっている感じ。なんて自然で素朴な時間。セミの神秘な時間の感動もさることながら、そんな人々に感動します。

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というのも、よくよく見ると、スマホを片手にうつむいて歩く大人達が大勢。周辺ではリアルな営みが展開しているのに、バーチャルな世界に入り込む人も居るという何ともカオスな光景です。「ポケモンGO」もいわば虫取り感覚で僕も楽しんでいますが、さすがに自然の神秘を前にするとその魅力は段違いで霞んでしまいます。

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あっと言う間に2時間が経ち解散。居残って観察を続ける家族が多数。素敵な夏休みのひととき。少年に還る大好きな時間です。

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2016年07月03日

昆虫王国2016

今年も「昆虫王国」へ。

例年、外灯に飛来して交通事故に遭ってしまうカブトムシを救済と称して連れ帰っていますが、今年はその次世代たちが例年より早く羽化。しかも数が多くてみんな大型だったため早々に故郷に帰してあげたくて、例年より2週間も早いタイミングで行ってみました。

夕方に到着し、相変わらずの穏やかで涼やかな夕暮れを過ごし、日が暮れて少しずつ人や車の数も減っていくと、小動物と昆虫達の時間がやってきます。僕はまるで闖入者。人間以外の生き物の時間に入り込んだ感覚になっていきます。

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例年通り、家から連れて来たカブト(ちょうどオス10匹、メス10匹)を樹液がしたたるクヌギの木や根本に。無事に野生に還りますように。

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しばし見届けてから、例年確実な外灯へ。今年は3カ所に絞って行ってみると、ある場所ではキツネと猫?が外灯の下で待ち受け、ある場所では既に傷ついて飛べなくなっている大きなカブトやコクワガタ。たぶん外灯のまわりを飛んでいる時にコウモリにやられたのではないかと推察。

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それでもしばし待っていると、ボトッ、ボトッと落下する音。コクワガタ、ノコギリクワガタ、カブトムシ、それぞれオスメス大小混ざってやって来ました。今年は、大きなカブトムシのオス1匹と元気なメス2匹を救済して帰路につきました。

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こちらは、外灯の周辺で何も考えず座り込んで、「昆虫王国」の匂いに酔いながら気持ちの良い風に涼んでいるだけの優雅なライトトラップ。毎年、一夜だけですが、こんな少年時間を過ごせる事が、かけがえのない僕の幸せです。

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2016年06月06日

東北の海岸林 5 浜昼顔と潮騒

例年より早く訪れたハマヒルガオの季節。先月の撮影で撮りこぼしたポイントに向かう。6月4日(土)に南三陸で会議を行ったので、せっかくの機会を活かしレンタカーで南下する事にした。

6月5日(日)

石巻の渡波海水浴場から開始。アメリカの写真家Robert Adamsの手法に刺激を受けて追加撮影。続いて七ヶ浜に向かう。浜沼の小さな浜辺。沖にテトラが入っているのが残念だけど、スネほどの段差が堤防のようになっているだけで松並木に守られた素敵な景観。足元にはハマヒルガオ。七が浜の正面は既に防潮堤で海は見えないが、高い目線の眺望は広い砂浜が広がり一安心。

仙台南港の波乗りポイントを初めて眺めてから蒲生干潟周辺。広い広い長い長い砂浜。ここには防潮堤はない。人知れず一面に広がるハマヒルガオと、播州高砂が由来の高砂神社の老松の松韻。思わず目を閉じる。海辺にあるべきものがそこにある安堵感。平時の営みが戻ることを祈る。そして夕暮れの荒浜に着く。貞山堀の遥か向こうに広がる砂浜、その波打ち際に防潮堤の建設が見える。海が見える状態を写真で残す。

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荒浜の夕暮れ

これで、青森の三沢市から茨城県の北茨城市まで約550kmほぼ海岸線で走破した。下北半島の尻屋崎から南下し、三沢の海岸で津波の爪痕を見つけたのでここを起点とし、岡倉天心の六角堂が津波後に再建した事をきっかけに、日本美術院の志から想起するものがありここを終点として撮影エリアと定めている。これで、このシリーズのフレームが浮き彫りになったと感じている。今後は情緒とメッセージを付加する補足撮影になるのかなと思う。鳥の海の脇にある「わたり温泉」で疲れを癒し閖上浜で車中泊。

このシリーズとは、2009年に新宿と大阪のニコンサロンで発表した「松韻〜劉生の頃〜」の東北版になる。湘南のシリーズもコツコツ継続しており並行して撮影している。湘南のシリーズでは松のある風景が与えてくれる感性を過去に遡り、東北のシリーズでは感性を未来に残すことを表現できたらと思案している。ハッセルブラッドに80mmの標準レンズ1本だけでモノクロフィルムで撮影するという根気のいる作業。さてはてそんな理屈が実現するのかどうか、どれだけ時間が要するのか、自分を信じてやりたいと思う。

6月6日(月)

朝5時起床。曇天だが雲の切れ間から太陽。朝日に照らされる海の撮影。ハマヒルガオやハマボウフウも咲く浜辺は花園。天気予報は一日曇天だが、少しでも晴れてくれることを期待して常磐道を双葉海水浴場に向けると、山沿いを走るからか段々と雲が重たくなり雨が降ってきた。海側に目をやると空は明るいので、きっと大丈夫と諦めずに先を急いだ。

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閖上の浜

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閖上の浜昼顔

福島第一原発に最も近い海水浴場。先月に初めて訪れ引き込まれた撮影イメージの象徴的な場所。間もなく工事に入りそうなので最後の撮影チャンスだったのかも知れない。広い砂浜には誰の足跡もない。人工物は壊れ、その上に砂や草がゆっくりと覆っている。このまま活用したら良いのにとつくづくと思う。そんな想いのままに撮影。すると段々と青空が広がりいつの間にか夏色の砂浜と海。

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双葉海水浴場

続いて先月に辿り着けなかった撮影ポイントに向かう。富岡駅のすぐ近くの海岸。福島第二原発の煙突から出る水蒸気が見える。立ち枯れた松。壊れた堤防。海辺の原風景がここにはあったのだろう。そこに海を隠す防潮堤の建設。海岸のすぐ近く草に覆われた線路も撮影。

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富岡の堤防

楢葉町の本釜の海岸。大きな玉石と打上げられた松が目立つ。砂浜はきめが細かい。ハマヒルガオも遠慮がちに咲いている。しばし佇む。

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本釜の浜

次に広野火力発電所の脇の岩沢海水浴場。車を止めて松に囲まれた階段を降りると発電所に添ってブレイクする波にサーファーが一人占め。小さな海水浴場だけど、子ども達の歓声が聞こえてきそうな印象深い場所。続いて広野の大きな海岸に出たが、防潮堤工事の内側に法面が異様に広く高さのある道路工事。ここで補足撮影が突然に終了。まだモヤモヤするので楢葉町の本釜の海岸に戻って撮影に没頭した。17時を過ぎて今回の撮影終了。最後まで太陽が付き合ってくれて晴れ男の面目を保てた。

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岩沢からの眺め

ここから一気にいわき駅に向かう。iPhone地図アプリで検索すると大きく迂回する県道35号線が常磐道と大差なく着くと示すので走ってみた。山間部や里山風景を抜ける素敵なドライブコースで車窓を楽しみながらいわきへ。レンタカーを返し特急ひたちに乗って帰路につく。

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本釜にて。


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2016年05月14日

大磯の松韻。明治の風。

今日は久しぶりに大磯を歩いた。

明治の元勲たちが聴いたであろう松韻を拾い集めることができたらと思って歩き始めた。

鴫立庵の前を通り、町役場の脇から入ると良い風景が残っている。元の林董邸。その隣の尾張徳川家の義詮の別荘跡地には新しくマンションが建っていて、以前のように西日に石垣が照らされる撮影を考えていたが不可能。過去に撮影したものは貴重な一枚になった。

陸奥宗光と大隈重信の別荘は古河電工の大磯寮、隣の鍋島直大の別荘跡地に大磯プレイスが建っているが、開発大手デベロッパー連名で特別緑地保全を行っていることを示す看板があり、樹高のある老松が多く佇みスケールの大きな風景が維持されているのが素晴らしい。

伊藤博文の滄浪閣は、西武から保全を目的とした個人の所有に変わっており、金額で負けた大磯町としては保全に期待をしている状況。大きな駐車場は活用されており、海側から振り返ると約2万坪のスケールの大きな邸宅を想像できる。隣の池田成彬邸はそのまま残されている。

海側に出ると、こゆるぎ緑地に至る。ここは大磯町のトラスト基金で購入されNPOによる手入れが素晴らしく、砂地に松が育林されておりハマヒルガオも咲いている。その西側の柳原緑地は、あまり人の手が入っていないためにフォトジェニックな場所が散見。

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2009年に全焼した吉田茂邸。引退後も影響力が大きく”大磯詣”が続いたという。いま再建工事が進んでいるが、1万坪の敷地は県立公園として公開されている。サンフランシスコを向く本人の銅像。そして滄浪閣にあった五賢堂(木戸孝充、大久保利通、岩倉具視、三条実美、伊藤博文)をこの地に移し、現在は西園寺公望と吉田茂本人を合わせた七賢堂。松の間を抜ける道に、木陰が良い演出をしてくれている。

島崎藤村が晩年を過ごした静の草屋。書斎にした四畳半、縁側のある広間。「余にふさわしい閑居なり」と夫人への手紙に記し、この家での生涯最期の一言は、未完の「東方の門」の書きかけの原稿を読んでくれている夫人に話した「涼しい風だね」だった。なんと美しき人生の閉じ方よ。

こうして大磯版”兵どもが夢の跡”を1日かけて歩いてみると、大磯ならではの松韻の聴こえる風景が明治の風に乗って見えてきた。

最後に大磯海水浴場から唐ケ原まで歩き、ハマヒルガオとハマボウフウの広がる風景を撮って終了。

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ハッセルブラッド500Cに、プラナー80mmのレンズ1本。 モノクロフィルムによる「松韻」シリーズ第2弾。もっと深めていきたい。本日は4本撮影。


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2016年05月05日

東北の海岸林 4 松の記憶を撮る

4日間かけて東北の海岸林の撮影。

今回は、石巻から北茨城の五浦海岸まで南下の予定だったが、天候の問題で七ヶ浜から荒浜までを次回に積み残し。これで青森の三沢から北茨城までの津波の被害にあった松たちに出会う旅がほぼつながる。

1回目のブログ 2013年5月3日−5日 松川浦から閖上まで北上
2回目のブログ 2015年5月1日ー5月4日 青森尻屋崎から気仙沼の階上まで南下
3回目のブログ 2015年5月30日ー31日 陸前高田から小泉海岸を補足撮影

復興していく中で、立ち枯れた松が残されているだろうか、何とか留まった松たちがどんな事を語りかけてくれるのだろうかと考えながら、東北の人たちの記憶にある「松韻」に想いを馳せるシリーズにしたいと考えてコツコツ撮っている。

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5月1日(日)

さて、くりこま高原まで新幹線で向かい、11時半に駅前でレンタカーを借りて石巻へ。

石巻の渡波海水浴場。真新しく完成したばかりの大きな防潮堤。わずかに残る波打ち際には、打上げられた牡蠣がらの中に松の根っこが取り残されていた。海を隔てた大きな壁の内側には津波の傷跡を残した松林。降り出した雨に打たれながら集中していくと、段々と見えて来た情景を切り取ることができた。13時から14時半まで撮影。

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東松島の青い鯉のぼりに不意に出会う。弟を失った男性が始めた取り組み。とても共感していただけに嬉しい出会いだった。雨の湿気のためCANON EOS 5 Mark IIIが曇ってしまうトラブル。時間が解決すると信じて少し佇む。

次に向かったのは東松島市の北上運河の近く、黒松の植樹が進むエリアに取り残された松を選んで撮影。続いて鳴瀬川を渡り野蒜海岸で気になる一本松を撮影。この風景はGoogleのストリートビューのロケハン?で見つけていた岩のある風景。デジタル既視感というか、初めて訪れる場所なのに勝手が判る不思議。ここで雨が上がり薄日が差し込み夕暮れを迎える。松島に着く頃には完全に雨が上がったが日没が近く七ヶ浜を諦める。

雨中撮影はかなり疲弊したので、4日が荒天の予報のため、明日と明後日を福島撮影に切り替え一気に南下。「亘理温泉 鳥の海」で雨で冷えた体をゆっくり温めて、打ち寄せる太平洋の波の音と、鳥の海を臨む露天も満喫。そのまま一気に「道の駅そうま」まで走り車中泊。

今日の印象は、造成工事が進み海岸線が新しい開発地に生まれ変わっていること。爪痕に佇むというシーンではなくなってきている。この中で、どのような被写体を選び世界観を作るのか。しかし、この変化を写し取ることも、このシリーズに託されることのようにも感じる。写真は記録であり記憶である。

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5月2日(月)

6時起床。フロントガラスに雨がポツポツ。何とか上がって欲しいと祈りながらスタート。

松川浦のほとりを走り海辺へ至ると、雨も上がり点々と佇む松に呼ばれて撮影モードに入る。昨日と違い、地形によって崖の上に佇む松も多く”ほふく前進”の撮影となる。南相馬の磯の上地区に佇む松、右田浜で保存活動が活発な「かしまの一本松」、原町の火力発電所を通り過ぎた辺りの間形沢にある崖も爪痕が残る。村上海水浴場では工事現場に立ち枯れた一本松が残り、村上城址の近くにある湿地の脇には二本松が佇む。いずれも海岸線には真新しい白い大きな防潮堤が海を遮る。

撮影の途中にパトカーに声をかけられる。不審者が多く警戒態勢が続いているが、伊勢志摩サミットのために人員が足りず充分に注意して欲しいとのこと。南相馬周辺では、菜の花畑が広がる。除染能力を期待しているとしたら切実な風景。

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さて、いよいよマリンパークなみえを越えて帰宅困難地域であることを実感する風景の中を走り、福島第一原発に最も近く通行規制のゲートの脇にある双葉海水浴場に12時半頃に至る。

不気味なほどに全くの無人。良い波が打ち寄せる海岸も誰もいない。内陸も遠くまで見通せるが走る車も人もいない。聴こえる音は自然の営みだけ。マリンハウスふたばの時計は15時35分を指したまま。青々とした松林と立ち枯れた松林の二つのゾーンに別れており1日かけて撮影したい場所。この間に浴びる線量がどの程度になるのかわからないが、ゆっくりと時間をかけて撮影することとした。多くの人が、海水浴や波乗りに訪れたであろうことを想像しながら、感じるままに構図を決めて撮り続ける。

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撮影に手応えを感じ、この勢いを維持しながら次の撮影地に向かうが、予定していた熊川海水浴場、富岡浄化センターなど海岸には近づけず。クルマのみ通行可能な国道6号を走ると、左右に見える町は死んでいた。枯れ草が延び放題。道路脇の店は全て休業。バリケードで守られた民家も暮らしの温度が全くない。背筋が寒くなるような光景。警察官だけがこの区間で目にした人間だった。原発再稼働に躊躇のない政治指導者は、この光景を見たことがあるのだろうか。この光景を見ても何も感じないのだろうか。

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何とも言えない気持ちで走っていたら気がついたらいわき市。今日の疲れは湯本温泉で癒すことにして、松と語る旅らしく老舗の「松柏館」を選んだ。源泉掛け流しの熱いお湯。幸せな気持ちで「道の駅よつくら港」で車中泊。

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5月3日(火)

5時半起床。

今日は晴天を活かした撮影をトライ。

まずは、真新しい防潮堤によって海が見えなくなった新舞子公園をどのように撮ろうかと風景全体を見ていたが、ふと目に入った一本の松を見てこのシリーズは対話であることを思い返した。7時頃から2時間かけて撮影。続いて訪ねた合磯海水浴場では、松林が防潮堤の内側の荒涼とした場所に佇んでいた。

小名浜に向かうと、ちょうどお祭りに出くわす。多くの大漁旗がはためきとても鮮やかに目に飛び込んで来たが、震災後に漁業復興への機運を高めるために掲げたと後で知った。

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新しい防潮堤の外側に、漁港と砂浜が佇む小さな入り江の小浜には10時半頃に到着。生き残った数本の松がとても大切にされている印象のまま穏やかな気持ちで撮影。

勿来の火力発電所の奥、岩間地区で見つけた海が見える旧堤防の駐車場。ホッとする場所。このまま残って欲しいと思う。

同じ海岸線で鮫川を挟んだ対岸、蛭田川を中心に広がる菊田浦の砂浜では大きな法面を擁する防潮堤が延々と続くが、その内側に震災前は潮風に直接吹かれたであろう松林が広がる。多くの松と語り合った。

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北茨城の五浦には、予想より早く14時頃にたどり着き、余裕を持って撮影。天心が聞いたであろう松韻にゆったり耳を傾ける。こんな住環境に憧れる。その後、少し国道6号を南下して、中郷周辺、二ツ島周辺で松の木に呼び止められ日没まで充実した撮影。

天気予報では、夜から荒れ模様のようなので道の駅での車中泊を考え、少し距離があるが内陸の常陸太田市にある「道の駅さとみ」に向う事とし、途中にある「中郷温泉通りゃんせ」で夕食を食べゆっくり湯船に浸かった。

2日間かけて眺めた福島の海岸は、帰宅困難地域を除いたほぼ全域が、海が見えない要塞のような防潮堤が続いていた。日本の海岸線の景観が、黒松林の向こうに白い大きな構造物が見え隠れして、青い海は完全に見えないものになって、白砂青松が白壁青松となった事を実感する。

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5月4日(水)

5時半起床。今日は土砂降りの目覚め。

予報では昼前後に上がるので、ゆっくりと準備して走り出す。土砂降りの雨に煙る国道461号線。木造の集落が広がる美しい日本の里山風景。

五浦美術館入り口の交差点に近いお座敷カフェで朝のコーヒーを飲んで、10時頃に天心記念五浦美術館。天心の志や表現の刺激を受け、一気に晴れ上がった青空のもと六角堂に向かい撮り直しをトライして納得。

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その後、遅めの御昼ご飯をヨークベニマルで仕入れて、14時頃に昨日見つけた岩間地区の駐車場に向かいお湯を沸かしながらゆっくり食べる。

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16時過ぎに常磐線の泉駅に向かい、レンタカーを返却してチケットを買い直し、17時半のひたちに乗車。東京駅では常磐線と東海道線が同じホームで乗り換えがとってもラク。スムーズに4日間の撮影旅を終了した。

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今回4日間の撮影枚数は、今回のメイン機種であるハッセルブラッドでモノクロフィルム12枚撮りを20本。内訳は1日目3本。2日目8本。3日目6本、4日目3本で、双葉海水浴場で集中したのでフィルムにしてはハイペース。暗室作業が楽しみ。CANON EOS5 Mark IIIは約500枚、コンデジのCANON S110は約100枚で少なめ。

自分の能力を自分が信じてやらねば、いつまで経っても自己満足の写真に終わってしまう。個性と普遍。このシリーズにはそれが両立できていると信じて頑張る。


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2016年04月07日

春の夜、雨上がり、海鳴り

雨が上がり、潮の匂いがする湿った南風が、気まぐれに強く吹きます。

夜、帰宅して玄関の扉を開くと家の中の方が冷んやり軽く感じて、外の気温が思いのほか高いことに気づかされます。

部屋に入ると、ドンドンと風が窓を叩く音。その窓を開けると、潮の匂いとともに生暖かい空気が入ってきて、ゴーっと海鳴りが空から聴こえてきます。

海辺に住み始めて知った、風物詩のようなこの体験が、僕はとても好きです。

いつの間にか冬から春へ、そして初夏への季節の足音が、聴こえてきそうな、体に染み込むような、なんともワクワクする幸せな瞬間。

アスファルトには桜の花びらが散っている。そんな季節の夜。今の気持ちを留めたくて素直な気分を残しておきます。

「松韻ー劉生の頃ー」の中に、春の南風の日の写真があるのを思い出し、海鳴りを聞きながら眺めています。


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2016年04月02日

故郷の桜、芦屋の桜。

桜前線が関東や関西を彩る週末。

このタイミングで帰郷できないので、昨年の早春に出版した写真集「芦屋桜」をめくっていたら、実家の母から携帯で撮った家の前の並木の夜桜の写真が送られてきました。このタイミング。グッときます。

この写真集について少し振り返ると、阪神淡路大震災から10年の節目に、被災者の目線で震災前後の芦屋を撮り続けた写真集「一年後の桜」を出版。そのテレビ取材が2006年にありました。内容は、その後の桜をテーマに撮り歩くものだったのですが、それをきっかけに桜樹に誘われるままに故郷の町をくまなく歩くという幸せな撮影を毎年続けることにしました。

震災から20年の節目に、芦屋の変化を見守っている桜にメッセージを託し形にしたいと思って、ご縁のあった出版社ブックエンドの藤元由紀子さんに見てもらったらその場で出版が決定。ブックデザインは吉野愛さんで、撮影者の想いをギュッと掴んでさらに魅力を発散してくださるようなエディトリアル。製版は僕の暗室ワークの全てを見抜かれる鋭い眼差しを持った日本写真印刷の中江一夫さん。そして解説文は、ずっと僕の写真を見続けてくださっている元芦屋市立美術博物館の学芸課長で甲南女子大学教授の河崎晃一さん。

昨年開催された、芦屋市立美術博物館の小企画展「光の空ー阪神淡路大震災から20年ー芦屋」に、学芸員の大槻晃実さんのご厚意で「一年後の桜」と一緒に「芦屋桜」も並べていただき、とても良い節目にしていただきました。

時々は地上に顔を出して”光の空”を眺めてきましたが、常に地下に潜るかのように、長いトンネルの中にいるような苦しく感じることも多い作家活動。しかし、自分の世界観を撮り続けなければ写真家にあらず。自分の今の気持ちを表現する喜びを維持して、これからもコツコツと続けたいと心に期する桜の日です。

写真集の帯に抜粋された僕の文章です。

目の前に佇む
桜を撮影すると、
次々と
桜たちに招かれ、
町の隅々まで
巡り続ける。

こうして
生まれ育った
町との絆を
確かめながら、
僕は
桜の風景を
撮る。

こちらはFacebook「芦屋桜」のページです。よかったら「いいね!」してくださいね。

作品は、僕のウェブサイトでダイジェストですがご覧いただけます。
「 一年後の桜」のページ
「芦屋桜」のページ

いずれもamazonで購入できます。お気に召したら、よろしくお願い致します!

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写真集「芦屋桜」より

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