2017年01月17日

今年の117に思う

阪神淡路大震災から22年。

倒れてきたタンスの重みも忘れ実感は薄れていくが、毎年117はあの日に思いを馳せるようにしている。今年はあの日を起点に自分が何を思うのかを記してみる。

人の価値観を変えるには自分が意図せず体験する事が欠かせない。僕の場合はタンスの下敷きになったことだったと後で振り返り気づいていった。

ひとつは写真家として自己表現を積み重ねる作品を構築する中で視点が育まれることに気づいたこと。

もうひとつは環境省の国民運動の仕事の中で新しい価値観を探そうとしている自分に気づいたこと。

新たなライフスタイルをという活動をしていると様々な人がいることに気がつく。原理主義的からファッション感覚まで。僕は僕らしいバランス感覚でその道を真っ直ぐに進むように考えている。

僕らしいとは、それは常に当事者であること。

博報堂で、チーム・マイナス6%での業務実績から環境コミュニケーション部を創ってもらい部長となり、いまはCSRの推進担当部長として独自のソーシャルアクションのあり方を拓く視点。

2010年のCOP10で、生物多様性の主流化に関するコミュニケーションの決議にNGOの立場で自ら提言を行い、それを実践する環境コミュニケーションのプロボノ集団「一般社団法人CEPAジャパン」を仲間と設立し代表として模索する視点。

ひとつの道を複数の視点で見るという俯瞰とフォーカスする感性。創造力。

SDGsを推進する今は、グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンのSDGsタスクフォース・リーダーという立場も加えて、企業プラットフォームというもう一つの立ち位置からの視点。

そして新たに研究者の立場から、先行研究の文脈に入り実業の経験をそのまま取り入れた思考により検証だけでなく社会実装を目指したいという視点。

政府、国連機関、アカデミア、メディア、企業、NGO、一般生活者、すべてのセクターとの協働による未来のためになる行動変容を考え国民運動的な仕掛けを模索する。

週末や平日の朝の波乗り。全身で感じる海、脳みそだけでない刺激から得る何かが全ての思考を生んでいるというつながり。

僕には、ライフワークではなく生き方そのもの、日々の拠り所、生きる糧となっている。

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芦屋霊園からの眺め 2017

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2016年12月10日

もっと身近に生物多様性を、さかなクンと一緒に考えよう!

今日は東京ビッグサイトで開催されている「エコプロ2016」のイベントステージでさかなクンと登壇。アナウンサーの奥村奈津美さんとも2年連続。

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今年のタイトルは、「世界の優先課題SDGsも始まった!愛知ターゲットは大丈夫か日本!もっと身近に生物多様性を、さかなクンと一緒に考えよう!」

「一般社団法人CEPAジャパン」理事メンバーの想いが詰まったタイトル。

このステージイベントの実施は、CEPAジャパンとして企画立案から協賛社集めまで行い、運営主体は理事の団体のThink the Earthが行い、セブン-イレブン記念財団の力強い支援を受けて立ち上げた「生物多様性アクション大賞」を、「国連生物多様性の10年日本委員会(UNDB-J)」(事務局:環境省)における生物多様性の主流化施策の主要事業と位置付けられてきた賜物。

UNDB-Jのアンバサダーであるさかなクンに、「生物多様性アクション大賞」のアンバサダーにも就任していただき、事業の告知とステージイベントに協力してもらっています。今年で3年目。本当に有り難いでギョざいます。

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恐るべしさかなクンの動員力!エコプロで人気No1のステージになっています。

少し振り返ると、生物多様性を日常の暮らしで感じるための「MY行動宣言5つのアクション」を環境省に提案し採用され、さらに「生物多様性国家戦略」に提言し記述され、国民運動的ツールとして使用してもらうようになり、全国から5つのアクションの事例を集める普及事業として「生物多様性アクション大賞」創設し、その大賞受賞団体の発表の場として考案した生物多様性の普及啓発イベント。すべて一つの事業としてパッケージなのです。

まずは「生物多様性を知っていますか?」と質問からスタート。エコプロの会場でありながら4、5名程度の挙手でビックリ。調査データを鵜呑みにしてダメですね。

自然と共に生きることの大切さを伝える「CEPA=伝えるコミュニケーション、教える学ぶ教育、広める普及啓発」の団体CEPAジャパンを名乗り、5つのアクション「たべよう・ふれよう・つたえよう・まもろう・えらぼう」を改めて説明し、今日は「たべよう」をこの人と考えましょう!というってさかなクンを呼び込みます。

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撮影:イノウエヨシオさん

そしてさかなクン、模造紙に魚を描きながらのトークショー。身近な東京湾に暮らすいきものをクイズ形式で紹介してもらいます。最初は2匹の予定でしたが、さかなクンが描き始めると、すぐに子ども達から手が挙がり、正解の連発。予定よりも早く進み、今年は4匹も描いて子ども達にプレゼント。カタクチイワシ、カサゴ、コウイカなど、その生態を面白おかしく判りやすく話してくれるさかなクン流のエンターテイメントです。

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撮影:イノウエヨシオさん

続いてSDGsを紹介!国連が去年の9月に採択した「世界を変えるための17の目標」。例えば、飢餓や貧困をなくすことから、気候変動や海の豊かさも、陸の豊かさを守ろうことなど、世界の課題が整理されたもの。さかなクンだったら、目標14の「海の豊かさも守ろう」ですねと話すと、「14、ジューヨン、じゅーーーーよーーーーでギョざいます〜!!」と受けてくれたり、「全てはつながり合っている大切なことばかりでギョざいますね!」とSDGsの本質を見抜いて説明してくれ、僕から会場の皆さんに、「これから学校の授業や会社で、このSDGsのお話が出てきますので覚えておいてくださいね!」と話せたのは良かった。

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撮影:イノウエヨシオさん

生物多様性アクション大賞を知ることができる「いきものぐらし」のトップページを投影したら、さかなクンが「良い絵でギョざいます!」と鮭の遡上を説明してくれて、今は二十四節気の大雪ですねと言ったら、「タイセツ、、、とても大切でギョざいます!」

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撮影:イノウエヨシオさん

さていよいよ「生物多様性アクション大賞2016」の大賞受賞団体「糸島こよみ舎」の5分間のプレゼンテーション。糸島市の人々に取材して聞いたり見たりしたことを365日の歳時記にして日めくりカレンダーとして毎年内容を変えて商品化!日々の小さな自然の変化が全てつながり合っていることを肌で感じることができます。今、他の地域にも活動が伝播していて、会場の皆さんにも是非作ってみてはと呼びかけ、さかなクンの365日はどうですか?と話すと、「月めくりまででギョざいます〜」と恐縮しつつ、素晴らしい取組みですね。とコメント。

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撮影:イノウエヨシオさん

そうなんです。こうして、自然に支えられた地域の日々の暮らしこそが大切で、さかなクンと伝えたい生物多様性の大切さも会場の目の前の東京湾の魚のお話。そして東京湾を潤すのは山から沢山の川となって流れ込むミネラルタップリの水。さかなクンが言ってくれた通り、SDGsも東京湾も糸島こよみも、みんな命のつながり合いを伝えているのです。

「生物多様性がわかってきたよっ!という人は手を挙げて〜!」と言うと、会場の全員の手が挙がりました。これこそがCEPAジャパンの活動でやりたいスタイルの一つなのです。

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撮影:イノウエヨシオさん

多くの親子に共感されている、さかなクンのような素敵なアンバサダーのチカラを借りて、地域の地道な取組みからも学ぶ場づくり。生物多様性が各地に宝物のようにたくさんある事を感じてもらえること。地域の自然のつながりの中に人間も存在することを感じてもらうこと。それも親子で楽しく笑顔で。子どもは未来であり、彼らの日々に還していかねばならない生物多様性。それをこのような形で伝えること。CEPAの醍醐味を実感したステージとなりました。もちろん奥村奈津美さんの時間を考えた気配りの進行も大切な要素デス。

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撮影:佐藤健一さん

さかなクンとCEPAジャパンとして3回目のステージ。一つの形が出来た充足感に包まれる今です。すでに次のアイデアが浮かんできました。まだまだ頑張らねばなりません。次のステージに向います。

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さかなクン、奥村さん、今年も本当にありがとう!ギョざいます!!


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2016年12月04日

熊楠を思ふ旅 第3弾

12月2日(金)

今日から3日間、紀伊半島の南端。熊野の撮影第3弾。いよいよ、大竹哲夫さんとの熊楠をガイドに熊野を撮影する旅の最終回。大竹さんは熊野に住み、「み熊野ねっと」の管理人として熊野の風物を発信しながら熊楠の研究を進める在野の研究者。その大竹さんが出版を予定している「熊楠とめぐる熊野の旅」の挿入写真の撮影を勝手に買って出て、2泊3日×3回で大竹さんが書いている33カ所と追記予定の1カ所を加えた熊楠ゆかりの地を、大竹さんの解説付きで巡るとっても贅沢な旅。

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羽田空港から望む富士山

今回は羽田発10:25にしてゆっくりスタート。幸先良く、羽田空港から富士山がスッキリ見えてます。11:40に白浜空港に到着し、過去2回同様に大竹さんと車で移動。まず向かったのはまずまずの色づきだった紅葉の奇絶峡。そして上富田町の田中神社。田の中に佇むその名の通りの神社も熊楠に守られたもの。その暖かい陽射しに照らされた佇まいに熊楠の想いを重ねられるようにファインダーから覗いてみた。

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田中神社

そして、中辺路を一気に走り中辺路名物で市の天然記念物になっている福定の大銀杏。1/3ほど散っていたけど、それが良く黄色い絨毯と大銀杏が抜けるような青空との色バランスとコントラストが素敵。市内の老人ホームからの集団は来年も来ようねと声が聞こえ、車で来た家族連れは落ち葉で遊び、ご近所なのか老夫婦が手をつないで歩く。この大銀杏、宝泉寺というお寺の境内に立ち地域で守られてきたようで熊楠のゆかりではないが、100年前にはどのぐらいの存在感があったのだろう。山あいの大きな陽だまりの里に幸せな時間が刻まれていた。

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福定の大銀杏

雲が増えてくる中、市内に戻り、世界遺産に追加登録された闘鶏神社。熊楠の奥さんの松枝さんは、この神社の宮司さんの四女。世界遺産になったためか日没間際にも観光バスが入ってくる。宮司さんがマイクを通して随分と軽妙滑らかに語り続け観光客の足を止めている間に一気に撮影を進めることができた。この神社林も熊楠の大切なフィールドであり、とても大切な場所で思入れも格別だったのではないかと、夕暮れに佇む大きな楠のシルエットに想いを込めてシャッターを切り今日の撮影を終えた。

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闘鶏神社の大楠

夜は早めに紀伊田辺駅近くの味光路。大竹さんオススメの「かんてき」へ。最初に白子のポン酢和えを口にして、程よい温度で口に広がりウーンと唸ったら、「それで唸っとったら、最後まで唸りっぱなしやで!」とカウンターの中から厳しそうな表情の親父さん。「最後まで唸らせて」と返したら、ニヤッと笑みで返してくれた。次々食するたびにウーンと唸らされ、最後にこの2品。ウツボの刺身は炙った部分があり、食感と味覚のダブルパンチ。思わずウーンと唸りながら噛みしめ、サバの棒寿司は、あまりに新鮮で経験した事のないプリップリな食感に酢飯との組み合せ。ウーンどころではなく、「これ何??」と言ってしまっら、「今日のは珍しく冷凍もんやのうて水揚げしたてのサバやで。」親父さんの笑みの訳はここにあり。最後は、「美味しかったというより幸せな気持ちにさせてもらいました。」と言って店を出ようとしたら、親父さんの笑顔が見送ってくれた。

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鯖の棒ずし。この厚み、プリップリ。

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ウツボの刺身

12月3日(土)

さて2日目は7時過ぎに宿を出て橋杭岩に向かう。潮があげていて海面に浮かぶ岩のシルエットを駆け足で撮影し、古座の九龍島へ。ここでも逆光を活かして波打ち際の輝きとシルエットを組み合わせて狙ってみる。与えられた条件を楽しむのが僕の身上。

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九龍島

次に新宮市三輪崎漁港まで足を伸ばし孔島と鈴島を撮影。ここは大竹さんが追加記述したいと考えている場所で、港を工事する際に地元の人が島を残したいという声があがり、やはり熊楠が助言したことが判っている。

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三輪崎漁港

小ぶりな鈴島は面白い地層が露出しており、今日の強めの熊野の陽射しが強い陰影を作り出し魅力的な被写体になってくれている。

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鈴島

大きな孔島は地元の人の地道な努力で今やハマユウの群生地となっており、芦屋の実家から湘南に球根を持ってきて毎年花が咲くのを楽しみにしているハマユウ好きな僕にはたまらない島。ハマユウ好きの僕のために一つぐらい咲いていないかと探して歩いたら、熊野の神様のお茶目さからか、まさかまさかのこの季節に1つ咲いていて来訪を待っていてくれた。ここに柿本人麻呂の歌碑が立つ事を大竹さんのみ熊野ネットにも記されている。

「み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど 直に逢はぬかも」

大竹さんにこの歌の通り「ハマユウは熊野の花だから川廷さんはここに来るべき人でしたね」と言ってもらえて感激。来夏にはハマユウ爛漫の風景を撮りたい。

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孔島のハマユウ

うららなお天気のおかげでついついと長居をしてしまい、お昼ご飯は三輪崎漁港にあるシンプルな食堂に飛び込み。漁港にあるだけに特製ランチの鰹のタタキが旨かった。

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鰹のたたき!

帰路、潮がひいていたので橋杭岩に立ち寄りもう少しアングルを工夫してみる。そして大竹さんのとっておきのお気に入りの場所へ立ち寄ってみた。映画「溺れるナイフ」のロケが行われた串本町の小さな入り江。まるでプライベートビーチのように誰もいない静かな場所で、ふっと息抜きできる場所。カメラを向ける時だけ太陽も雲から顔を出してくれた。

会議の約束があるので一気に南方熊楠顕彰館まで戻る。田辺市内に自生していた安藤みかんを熊楠が絶賛し自宅の庭にも植えて果汁を絞って愛飲していたようで、これを増産すれば農家が繁盛すると考えて地元の自治体の首長に苗木を送ったと言われている。熊楠自邸の庭にある安藤みかんに向けてシャッターを切り今日の撮影を終える。

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熊楠邸の安藤みかん

その後、顕彰館の会議室で、顕彰会の皆さんと熊楠生誕150年周年に向けて、「南方熊楠ツーリズム」の取組み方について話合い。僕が代表を務める自然とともに生きることの大切さを伝える「一般社団法人CEPAジャパン」の理事で盟友である水野雅弘さんがここ南紀に移住した事により実現が可能となる、熊野の皆さんとのネットッワークを活かしたCEPAジャパンの地域活動に、顕彰会の皆さんのお力添えをいただく方向で建設的に進めて行くことになった。大竹さんとの旅で、熊楠ツーリズムの事前調査を行っている事にもなるので、話合いにも肌感覚や想いを込めることが出来る。写真家という立場を活用し、血肉として地域を理解していく僕なりの方法論なのだ。

夜ご飯は水野さんオススメの味光路の「千成」へ。生しらすからスタート。水野さん、大竹さんと、「南方熊楠ツーリズム」についての語り合い。大いに脱線しながらも企画の方向性を見定めて最後は鰻の棒鮨で締め。美味しいものを食するとはこうもシアワセなのかと熊野では教えられる。いろんな方々の力を借りてカタチにしたいと想いは募る。

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生しらす

12月4日(日)

いよいよ熊野撮影の旅、第3弾の最終日。まだ陽射しがあったので白浜にある南方熊楠記念館。来春のオープンに向けて改装工事が続く。敷地の入り口にシダ植物のオオタニワタリ。これは周参見湾に浮かぶ稲積島が自生の北限と言われ熊楠も保全に尽力をしたが、その後は乱獲にあい絶滅したもの。そんな話を聞かなければただのシダ植物と建物に足早に向い見過ごしそうになるが、事情を知ればこの風景は感慨深い。大竹さんから特徴を教えてもらいながら、その魅力を引き出すアングルを探す。そうすると被写体がとっておきのアングルへと導いてくれる。男であれ女であれ植物であれ昆虫であれ汚物であれ何であれ惚れた対象を被写体とするか被写体と決めた対象に惚れること。これが僕の理解だ。

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オオタニワタリ

続いて中辺路を進み霧が名物の高原へ。雨が今にも降り出しそうだが霧は次の機会に委ねるとして、霧の里たかはらで早めのランチを取り、やはり熊楠が保全に関わった高原熊野神社の大楠を撮影。

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高原神社の大楠

撮影していると雨も本降りになり、帰路に紅葉が目に付く滝尻王子を季節を意識して撮影。

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滝尻王子

そして市内に向かい、最後に訪ねたのは、今回、世界遺産追加登録された八上王子跡。ここはいつも雨の中を訪ねていることになる。しっとりと濡れた風情が似合うと勝手に解釈している。

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大竹さんと八上王子跡にて

そして今日も顕彰館。今日は学術部長の田村義也さんと「南方熊楠ツーリズム」構築に向けた段取りを打合せ。有り難い事に田村さんからは、CEPAジャパンという組織の活動を大きく捉えていただき、あくまでも南紀熊野のローカル活動としての熊楠コンテンツと位置づけてもらい、こちらの思考もスッキリして自分たちの役割というものを考える機会となった。

これで、全9日、目的とした訪問は少なくとも34箇所。大竹さんのオススメ場所を含めると36箇所。雨天は2日。それも半日だけだったが要領良く雨の風情が撮影できた。粘り過ぎて予定時間を押してしまいつつも予定した場所で常に巡り合わせの良いシャッターチャンスが訪れる旅で大竹さんとの相性の良さを勝手に実感。だからこそ眼力と腕を問われる取材でもあり写真家精進の良い機会となった。それと、熊野の多くの神様の中に、絵心のある写真の神様もいらっしゃったのだろうな。感謝です!

大竹さんは様々な所で講演した原稿をウェブで公開している。その中で熊楠が示したサステナブル・ツーリズムについての記述が「南方熊楠が夢見た地域の未来」という講義の中にあるのだが、このようにして熊楠の言動を非常に判りやすく解釈して伝えてくださる。熊楠を現代に伝承する貴重な人材なのだと思う。

そんな大竹さんから学んだ熊楠を通して感じる熊野。これで終了することなく、機会を見つけて足を運び質と量を充実させていきたいと思う。特に湿度を帯びた熊野らしい光景が欲しいし、熊楠の粘菌の世界や森のバロックと言われる世界も表現したい。まだまだ規定課題を残しているのだ。

文中の熊楠ゆかりの地のテキストリンクは全て大竹哲夫さんが管理する「み熊野ねっと」です。

これまでの大竹哲夫さんとの撮影紀行「熊楠と熊野をめぐる旅」はこちらからお読みいただけます。
2016年10月 熊楠を思ふ旅
2016年11月 熊楠を思ふ旅 第2弾

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2016年11月05日

熊楠を思ふ旅 第2弾

今回も4時30分起きで出発し3日間の写真家活動。今日は風の影響なのか飛行コースが前回とは違う気がして下界を見ていたら、熊楠が昭和天皇にご進講した神島を発見。空港で大竹哲夫さんと合流して、まずは南方熊楠顕彰館に向かう。

大竹さんの手配で、熊楠直筆の文書の撮影である。緊張感抜群、マスクをして丁寧にセッティングと撮影を繰り返す。中学校の原稿用紙に書かれた「大坂毎日新聞編集局御中 紀伊田邊南方熊楠」から始まる「神社合祀反対意見」。牟婁新報の原稿用紙に書かれた「神社合祀反対意見」。そして!柳田国男によって印刷物となった「南方二書」。その原文は松村任三宛に書かれた3mほどになる2通の手紙。所々にスケッチが描かれているが印刷物にはそのまま印刷され、毛筆で細かく書かれた文章はキッチリと活字で印刷されている。どれだけの想いを込めて書き綴ったのかと熊楠に想いを馳せると同時に、原稿を起こし直すのは大変な作業だったのではないかと思われ、柳田国男の熱意に想いを馳せる撮影でもあった。

続いて、熊楠旧居の書斎も許可をいただいて中にも入って撮影していたら、もっと熊楠を感じる写真が撮りたくなって、熊楠が使っていた眼鏡の持ち出し許可をいただき大竹さんに持ってもらって撮影。これでようやく熊楠が書斎にいるような気分を得て納得。

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さてお昼ご飯を急ぎ食べて、熊楠ゆかりの日吉神社。 今日は近隣の人が大勢集まるお祭り。白装束の男達が海から神輿を担ぎ近くの浦安神社に向かって歌を歌い、日吉神社に向かう。こちらでは猿が乗った神輿が待ち構えており、2つの神輿が激しくぶつかり合いながら、白装束の神輿が鳥居を何とかくぐり抜けると勝負あったとなる。黒山の人だかりの見物人がいるのだが、酒に酔った男衆が入り乱れて混戦状態。きっと熊楠の時代もこうだったんだろうなあ。

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さて、祭りの後半まで見ていたら日没が近づいてきたので、急ぎ鳥の巣へ移動して神島の夕景を撮影。やはり熊楠が昭和天皇にご進講したこの島には、何か格別な想いを抱いてしまう。ただ眺めているだけでも満足な時間。今日一日抜けるような青空とキレイに染まる夕空。撮影は単調にならないよう工夫した。

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2日目は山歩き。熊楠が植物や粘菌採集に通った市街地からも近い竜神山。山頂にある龍神宮まで歩き境内や味わい深い山道を撮影。熊楠は、神社合祀でこの山の濫伐がひどくなり河川災害が増えていることを指摘。極めて基本的な流域災害の視点からも、神社合祀が地域の安全を脅かすようなことがあってはならないと強く感じる。今は中腹の斜面にはみかんが鈴なりになって紀州の風景を織りなしている。往復2時間。良い運動。

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さて午後は、中辺路を一気に走り本宮に向かう。渡良瀬温泉から川湯温泉にいまはトンネル数秒で抜けられるが、トンネルがない頃に使われていた生活道を歩き、尾根道にある神社のホコジマさんを訪ねる。ここは日本の聖地ベスト24!山の中の交差点、いわゆる辻が今も残る。そして樹間にこつ然と木製の一の鳥居が現れる。何とも言えない存在感。そしてしばらく歩くとニの鳥居が光に浮かぶ。空気を伝わるこの「気」が写って欲しいと念じてシャッターを切る。ホコジマさんにまつわる話は大竹さんの「み熊野ネット」に詳しい。

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それぞれ往復2時間の山歩き+撮影1時間ほど。良い感じで疲れた体のまま、南方熊楠顕彰館に立ち寄り、学術部長の田村義也さんと初めてお会いし、主任の西尾浩樹さんと4人で打合せ。来年の「南方熊楠生誕150周年記念事業」をきっかけに、熊楠のメッセージを現代に伝えたい取組みについて説明して、語り合い始めたらどんどん熱くなってきてあっと言う間の2時間。

今日、少し見えて来たのは、熊楠は100年も前に自然共生について話題提供してくれていて、その議論や言葉を今ようやく形にする時が来たのではないか。熊楠の旧居や資料は娘さんの文枝さんがずっと守っていらしたが、2000年に亡くなりその遺志を託された田辺市によって熊楠の研究と発信の拠点として2006年に顕彰館が建てられた。2011年の東北の大震災や紀伊半島を襲った大水害。自然との共生する社会を考える必然も迫られ、まさに今こそ熊楠の足跡を確かめ語る時が来ていると思う。これからの田村さん達との展開にワクワクして、ずっと晴天だった熊野の2日目を終えた。

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今日は早朝から本宮大社。神官さんの撮影も依頼。到着早々に、熊楠が印象として書いている神職さんが忙しそうに歩いているさまを撮ろうと何度か普段の服装のままで境内を歩いていただいた。

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その後、暑いぐらいの陽射しの下、ありの熊野詣と言われた時代の本宮があった旧社地である大斎原(おおゆのはら)を歩く。都の人々が目指したくなる場のチカラはこちらに強く感じる。熊楠もこちらに魅力を感じていたことが文章に残されていると大竹さんから聞いて納得。広い川原にも出て土手を歩いていたら大きな鳥居が田んぼに巨大な影を落としているのが印象的だった。

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再び本宮大社に戻ると神職さんが烏帽子を冠り正装されて次の場所に移るところだったので、1分だけでもとの約束で背景を考え立っていただく。1枚テスト、2枚切って、モニター確認しようとしたら、これで終えてくださいと立ち去って行かれた。しかしモニターで見る限り、朝の撮影とは比較にならない1枚となった。

午後は中辺路を急ぎ戻り、継桜王子の一方杉。熊楠が守ったとも言え、熊楠が守り切れなかったとも言える一方杉。これまでは守ったという視点で巨樹が並ぶ様子を撮影していたが、大竹さんの想いは守りきれなかった無念もまた熊楠の気持ちという事で伐採された切り株を被写体にした。苔むした無言の切り株にカメラを向けてもなかなかシャッターが切れなかったが、しばらくファインダーを覗いていると少しずつ何かを語りかけてくれ始めたような気持ちになり、ようやく絵づくりに没頭。

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日が傾いて来た時間に、滝尻王子に立ち寄りしっとりとした雰囲気を撮影。横にある売店では「あぶり鮎」が売られていた。

いよいよ西に傾いた陽射し。帰りの電車に間に合うように田辺市内に戻ってきたら、須佐神社が西日に渋く照らされており思わず撮影。ここは11月に雨の中を良い雰囲気で撮影。

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3日間の取材の最後は南方熊楠顕彰館に立ち寄る。今回はずっと晴天で陽射しを活かした撮影に徹することができたが、前回は晴天、雨、曇天と全ての空模様を撮影できている。大竹哲夫さんとの旅は、天候、被写体、全てが抜群のポテンシャルを発揮してくれるので、ただただ腕が問われる。今回の旅は大竹さんもブログに記されているので是非。

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次回は12月!

尚、前回の「熊楠を思ふ旅」はこちからお読みいただけます。

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2016年10月10日

熊楠を思ふ旅

本宮に大竹哲夫さんという人が住んでいる。知の巨人である南方熊楠に魅せられて想いが募って熊野に移住し、自己表現を生業にしながら熊楠のメッセージを今に伝えている。

100年も前に、「自然生態系のエコロジー」は「社会システムもエコロジー」として共存させることで人間の「精神のエコロジー」も豊かに保てると言い、風景と空気は地域経済に豊かさをもたらすとも言った熊楠。これをとても判りやすく現代語訳して情報発信しているのが大竹さんだ。

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大竹哲夫さん

9月に盟友の水野雅弘さんの紹介で大竹さんの講義を聞いて判りやすい話に共感。水野さんとは、動画をダウンロードしながら楽しめる、熊楠の縁の土地を訪ねるARマップを作ろうと動き始めたところだったのだが、なんと大竹さん、熊楠が熊野をガイドする本の原稿を書き上げようとしているとのこと!添える写真はあるのか聞いたら、これからだとのことだったので是非ご一緒したいとお願いした。

そして、この3連休を活用して第1回目の撮影と相成った。

4時半起きで、羽田空港7時25分発に乗って南紀白浜。予報は雨と曇り。雨の中を駐車場に移動し大竹さんの車に乗り込んで、最初の撮影ポイントである白良浜から眺める熊野三所神社に着く頃には雨が上がり車を降りたら強い陽射し。

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熊野三社神社

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昭和天皇の御座船

ここには熊楠が昭和天皇にご進講をした時の御座船が安置されていたり、斉明天皇の腰掛け岩がご神体だったり開始早々ボルテージが上がる。熊楠の活動の起点ともなった神楽神社日吉神社。突然の通り雨に参道が輝き写欲がそそられる。日本のナショナルトラスト運動の発祥の地となった天神崎では熊楠の愛娘の文枝さんがこんなエピソードを言い残している。「今のうちになんとか県庁に働きかけ、天神崎海岸を保護地区に指定しなければ必ずゆくゆくは別荘用地として不動産業者に買収されることは当然起こり得ることと憂いて地元の人たちにもよびかけましたが、また南方先生の十八番が始まったと一笑に付されました。」(「父 南方熊楠を語る」日本エディタースクール出版部)熊楠の先見性が垣間見えると同時に、そんなことを家族を通して伝え聞くのは素敵だなと幸せな気持ちになる。それにしても大竹さん、その地のいかなる熊楠エピソードでも頭の中の引出しに入っているようだ。

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天神崎にて

多くのシイで鬱蒼とする神林が残る伊作田稲荷神社は、京都の伏見稲荷よりも歴史がありご神体を見ようとした者には天罰が下ったという逸話があり、怪しい顔つきで鎮座する狐の視線にドキッとするような雰囲気が漂う。赤いのぼり旗がはためく熊楠が守った神林がある西八王子宮や白いのぼり旗が迫力の八立稲神社。今年もこうして地域の人たちが集まって気持ちの良い笑顔で祭りの準備をしている。神社合祀で廃社された出立王子にものぼり旗が立ち提灯が並び地域の人の信仰心に心打たれる。今の日本で一番大切な自分の住まう地域の記憶を残すこと。この地域にこうして祭りが残ったのも、神社合祀の名の元に行われた国政の戦争借金の返済目的と、自治体の私利私欲にまみれた政策方針への抵抗勢力となった、熊楠を始めとする地域の有識者たちの先見性と胆力。

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西八王子宮

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八立稲神社

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伊作田稲荷神社

今は高山寺で、主治医だった喜多幅武三郎や、牟婁新報社主の毛利柴庵たちの墓に囲まれるように熊楠の墓もあり、この世から離れても仲良く連れ添っている素敵な面々なのである。なんて羨ましい人生なんだろうと思いながら墓石に向き合った。ところで、年中山野を駆け巡った熊楠さん、広葉樹林にはとんでもない数のヤブ蚊が群生していて視界が塞がるのではと思うほど一斉に飛びかかってくるのを、どうやって避けて小さな小さな命を静かに観察できたのか教えてくださいと聞いてみたが、愚問じゃと一蹴されたのか風も吹かず反応はなかった。

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高山寺

日没は、当時は皇太子だった昭和天皇に無位無冠の熊楠がご進講を行った神島を、対岸の鳥の巣から眺めるという念願を叶えて終えた。熊楠によって今に生態系を残し、天然記念物に指定され立ち入りが制限されているため上陸は希望として胸に。島にはご進講のあとに建てられた碑に熊楠の歌が刻まれている。「一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでまし森ぞ」

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神島

日没後、1時間に38mmという突然の豪雨の中を移動し、車から降りたら傘はいらずで、水野雅弘さんと合流し3人で田辺の味光路へ。水野さんが提案する「ジャパニーズ・エコロジー」を熱く語り合う時間。100年も前に、この地を中心にした南紀の自然資源を資本と考え、地域が自立した経済で生き抜くことを示唆し続けた熊楠。大竹さんや水野さんがそれをカタチにすることを、応援する役割を担いたいと気持ちが入った時間でもあった。

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ジャパニーズ・エコロジーを語る夜

2日目の朝、目が覚めたら大竹さんが「やはり神島が見えますよ」と笑顔で窓を指さした。高いフロアにある部屋に投宿していたので、天気予報通り雨が降っていれば昭和天皇の気持ちになって写真が撮れると考えていたが、これも見事に叶った。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国が生みし南方熊楠を思ふ」
この歌は、33年前に出会った熊楠へのお返しとなるような歌を昭和37年に昭和天皇が詠んだもの。天皇が個人の名前を歌に託したのは唯一と言われている。大竹さんのウェブサイトでは時空を越えた二人のコミュニケーションと伝えている。

雨の中を内陸に向い上富田町の八上神社へ。ここは中辺路にある王子。合祀で廃社されてしまったが地元の人たちの熱意で7年後に復社。鬱蒼とするスダシイの森に樹齢500年の杉が鳥居の横に立ち境内には西行の歌碑。熊楠はこの歌を手本に神島の石碑に刻まれた歌を書いたと言われている。続いて向かった須佐神社。やはり熊楠が大切にした場所で、こんもりした神林の中に佇む。

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須佐神社

次は海に向かい、熊野権現が本宮に落ち着く前に鎮座しようとしたが波の音が聞こえるために、1日で去ったという伝説に従って明治29年に建てられた熊野神社へ。参道には桜が植えられ大正時代には桜の名所となり近隣から多数の人が訪れたと言われているが、戦後の食糧不足で伐採され再び桜の宮へと地元の人が植樹して守っているが、雨に濡れる今日では当時の賑わいは想像しにくい。近くには、合祀されたものの住民が交渉して復社した金比羅神社。江戸時代に作られた味わい深い狛犬が雨の中を静かに鎮座していた。

国道42号を一気にすさみ町に駆け抜け、周参見湾に浮かぶ稲積島に到着。ここも熊楠が保全に協力した場所で今は暖地性植物群落として国の天然記念物に指定されている。この日はたまたま周参見王子神社の秋祭りで下地地区の神輿が稲積島に向けて御仮屋に置かれていた。14時から再開するらしいとの事でお昼を食べながらしばし待っていると、時間を過ぎたあたりから集まり始め最後の集団に千鳥足の神主さん。ボチボチと神事が始まったが動くたびにフラフラして氏子さん達は大笑い。写真を撮っている人に話しかけたら、毎年この調子でみんなこれも楽しみにしているとのこと。祝詞も時々声になるが何を言っているのか言っていないのか。お祓いも左右に動くたびにフラフラし氏子さん達は大爆笑。何ともほのぼのとしたお祭りで笑い過ぎて涙を流しながら撮影。大竹さん曰く「氏子さん達が楽しそうにしていることが神様の楽しみでもあるのだと思う。」熊楠もこういった地域の人との交流を楽しんでいたのだろうな。

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稲積島をバックに周参見王子神社の祭

とても清々しい気持ちで古座川へ。ここでは南紀熊野ジオパークガイドでエキスパートの神保圭志さんが待っていてくれた。古座川は祓い川とも呼ばれ、熊野特有の自然を神とした社のない古代神社というか無社殿が多い。まず訪れたのは島がご神体の河内神社。心を込めて島を撮る。ここで車を止めて少し歩くと、少女伝説の少女峰の少し上流で、弘法大師伝説のある田んぼを抜けたあたりに月の瀬という開けた場所がある。ここは古座川に月影が映る絶景を楽しんだ場所。その対岸にあるのが無社殿の祓の宮。大竹さんのお気に入りの場所で、グッとくる神聖なる場所。語り継がれる歴史。昔から人々に敬われ大切されてきた場所は、とても小さな土地でひなびた場所だが地力を異様に感じる。それにしても少し歩くたびに逸話のある場所が点在している恐るべし古座川

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祓の宮

明治政府によって強行された神社合祀は、一町村に一社という基準に従い全国で20万社から7万社まで激減。三重県では90%の神社が合祀され、次いで和歌山県だったと言われ多くの地域の記憶が消滅した。この古座川流域では粘り強く抵抗した歴史があるという。熊楠がこの地を訪ねたのは合祀が始まる前だったようだが、地域の人々との交流があって熊楠の精神が活かされていたらと勝手な想像を楽む。

歴史から植生まで縦横無尽に語る神保さん。神保さんのポートレイトを撮って再会をお約束し、急ぎ車に戻り大急ぎで一枚岩に向かう。日没ギリギリに到着し赤く染まる空を写す圧倒的な大きさの一枚岩を無事撮影。どんどん演技する空に従って表情を変える一枚岩。撮影の醍醐味を味わって印象深い一日を終えた。

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神保圭志さん

古座川沿いの旅館でグッスリ休み快晴の朝。回船業で栄えた名残を、街並みや石垣に感じつつ歩く。鳥居も社殿もない貴重な無社殿の神戸神社や、明治時代の青年会「互盟社」の建物などが点在。快晴で透明度が高い空気。多数の訪問先があるため先を急ぎつつ漁師町の印象も撮影しながら那智勝浦へ。

到着したのは補陀落山寺。隣にはかなり古い社殿の熊野三所大神社が大樹の深い影の中に神々しく朝日を浴びて佇む。この神社、那智の浜のすぐ近くにあり、熊野詣が盛んだった頃は浜の宮王子と呼ばれ、潮垢離を行って身を清めて那智の滝に向かったという。大竹さんのガイドでは、熊野は神仏習合の聖地であり神道や仏教や修験道が混然一体となっていた。明治の神仏分離や廃仏毀釈により神道化が進んだが、ここでは昔の神仏混合の名残が見れる場所。ここ補陀落山寺は補陀落渡海の地で、那智の浜から渡海船で捨身行の補陀落渡海した上人は、平安時代から江戸時代にかけて25人。補陀落渡海とは、30日分の食糧を積んで舟に乗り生きながらにして水葬されるような業。今は寺の裏に墓碑が静かに並ぶ。

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補陀落渡海の渡海船

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那智の浜

次は那智の滝に向かう。滝そのものが神であり仏であるため飛瀧権現といわれる。権現とは仏が神の姿で現れるということだと大竹さん。途中2011年の水害で被災した爪痕が残る道を走り熊野古道の名所の一つである大坂門はパス。ご神体である滝を凝視すると流れが逆転して龍が岩を昇るようにも見えて来た。

この滝の水源でもある那智の山中。熊楠はここで粘菌の研究に没頭していたが、この時期こそが熊楠にとって重要だった。孤独な生活で極限状態にあり、死も意識するほど精神は研ぎ澄まされ体外離脱なども体験して、森羅万象に想いを馳せエコロジーの思想を極めていったのだった。それには、ロンドン時代に出会いその後も友情を育んだ、真言僧の土宜法竜(どきほうりゅう)との便りの往来が重要な役割を果たしていたと言われている。

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那智の滝

さて、さらに山を分け入り弘法大師が開いたと言われる妙法山阿弥陀寺に向かう。弘法大師堂に心を奪われたが、ここは誰もいないのに鐘が鳴る死者の霊魂が詣でる地であり、日本最初の焼身往生の地でもあり、熊野古道最大の難所の「死出の山路」の入り口で死者の霊に会えるとも言われ、女人禁制の高野の代わりに多くの女性が訪れた女人高野でもある。

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妙法山阿弥陀寺の大師堂

霊魂が彷徨う山から補陀落の海まで、熊楠も超感覚的知覚現象を体験し、那智は海の果てに向いた聖地としての地力を強く感じる。

様々な情報と地力を受けてヘトヘトとなりながら新宮に向う。

神倉神社の石段は、源頼朝が寄進したと言われる貴重な鎌倉時代からの作り付けのままであまりに急な傾斜に足がすくみ、ご神体のゴトビキ岩は地元でヒキガエルの意味。次に訪ねた渡御前社は、神武天皇の仮の宮だった場所だと言われ、それを石垣に見出そうと撮影。いずれも熊野速玉大社に関わりのある社とされ、熊野の信仰、歴史がしっかりと土地に根を下ろしていることをしみじみと感じる。さて、今回最後の訪問地である熊野速玉大社。鮮やかな朱色に柔らかな気持ちになりしっかりと撮影をし終えた。

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神倉神社の石段

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渡御前社

熊楠をガイドに熊野を旅する。そもそも地力があり様々な歴史が刻まれる熊野。そこで森羅万象に想いを馳せ日本本来のエコロジーの思想を極めていった熊楠。あまりの情報量に圧倒された3日間。熊楠に魅せられこの地に移り住んでネットを駆使して「み熊野ネット」「熊楠のキャラメル箱」Twitter「南方熊楠」などで情報を発信する大竹哲夫さん。そして熊野の地に憧れ移り住み映像メディアを駆使して発信する水野雅弘さん。いずれもが熊楠の後継者となって、この地から「自然生態系のエコロジー」「社会共生のエコロジー」「精神を支えるエコロジー」この3つのエコロジーをJapanese Ecologyとしてすでに発信しているように感じる。

あらゆる場所で様々な事があり遅れ遅れになるのが常の僕の撮影だが、大竹哲夫さんが立てた撮影計画をなんと無事終了。新宮駅からの特急南紀に間にあった。これはきっと、めまぐるしく変化する天候に素直に従いつつ執拗に粘る僕を、にこやかに見守ってくれた大竹さんとの相性の良さのなせる技かなと感じる。大竹さんから車中でと駅前の除福寿司を差し入れてもらい出発。ふと駅舎を見ると手を振る大竹さん。発車までしばらく時間があったのに待っていてくれた事に感激して大きく手を振って再会を約束。

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新宮駅にて

※全ての訪問先の史跡や場所のテキストリンクは大竹哲夫さんの「み熊野ネット」です。より詳しく知りたい方は是非クリックしてみてください。

次回は11月。「熊楠を思ふ」旅を続けます。


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2016年10月05日

今こそ「流域思考」!

この言葉、岸由二慶應大学名誉教授のイキザマそのものだと感じます。

ネーミング、キーワード、その概念や考え方を表現する言葉は多様だと思います。その人の経験によって、多面体の概念をどこから見るかによってアプローチが違うと思います。

岸先生は、自分の幼少の頃からの体験をベースに、研究室の中で時間を積み重ねるだけでなく、現場で自ら土に水に植物に昆虫に動物に混じり合いながら会得した思想を明快な言葉にして発することをされてきたのだと、僕は未熟ながらお話を聞きかじりながら感じてきました。お話を聞けば聞くほどに、自分の行動から生み出された言葉を大切にし、魂を注ぎ、イキザマを晒している純粋な人なんだと感じてもいます。

そんな「流域思考」という概念、いよいよ理解が広がり始めたのではと実感しています。

頻発する水害による河川堤防の決壊や避難指示の遅れなど、災害大国にありながら対処療法の問題点を指摘する報道ばかりが去年の秋頃には目についていましたが、ようやく「流域」という言葉がニュース番組でも使われるようになり、自治体の区分ではなく流域全体を俯瞰した課題の取り上げ方が見受けられるようになっています。

しかし、最近気になったのが、流木が海に流れ出し養殖施設を破壊している事実や、流木によって橋桁が崩壊した事実など、簡単に目に見えることを捉え、流木が悪者になる伝え方をしています。この流木、以前は伐採した木、つまり根がない流木が悪さをした事もあったのかも知れません。それは山で伐採した木を放置してしまった結果だと思うのですが、現在の流木は根があるものが多いと聞きます。根こそぎ流されてきている状態。つまり山の手入れが追いついていない実態が晒されている。日本の山の課題が浮き彫りになっていることを伝えて、根本原因である林業を応援する報道が欲しいと感じます。少し余談になりますが、伐採をした木が悪さをしないような森林施業管理を促すのが、国際森林認証FSCの役割でもあります。

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三重県紀北町海山

さて、岸先生が提唱する「流域思考」。この言葉を聞く機会が増えた事は喜ばしいのですが、気になる記述も増えてきました。そして「流域思想」や「流域環境思考」という誤用とも取られかねない言葉。

今一度、岸先生の言霊に耳を傾ける時が来ているように感じますので、思い立って書き記しました!

2012年の2月に、お声がけいただき初めてお会いして感銘を受け、2013年から2014年にかけて、岸先生と何度か行った「ESDと生物多様性」のワークショップや、僭越ながら僕がファシリテーターを務め、流域を語る錚々たるメンバーが集まり2014年2月に開催された東北大学の生態適応シンポジウム「東北のグリーン復興は流域から考える」でお話いただいた事を、頼りない記憶から思い出してみると、

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「地球生命圏は、Icy Land + Sandy Land , Rainy Landで構成され、人間が社会を構築するのは雨降る大地であり、雨降る大地は流域の入れ子構造でできている。生命圏の秩序に即し、生物多様性の保全回復・実践・教育は、水循環が大地を区切る「流域」を単位にすすめる。これが「流域思考」の生物多様性戦略である。(流域=雨や雪の水が水系に集まる大地の領域)

医学では19世紀に細胞病理学(病気は細胞の質的量的変化によって生じる)という現在の常識が確立するまで、体液病理学(人間は血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁の体液のバランスによって病気引き起こされる)が信じられていた。人間は大地に対して同じような過ちを犯しているとしか考えられない。雨降る大地は流域の入れ子構造であり、行政区分(人間の都合で線引きした管理区分)ではなく、自然の境界線によって管理しなければ、適切な予防(防災対策)ができず、適切な治療(災害処理)が出来ず、学習効果は得られず大地管理のスキル向上はない。

「流域思考」で大地を保全管理すれば、生物多様性の保全、資源管理、防災、津波、洪水土砂災害のいずれもに対応できるが、最大のネックは行政区を越える管理方法であるということ。」

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ヨコハマbデイ2012にて

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そして、昨年2015年9月の鬼怒川流域災害の際、数日に渡ってFacebookで皆さんに投げかけて多くの反響をいただいた文章も備忘録として以下に記します。

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「今日のNHKスペシャルを見て思う。」2015年9月12日

最初に流域災害という言葉は耳にしたが、最終的には広域対策という言葉しか出て来ない。根本対策の議論に至らない内容は極めて物足りないと素人にも判る。しかも番組の結論として、災害の専門家ですら「情報を活用できる社会を目指す」という。

避難指示を出した自治体の責任者は、国交省の浸水シミュレーションを見て色が付いていない川を渡った西側への避難指示を出したと言っている。溢れる川への想像力もないのも、大川小学校の教訓もないのも残念だが、隣接自治体への広域避難も出来ないと教科書通りのセリフを聞いて本質が見えたわけだが、それを指摘する事もないNHKの番組の構成の問題というよりも、自然の地図を俯瞰するという基本が、誰の頭からもすっぽりと抜け落ちているとしか言いようがない。

今こそ、慶應大学の岸由二名誉教授の「流域思考」による減災防災対策の水源域からの河川管理計画、流域圏の自治体で広域連携する避難対策を立て、それに伴う情報基盤を構築をする、これを広域だの県レベルだの国レベルだのという抽象的な言葉で結ぶのではなく、「流域思考」を最も理解している国交省が作成する事が急務だと言いたい。

そして同時に、義務教育の中で「流域思考」を取り入れて、どんな職業についても、常に自然の地図で物事を発想できる日本人をひとりでも多く育んでもらいたいと切に思う。これはESDの基礎でもあると思っている。
そうしなければ、これからこのような気候変動の影響を受けた異常気象による流域災害は続発するはずで、これがまさに気候変動、温暖化対策の「適応策」に他ならない。どうしてここまで番組で語れないのか。いま、防災減災を世間に向けて語る方々には岸由二先生の著作を読んでいただきたいと、焦りとも嘆きとも思える感情でこの文章を書きました。

誰かを攻撃したいわけではありません。1人でも多くの命を守るために、1人でも自責の念にかられる人を減らすために、多くの人に発信できる人たちと必要な事を始めなければならないという気持ちだけです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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「慶應大学岸由二名誉教授が提唱する『流域思考』とは!」2015年9月14日

地球の陸地は、氷の大地、砂の大地、雨降る大地で構成され、人間の経済活動は雨降る大地で営まれている。この雨降る大地は水の流れによって、毛細血管と細胞のように構成されている。という基本から発する考え方で、地球に生きるための人間の基本そのもののお話と、僕は受け止めています。

これをベースに社会を考えるというのは自然な発想であり、いまこの根本が完全に抜け落ちている対処療法によって、公共事業や防災計画が立てられているのではないかと懸念しています。時代をシフトする、持続可能な社会づくり、、、いろんな言葉で多くの人が未来をより良くしたいと行動しています。そんな活動の全ての基本に、この「流域思考」が必要だと思っています。

「行政区分図」で見ていた社会づくりを、流域圏による「自然の地図」で俯瞰することで、社会インフラの根本を見直す事になり、持続可能な社会にシフトするヒントが満載だと思っています。改めて1人でも多くの人と、この「流域思考」を共有できたら幸いです。

サイト検索するといろんなページがありますので、ぜひお時間のある時に検索してみてください。まずはこのThink the Earth Paperを読んでもらえたら良いのではと思い共有しますね!
Think the Earth Paper「流域思考」 

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「これが『流域思考』だ!」2015年9月15日

1人でも多くの人に読んでいただきたい。

慶應大学岸由二名誉教授が、今回の鬼怒川の水害を捉えて、「流域思考」を非常に丁寧に話しています。NHKスペシャルで浮き彫りになった自治体の避難誘導の課題、学校教育の現状、これまでの水害にも触れ、気候変動、生物多様性の危機に対する「適応策」、今後の具体的な対策までコメントしています。そして入門編に「流域地図の作り方」の著作紹介も。カユい所に手が届く内容です。

先日来、僕がつたない文章で書いた「流域思考」が、いよいよ岸先生ご本人と日経BPの柳瀬さんとの会話で解き明かされています。是非読んでください。とても早いタイミングでの記事化、柳瀬さん、流石です。素晴らしいです。ありがとうございます!
鬼怒川の水害、再発を避けるには「流域思考」が必要

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さあ、今こそ岸先生の話す「流域思考」に耳を傾けよう!

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ヨコハマbデイ2012にて

posted by 川廷昌弘 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

熊楠を思ふ。

来年、南方熊楠生誕150年の節目を迎える。

それを機に「ジャパニーズ・エコロジー」を考え発信したい。知の巨人の全てには迫れないけど、エコロジスト、アクティビスト熊楠の一面だけでも、日本の知恵が地球の持続可能な営みを続ける知恵であることを伝えたい。

自然共生社会の「コミュニケーション・デザイン」「教育ツール&プログラム開発」「普及啓発事業」をミッションとするプロボノ集団である、一般社団法人CEPAジャパンの主要活動の一つを推進するため、盟友の水野雅弘さんが考え至ったコンセプトを実現するために、理事有志による「南方熊楠探検隊」が揃って南紀入り。

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自称「ダブルまさひろ」水野雅弘さんと田辺湾で

南紀の海を見下ろす水野さんのオフィスでのディスカッションで、「警鐘」を鳴らした熊楠という水野さんの言葉から、「警鐘」が「継承」でもあるなと漢字変換してみたら、「形象」が出て来た。これは見えないものがカタチになって現れるという意味であり、まさに熊楠が考えていた「ロゴス」を越えた「レンマ」を意味し、「景勝」は風景であり、熊楠は天然風景は「わが国の曼荼羅」と言った。この4つの「KEY-SHOW(けいしょう)」=「警鐘」「継承」「形象」「景勝」を考えていきたいと整理をしてみた。水野さんとのディスカッションはいつも相性良くテンポ良くアイデアを重ねていく刺激がある。

その後、「み熊野ネット」を運営する熊楠の研究者でもある大竹哲夫さんの講義のあとのディスカッションで、神社合祀の反対運動で柳田邦男に記した「南方二書」で熊楠が挙げた8つのポイントもこの4つの「けいしょう」に収斂されることが創造できた。この8つのポイントは今年の南方熊楠賞を受賞された中沢新一さんの「熊楠の星の時間」でも記述されているが、

1、神社合祀は敬神の念を薄くする
2、神社合祀は民の融和を妨げる
3、神社合祀は地方を衰退させる
4、神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する
5、神社合祀は郷土愛、愛国心を損なう
6、神社合祀は土地の治安と利益に大きな害がある
7、神社合祀は史蹟と古伝を滅却する
8、神社合祀は天然風景と天然記念物を滅亡する
の8つので、これを伝えようとした熊楠の気持ちを踏まえた4つの「けいしょう」。

この神社合祀の反対運動で熊楠が掲げた「エコロギー」という言葉。熊楠は100年も前の明治の世で、「3つのエコロジー」つまり生態系のバランスが守られた「自然のエコロジー」の維持のため、人間社会のバランスである「社会のエコロジー」に目を向け、それが「精神のエコロジー」の健全を守るという連鎖を見ていたという記述も「熊楠の星の時間」にある。

さらに、「風景を利用して地域の経済の繁栄が得られる工夫をせよ」と言い、「風景と空気が金儲けになる」と、地域にある自然や文化的資産が観光産業の資源になると考え、持続可能な風景を維持した地域を未来に託そうとしたのではないかと、大竹哲夫さんの講義の中から知った。

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大竹哲夫さんとのディスカッション

そんなビンビンと精神に響く話の後に打合せのために訪ねた南方熊楠顕彰館。敷地内には熊楠の住んだ家がある。建物を見た瞬間に、魂が呼ばれるように本能のままに建物に近づき一気に童心に還って撮影に没頭してしまった。顕彰館の皆さんも閉館時間が近いから先に見学をどうぞと笑顔。「おお」と声を上げながら、熊楠がここに確かにいたという光と風を感じながら一人興奮のままにシャッターを切った。

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熊楠の書斎

その後の会議で、150周年事業の構想アイデアを聞かせていただき、自分たちが何がしたいのかの想いを伝え、今後も意見交換と恊働の可能性を得た。自分たちのスキルとアイデアを最大限に提供させていただきたいと考えている。熊楠が100年前に、景色と空気が金儲けになると言った事の本質を学び、コミュニケーションデザインしたい。いろんな方と形にできたらと思う。

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南方熊楠顕彰館での打合せ

2月に熊楠を思って水野さんと一緒に中辺路を巡ってから半年。熊楠関係の本を読んで妄想はしていたがいよいよ始動。

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大竹哲夫さんと本宮で

水野さんと構想している事の第一歩として、大変に幸運で光栄な事に大竹哲夫さんが構想している「熊楠本」出版に向けて写真家として恊働させていただく事になった。大竹さんが本の中でガイドを考えている33カ所全ての撮影。そのために年内に3回撮影の予定を立てている。メール等でやり取りをしているが、その都度、興奮のボルテージが上がっていっている。CEPAジャパンの活動で、写真家として機能できるのは今の自分には一番幸せなことかも知れません。

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継桜王子

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熊楠を思ふ。


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2016年08月03日

都会で観るセミの神秘

東京のど真ん中にある日比谷公園。日没と同時に主役が入れ替わります。

今日は、僕が代表を務めている「一般社団法人CEPAジャパン」が応援している、夏の恒例イベント「セミの羽化観察会」(主催:NACOT 自然観察指導員東京連絡会)が開催され、自然の神秘の時間があっけらかんと展開されている知られざる日常を覗いてみました。

明るい時間は、割れんばかりのセミ時雨の中、目に見えるのは集まった70人ほどの家族連れと40名の自然観察指導員の人、人、人が主役。NACOTメンバーの、スムーズな説明から子ども向けのクイズで上手く話に参加者を引き込んでいき、そこで注意事項。特に、観察に夢中になって足元に他の幼虫が出て来て歩いていたら、せっかく何年も土の中で成長してようやく地上に出てきたのに、、、という事にならないようにと、大切な気配りを教えてくれます。

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日が暮れてセミの鳴き声も収まり始めると、子どもの歓声の先には木に登るセミの幼虫のけなげな姿。暗くなった周辺を見渡すと、懐中電灯がチラチラと動き黒い人影が囲む先に光に浮かぶ羽化を始めたセミの幼虫達。

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気がつけば、そこかしこでアブラゼミ、ミンミンゼミと思しき幼虫達が次々と木々の葉に辿り着いていて、主役が人間から昆虫達に移行していきます。

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ググッと白い体が背中を破ったり、体を反らせて体を殻から抜き出したりすると人間の歓声が上がります。この頃になると、子どもだけでなく大人の声も大きくなってきています。どちらかというと、大人にスイッチが入ってきています。それもお父さんよりお母さんの方が熱くなっている感じ。なんて自然で素朴な時間。セミの神秘な時間の感動もさることながら、そんな人々に感動します。

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というのも、よくよく見ると、スマホを片手にうつむいて歩く大人達が大勢。周辺ではリアルな営みが展開しているのに、バーチャルな世界に入り込む人も居るという何ともカオスな光景です。「ポケモンGO」もいわば虫取り感覚で僕も楽しんでいますが、さすがに自然の神秘を前にするとその魅力は段違いで霞んでしまいます。

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あっと言う間に2時間が経ち解散。居残って観察を続ける家族が多数。素敵な夏休みのひととき。少年に還る大好きな時間です。

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2016年07月03日

昆虫王国2016

今年も「昆虫王国」へ。

例年、外灯に飛来して交通事故に遭ってしまうカブトムシを救済と称して連れ帰っていますが、今年はその次世代たちが例年より早く羽化。しかも数が多くてみんな大型だったため早々に故郷に帰してあげたくて、例年より2週間も早いタイミングで行ってみました。

夕方に到着し、相変わらずの穏やかで涼やかな夕暮れを過ごし、日が暮れて少しずつ人や車の数も減っていくと、小動物と昆虫達の時間がやってきます。僕はまるで闖入者。人間以外の生き物の時間に入り込んだ感覚になっていきます。

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例年通り、家から連れて来たカブト(ちょうどオス10匹、メス10匹)を樹液がしたたるクヌギの木や根本に。無事に野生に還りますように。

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しばし見届けてから、例年確実な外灯へ。今年は3カ所に絞って行ってみると、ある場所ではキツネと猫?が外灯の下で待ち受け、ある場所では既に傷ついて飛べなくなっている大きなカブトやコクワガタ。たぶん外灯のまわりを飛んでいる時にコウモリにやられたのではないかと推察。

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それでもしばし待っていると、ボトッ、ボトッと落下する音。コクワガタ、ノコギリクワガタ、カブトムシ、それぞれオスメス大小混ざってやって来ました。今年は、大きなカブトムシのオス1匹と元気なメス2匹を救済して帰路につきました。

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こちらは、外灯の周辺で何も考えず座り込んで、「昆虫王国」の匂いに酔いながら気持ちの良い風に涼んでいるだけの優雅なライトトラップ。毎年、一夜だけですが、こんな少年時間を過ごせる事が、かけがえのない僕の幸せです。

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posted by 川廷昌弘 at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

東北の海岸林5 浜昼顔と潮騒

例年より早く訪れたハマヒルガオの季節。先月の撮影で撮りこぼしたポイントに向かう。6月4日(土)に南三陸で会議を行ったので、せっかくの機会を活かしレンタカーで南下する事にした。

6月5日(日)

石巻の渡波海水浴場から開始。アメリカの写真家Robert Adamsの手法に刺激を受けて追加撮影。続いて七ヶ浜に向かう。浜沼の小さな浜辺。沖にテトラが入っているのが残念だけど、スネほどの段差が堤防のようになっているだけで松並木に守られた素敵な景観。足元にはハマヒルガオ。七が浜の正面は既に防潮堤で海は見えないが、高い目線の眺望は広い砂浜が広がり一安心。

仙台南港の波乗りポイントを初めて眺めてから蒲生干潟周辺。広い広い長い長い砂浜。ここには防潮堤はない。人知れず一面に広がるハマヒルガオと、播州高砂が由来の高砂神社の老松の松韻。思わず目を閉じる。海辺にあるべきものがそこにある安堵感。平時の営みが戻ることを祈る。そして夕暮れの荒浜に着く。貞山堀の遥か向こうに広がる砂浜、その波打ち際に防潮堤の建設が見える。海が見える状態を写真で残す。

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荒浜の夕暮れ

これで、青森の三沢市から茨城県の北茨城市まで約550kmほぼ海岸線で走破した。下北半島の尻屋崎から南下し、三沢の海岸で津波の爪痕を見つけたのでここを起点とし、岡倉天心の六角堂が津波後に再建した事をきっかけに、日本美術院の志から想起するものがありここを終点として撮影エリアと定めている。これで、このシリーズのフレームが浮き彫りになったと感じている。今後は情緒とメッセージを付加する補足撮影になるのかなと思う。鳥の海の脇にある「わたり温泉」で疲れを癒し閖上浜で車中泊。

このシリーズとは、2009年に新宿と大阪のニコンサロンで発表した「松韻〜劉生の頃〜」の東北版になる。湘南のシリーズもコツコツ継続しており並行して撮影している。湘南のシリーズでは松のある風景が与えてくれる感性を過去に遡り、東北のシリーズでは感性を未来に残すことを表現できたらと思案している。ハッセルブラッドに80mmの標準レンズ1本だけでモノクロフィルムで撮影するという根気のいる作業。さてはてそんな理屈が実現するのかどうか、どれだけ時間が要するのか、自分を信じてやりたいと思う。

6月6日(月)

朝5時起床。曇天だが雲の切れ間から太陽。朝日に照らされる海の撮影。ハマヒルガオやハマボウフウも咲く浜辺は花園。天気予報は一日曇天だが、少しでも晴れてくれることを期待して常磐道を双葉海水浴場に向けると、山沿いを走るからか段々と雲が重たくなり雨が降ってきた。海側に目をやると空は明るいので、きっと大丈夫と諦めずに先を急いだ。

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閖上の浜

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閖上の浜昼顔

福島第一原発に最も近い海水浴場。先月に初めて訪れ引き込まれた撮影イメージの象徴的な場所。間もなく工事に入りそうなので最後の撮影チャンスだったのかも知れない。広い砂浜には誰の足跡もない。人工物は壊れ、その上に砂や草がゆっくりと覆っている。このまま活用したら良いのにとつくづくと思う。そんな想いのままに撮影。すると段々と青空が広がりいつの間にか夏色の砂浜と海。

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双葉海水浴場

続いて先月に辿り着けなかった撮影ポイントに向かう。富岡駅のすぐ近くの海岸。福島第二原発の煙突から出る水蒸気が見える。立ち枯れた松。壊れた堤防。海辺の原風景がここにはあったのだろう。そこに海を隠す防潮堤の建設。海岸のすぐ近く草に覆われた線路も撮影。

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富岡の堤防

楢葉町の本釜の海岸。大きな玉石と打上げられた松が目立つ。砂浜はきめが細かい。ハマヒルガオも遠慮がちに咲いている。しばし佇む。

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本釜の浜

次に広野火力発電所の脇の岩沢海水浴場。車を止めて松に囲まれた階段を降りると発電所に添ってブレイクする波にサーファーが一人占め。小さな海水浴場だけど、子ども達の歓声が聞こえてきそうな印象深い場所。続いて広野の大きな海岸に出たが、防潮堤工事の内側に法面が異様に広く高さのある道路工事。ここで補足撮影が突然に終了。まだモヤモヤするので楢葉町の本釜の海岸に戻って撮影に没頭した。17時を過ぎて今回の撮影終了。最後まで太陽が付き合ってくれて晴れ男の面目を保てた。

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岩沢からの眺め

ここから一気にいわき駅に向かう。iPhone地図アプリで検索すると大きく迂回する県道35号線が常磐道と大差なく着くと示すので走ってみた。山間部や里山風景を抜ける素敵なドライブコースで車窓を楽しみながらいわきへ。レンタカーを返し特急ひたちに乗って帰路につく。

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本釜にて。


posted by 川廷昌弘 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする