2015年12月20日

グリーン復興会議、次なるステージへ!

今日は、東北大学での「グリーン復興」会議で非常に充実した議論ができた。結果から言うと、「グリーン復興の知恵」をコンテンツ化する計画を今年度から着手することになった。この会議体で発表され共有された多くの事例に対して有志による取材チームを構成し編集していく。

東北の明日、日本の将来、そしてアジア諸国の災害に苦しむ地域の将来に、少しでも役立つツールを目指してみようと、来年以降の集まる機会も、取材&編集作業の進捗に合わせて2回の予定となった。その議論の経緯と詳細を以下に記してみる。


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東北大学の「海と田んぼからのグリーン復興(通称:うみたん)」会議。2011年4月に立ち上がったこの会議も今回で22回目の開催。来年の3月で5年の節目を迎えるにあたって、今日は「グリーン復興」とは何なのか?をこれまで会議で共有した78団体、54活動事例を振り返り、2020年のオリンピックパラリンピックや、2021年の10年の節目に何が出来ているのか考えることにもなった。

これまで取り組んできた内容は、エコツーリズム、海浜植生の回復、第一次産業の新たな一歩、巨大防潮堤、コミュニティ再生、自治運営そのものまで、全て現場でのアクションであり、地域住民が主役であり、それをどのように関わって、地域の自然を大切にした町づくりを進めることができるのかを考えるプロジェクトと言える。

プロジェクトのリーダーである中静透東北大学教授は、これまでの5年を振り返り何らかのカタチで残し、今後を展望できたらと考えており、今日は代表的な事例の「東北沿岸部の海浜植生の再生」「浦戸グリーン復興プロジェクト」の発表と今後のプロジェクトを議論する進行案を組んだ。

後半の議論から記すと、事務局の岩渕翼くんからこれまでの参加団体と事例を紹介し、今後をどのように考えていくのかの口火を切ってもらって、中静さんから今後を考やすくするため論点を整理していただいた。

中静さんの冒頭、初心に戻るために振り返った2011年5月22日に環境省のイベントで行った「グリーン復興宣言」は懐かしくさえ感じるものだったが、「主な活動目標」を良く読むと現在を見抜いたかのような記述が眼に飛び込んできた。

抜粋すると、
===
1.生態系の機能を活用した災害のリスクを和らげる土地利用
■沿岸の水田復元、湿地の力で農地の地力を回復。復元が難しいところは、新たな自然再生の場(干潟、海岸湿地)としての利用。
■オフセット、税制優遇制度(保全地役権等)、保険など災害を緩和する土地利用に関する資金メカニズム。

2.流域全体の生態系からの恵みを低下させない防災・造成の配慮
■海の自然の保全と良質な水源確保のため、適切な森林管理や土砂流出の少ない土地開発。
■海の生物資源や、生物の移動に配慮した建造物(鉄道・道路)を作る。浸水の流れを緩和し自然と調和する建造物の工夫。

3.生態系とその回復力を活かした、持続可能な営みの創造
■地域の農林水産業、観光、教育計画を構想する際、地元文化と生態系の回復力を取り入れて営みを考え共有し合意形成を図る。生態系からもたらされる景観や、郷土の持つ文化的な価値を積極的に高める。
■バイオマスエネルギー、小水力など、小規模な自然エネルギーを利用し、集落のエネルギー自律性を高める。
■東北の豊かな食文化・地域資源を通して、復興と生物多様性の両方を支える他地域からの長期購買予約や投資などの、安定的な資金メカニズムをつくる。
===

まるで、南三陸で町民の皆さんや町役場の皆さんと共有して進めている活動のテキストのようで、被災直後の視察をした中静透教授、河田雅圭教授、占部城太郎教授は、これらの事をこの段階で文字にしていたことの驚き。少し冷静に考えれば極めて基本的な事なのかも知れないが、まさに慧眼。ちなみに僕は、写真家として町を俯瞰して視点を深めて安定させて絞り込み、皆さんとの交流を深めながら考えを整理して、ようやくこの内容に追いついて進めている状態。

中静さんの話しを続けると、このプロジェクトの特徴的な成果として、
モニタリングの東北地方太平洋沿岸地域自然環境調査しおかぜ自然環境ログ
企業連携の東北グリーン復興事業者パートナーシップ 
などの展開も意義深い成果とした上で、これまでの復興の方向性と状況、各事例の進展、プロジェクトの役割、実際の活動に対する助言、行政などに対する発信、情報交換を行ってきた実態から5年間の総括を行い、今後の活動のあり方について整理。

1、発信の方法と形態
2、今後の活動のあり方
3、資金

ここから僕が議論を進行し、参加者から本当に活発に意見を出してもらった。それをボードに書き留めながら、議論を整え方向性を探りつつ、感じつつある出口に向けて議論を流し込んでいったのだが、「発信の方法と形態」について丁寧に時間を割いた。というのも、もしかしたらこのプロセスがプロジェクトの軸になるのではないかと議論をしながら感じたからである。一般に、「グリーン復興」という言葉は馴染みにくいので「町づくり」といったほうが受け入れられるという言葉の問題から、媒体社と連載など企画連携して成果物を作る、学術的な報告書形式にする、一般に向けたビジュアル書籍にするなどの形態のイメージや、読み手は何を期待してこのどのように活かすものを作りたいのかというアウトカム(具体的な成果)をイメージすることまで、多様な議論ができた。その結果、

1、出版物として残す
2、このプロジェクトで共有された事例を活用する

という前提のもと、

ターゲットは、
1、東北で今もこれからも活動に取り組む人
2、来たるべき災害へ備えて活動している人
3、沿岸部に限らない社会課題を抱えた地域の人
4、海外の被災地などで活動する人

形態は、

1、自治体職員や研究者向けのようなドキュメント
2、一般に読みやすい内容に加工した書籍

の2方向が浮かんできたところで、上田壮一さんから参考事例を踏まえた発言あった。

1、震災イツモノート 
2、タイムラインマッピングプロジェクト

その結果、「グリーン復興の知恵」をこの2つの手法を参考にコンテンツ化するという実像が見え、問いかけるメッセージも以下のように整理できた。

1、地域の自然を防災・減災に活かしませんか?
2、地域の自然を活かした復興をしませんか?

そして、「グリーン復興」のロールモデルを「南三陸町FSC、ASC認証を活かした町づくり」と「浦戸グリーン復興プロジェクト」とし、それぞれ取材しながらコンテンツの中身を具体化する。

資金に関しては、基本は東北大学で調整するが、事務局をサポートするCEPAジャパンなど参加団体も協力することとし、ロールモデルは今年度の事業として着手。来年度に78団体、54事例の中から取材に応じてもらえる事例は基本的にすべて実施する計画とした。

早速、取材チームを構成、今井麻希子さんをリーダーに、上田壮一さん、服部徹さん、岩渕翼くん、岸上祐子さん、僕が、中静先生達と連携を図って動く。

そして、来年の活動そのものは、この事業を軸にして役割に応じた会議の開催という方向が浮かんできた。

2016年前半 活動報告の共有+出版物の目次作りを目的としたワークショップ
2016年後半 出版物のお披露目会

また来年9月にハワイで開催される国際自然保護連合の世界自然保護会議と、12月にメキシコで開催される生物多様性条約締約国会議を見据える。

以上の内容を参加者の承認を得て議論を終えた。


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他に、今井麻希子さんからは国連防災会議で採択された「仙台行動枠組」の中で、グリーン復興を実体化させるべくという呼びかけもあり、「生物多様性」「生態系」「気候変動への適応」の3つのキーワードの入った文章を引用元として、コラムの付記をしてもらえるよう検討してもらうことになった。

===
仙台行動枠組
I. 前文
兵庫行動枠組:教訓、確認されたギャップ、今後の課題
5. 人、コミュニティ、国家、その暮らし、健康、文化遺産、社会経済的資産、そして「生態系」をより効果的に守るために、災害リスクを予測し、そのために計画を立て、そして削減すること、それによってそれぞれの強靭性を高めることが、緊急かつ重要である

VI. 国際協力とグローバルパートナーシップ
一般的考慮事項
実施方法
(d) 貧困削減、持続可能な開発、天然資源管理、環境、都市開発及び「気候変動への適応」に関連した、各セクター内やセクター横断的な多国間及び二国間の開発援助プログラムに、適宜、災害リスク削減の各取組を統合する。

優先行動2:災害リスク管理のための災害リスク・ガバナンスの強化
世界レベル及び地域レベル
28. この達成のために重要な行動は以下のとおりである:気候変動、「生物多様性」、持続可能な開発、貧困撲滅、環境、農業、保健、食料栄養など、災害リスク削減に関係する施策の実施と調和のため、地球規模・地域的な仕組みや機関の協働を促進する
===

また、残念ながら療養で欠席となった北海道の鈴木玲さんの「北の里浜 花のかけはしネットワーク」としての岩手から宮城の各地沿岸部の海岸植生の精力的な再生活動「地域を超えた恊働による海浜植物の一時的避難と再導入」について。

名取市閖上の大橋信彦さんと僕とで報告し、特に今後の活動で巨大防潮堤の上にその地で採集した種子を入れた土嚢を設置し穏やかな連続性を生み出す計画は、今後の彼の活動の重要性と必要性を大いに感じるもので、多くの協賛企業を得られたらと切に願い、こちらの活動もサポートできたらと考えている。


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2015年11月11日

鷲尾倫夫さんの写真展「巡歴の道オキナワII」を観た。

鷲尾倫夫さんの写真展「巡歴の道オキナワII」

鷲尾さんの眼を通して沖縄を俯瞰するような内容だった。前回の写真展では、鷲尾さんが沖縄に対して構えていたというのか、見る側に緊張を強く感じさせる内容だったように記憶している。それに比べて柔らかく感じた。最後から3枚目に少年の写真がある。この1枚でやはり優しいと感じ、2周目にこの写真を観た時に、この少年は鷲尾さんだと気がついた。というか鷲尾さんの意図を見抜いた。

鷲尾さんも沖縄に通いながら変化していったようだ。古老から話しを引き出すことから、語りを待つようになったという。それも眼を観ながら待つという。きっと年上からしたら人懐っこく見える鷲尾さんの瞳にひかれるように語るのだろうと想像する。

明るい時間に何度か通った洞窟に夕方向かったそうだ。どんどん日が暮れるにつれて空気が重くなって息苦しくなり、ついには立てなくなりうずくまったという。そんな沖縄の呪縛も体験し、鷲尾さんは何かの一線を越えられたのかもしれない。人々に向ける視線が鷲尾さんが本来持つ優しさに貫かれているのは、それが理由なのかもしれない。そしてあの少年を見つけるに至ったのかもしれない。

全体を通して時間が止まってしまったような、置き去りにされてしまったような沖縄が浮かんで来たり、余りあるチカラを抑圧され抱えたままの若者がいたり、誰にも言えない物語を心にしまって今を生きている古老があまりに自由でいたり、今の沖縄を鷲尾さんの本来の優しさとフォーカス時代に培ったスナイパーとしての鋭さとで表現されている。

通ううちに古老から「ご飯は食べたのか?」と聞かれるようになったという。「どれほどご馳走になったかわからないが、本当に美味いんだ。」という。それだけを聞くと地域に入っていく典型的な手法なのだが、それでも外の眼で沖縄という一つの地域を見つめる。沖縄には沖縄の時間があり、それを自由に撮っているだけだと鷲尾さんは言いたいのかもしれない。

黒人を撮った時に、相手が「何故撮る?」と迫ってきたらしい。その時に、あまりにピュアでストレートで美しい写真家らしい言葉で鷲尾さんが返したら、スッと体の力を抜いて「オーケーだ」と言ったらしい。その言葉を僕はいただくが、ここには記さないようにしようと思う。僕だけが教えてもらった写真家の企業秘密のようなものだから。

鷲尾倫夫さん、2009年に僕が新宿ニコンサロンで個展を開催した時に出会って以来、お手紙をいただいたり、2013年の鷲尾さんの展示でも語り合い、淡々としたペースで親交させていただいている。恐れずにいうと、僕にとっては写真を見る眼を試される写真家の良き大先輩になっている。

2013年の鷲尾さんの展示のことを書いたブログはこちら。
2009年の鷲尾さんとの出会いを書いたブログはこちら。


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2015年05月31日

東北の海岸林3 ヤマセに包まれる

5月30日(土)
この週末は、小泉海岸と陸前高田。爽やかな青空のもと、お気に入りのジャパンレッドに乗って、撮影機材だけを担いで向かいます。

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一関駅からレンタカーで一気に気仙沼市内。真夏のような雲が泳ぐ空の元、気仙沼の尾崎神社を起点に南下、と言っても心に引っかかる風景だらけで遅々として進まず。岩井崎、階上、御伊勢浜。

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すると夕方から急に海から薄く雲が広がってきたなと思ったら、あっという間のヤマセ。一気に濃い霧に包まれ幻想的な景観でさらに印象的な風景、特に明神崎で出会うことができ、半日とは思えない多彩な撮影をして日没後に小泉海岸に至る。

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シーサイドパレスの撤去のための土木工事が始まっていた。夜ご飯は小泉の阿部正人さんと小野寺久一さんとご一緒させてもらい、地域で生きていくエネルギーの凄まじさに感銘を受ける時間となった。陸前高田の港湾施設の駐車場で車中泊。

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5月31日(日)

高田松原を守る会の皆さんを訪ねた。

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以前、東北大学のグリーン復興会議で鈴木会長にはお会いしていたがそれっきりだった。鈴木会長、小山副会長にいろいろお話を聞かせてもらって有り難い一日。同世代の渡辺さんにご丁寧に対応いただき感謝。

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主に高田松原で拾っておいた松ぼっくりや、津波の後で拾った松ぼっくりなどから育苗。さらに松原再生に向けて造成地の状態を想定して試験的に育苗。全国各地からのボランティアの皆さんの支援で着実に作業を進め知識を蓄積される姿は、50年後に再び松原が戻る日に向けた地拵えそのもの。この粘り強い郷土愛に心を打たれまくった今日だった。

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昼食のとき、まさに津波に襲われているときのこと、なまなましいことを自然とお話されていたが、皆さん、今になってようやくこのように話せるようになったと声を揃えていたのが印象的だった。

午後は、鈴木会長のポートレイトと、鈴木さん、小山さんの作業を撮影。

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長洞の漁港の脇にある松の木立に引き寄せられ撮影。日没は一本松を周囲の工事現場から撮影。地域で生きるチカラをしみじみ感じる2日間に感謝!

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2015年05月05日

東北の海岸林2 あてのない旅

4月29日(水)
あてのない撮影の旅に出ました。今夜はここにいます。新緑の風景から積雪の風景へ。

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(乳頭温泉)


4月30日(木)
下北半島です。菜の花と風力発電。総ヒバ造りの温泉!今日はここに投宿します。周辺には東北森林管理局の青森ヒバ施業実験林があります。

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(薬研温泉)

5月1日(金)
今日の午前、寒立馬と尻屋崎灯台。出会い頭で、良いタイミングでした。猿が森ヒバ埋没林に立ち寄り、下北半島の太平洋側を一気に南下。ヒバの施業林が延々と続きます。

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三沢市。津波被害はこの町からのようで、真っ白な防潮堤が視界に入ったので、明日はここから撮影開始と決め町の人ご用達の古牧元湯でしっかり温まり、今夜から車中泊です。

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(古牧元湯)

5月2日(土)
大好きな旅の途中です。三沢市からは津波被害の海岸林を撮影目的に絞って南下。八戸市の大須賀海岸でも被害の痕跡をみましたが、幼松が自然に生えてきていました。海岸沿いをキョロキョロしながらの走行で、なかなか距離を稼げないノンビリ旅。4泊目は久慈市の山中にあるべっぴんの湯で体を温めてから港湾地区の公園で車中泊。天然温泉の熱めの良い湯!夜中に警察の職務質問。懐中電灯で車内を照らされ安眠妨害なり。

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(べっぴんの湯)

5月3日(日)
目覚めると南の小袖方面にヤマセが覆い被さっています。野田村に入り数本の立ち枯れた松が残る十府ヶ浦が強烈に印象深く、普代村では大きな水門に佇みました。近くの山から鋭い猛禽類の鳴き声が響きます。漁港では巨大な防潮堤に圧倒されつつ、黒崎の燈台とアンモ浦展望台に立ち寄り北山崎に至りました。お昼はここにしました。ここでもヤマセがフォトジェニックな景観をさらに演出していました。

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夕刻に田老です。真新しい港湾施設が復興のチカラを感じ、町中は破壊された防潮堤が目を引きます。僕も含めて多くの人々が観光見学に立ち寄って行きます。
今夜は宮古市内の旭湯。源泉ではなく、北海道の炭酸カルシウム温泉を使った懐かしの銭湯でした。今日も寄り道だらけで100kmほどしか前進できませんでした。車中泊も3泊目。旅に出て5泊目です。何だかとても自由で、自分の社会的ポジションを忘れてしまいそうな今夜です。

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(旭湯)

5月4日(月)
5時起床で浄土ヶ浜。今日は駆け足ペースとなり陸中山田、大槌、根浜海岸、釜石を経てお昼に大船渡。四季旬菜中村の浜っこ丼は新鮮で美味しかった。午後は陸前高田、奇跡の一本松。溢れる観光客の1人として来ました。周辺のベルトコンベアと広大なカサ上げ工事。7万本の松原が蘇る事を願います。気仙沼市内を通り抜け、今回の旅の最後の撮影ポイントになったのは、気仙沼は階上の海でした。

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下北半島まで北上して、最北端の尻屋崎から約400kmを4日もかけた寄り道だらけの旅。三沢市からは津波被害の海岸林を訪ねる旅。これからも大好きな海岸林を撮り続けたいと、気持ちを新たにする旅でもありました。


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2015年01月17日

阪神・淡路大震災から20年

あれから20年。はやくも20年。ようやく20年。

人が成人するだけの歳月も経てば、風化は当然なんだと感じていました。だからこそ誰も語っていないことを語る必要がある。伝える必要がある。責任もある。しかし、これまで被災体験は境遇によって違いがあり自分の経験が語るに値するのかどうか自分では判断できない。機会を与えてもらって語ることを許されたように安堵して話をしていました。

今日という日に芦屋の町を歩いて、僕も被災した者として語って良いんだという、何と言うか解放を感じたのです。

自分だけの物語にしない。むしろしてはいけないとさえ感じました。人の数だけ物語がある。言葉では判っていたけど、僕も物語る一人で良いんだと思えました。これまでは写真で表現することで補っていたのかもしれません。写真の力を借りなければ被災者だとは言えないような感覚だったのかもしれない。それは、僕よりももっと辛い想いをし苦労をしている人が圧倒的に多いからそう考えて当然だと思っていたのです。

しかし経年劣化ではなく風化によって、被災の大小、強弱ではなく、誰もが物語の主役であって、その物語を一人でも多くの人と共有することが、次への学びとして人のためにもなり、人としての成長にもなる。

2015年1月17日、僕は初めて芦屋公園の慰霊と復興モニュメントで、記帳して献花して手を合わせることができました。これまで、僕にはそんな事をできる資格はないと思っていたので、とても清々しい気持ちで松林を歩く事ができた。被災から20年を経て、僕もようやく被災者として成人できたのかもしれません。

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芦屋公園の献花台。

故郷にある芦屋市立美術博物館の看板に「一年後の桜」が咲きました。この地に生まれ、この地で被災し、想いを記録した者として一言。「感無量」です。

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芦屋市立美術博物館前

2015年1月17日、芦屋市立美術博物館の第二展示で感じたままに。写真の一人歩き、一人語り。

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展示作品の前で美術館の皆さんと

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2015年01月11日

写真家という生き方

2013年に出版されたセバスチャン・サルガドの特大写真集「GENESIS」を久しぶりに開いてみた。

初めてページをめくったときに震えるような感動をしたけど、そのときよりも静かに深く染み入ってくる。サルガドが言いたいことは強烈に視覚が刺激されて脳にビシビシと伝わってくる。これだけのスケールで作品を撮って編集できる写真家は世界で一人しかいない。圧倒的なチカラを感じる。

情緒的に「創世記」と訳していいのか、ストレートなメッセージである「起源」と捉えていいのか、地球に暮らす生命体の起源を表現したものだと受け止めた僕には「起源」と読める。


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サルガドは、ブラジルの農家出身で、大学で経済学の博士をおさめ、独学で写真家となって世界中の飢餓貧困、過酷な労働など、人間社会の歪みそのものを撮影してきた。その結果、本人の精神も病みつつあり写真家活動を休止し帰郷した。

そこで、年老いた両親から受け継いだ農地が世界で起きている社会問題と同じく森林破壊の場となっていることを知り、地球に住まう生命体としての基本に立ち返る精神で思考するようになった。気候変動、生物多様性、循環型、人間社会の言葉に置き換えるまでもない思考で農地を森林に戻し、写真家として再び機材を持って世界を駆け巡った。それが「GENESIS」となった。

これ以上のメッセージがあるだろうか?

これはサルガド自身がTEDで話したことです。16分ほどで人生を語っています。世界中に多くの素晴らしいTED Talkがありますが、僕にはこのTalkが最高峰であり、もっとも影響を受けます。そしてもっとも理想的な解決策の提示だと思います。

写真家という生き方が、単に人より良い機材を持って、人より撮影に関する知識を持って、人より上手に撮影するだけでなく、いきざまそのものからにじみ出る作品が、人の心に突き刺さるメッセージとなること。

「写真は哲学」「写真家はいきざまそのもの」

1991年から2年間通った大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ大阪)の先生たちから叩き込まれた精神、というかその先生たちそのものの生き方から学んだこと。これは、僕が受けたいかなる授業よりも価値のあるものだったことを再確認した。

今年で阪神淡路大震災から20年。死を意識した20秒ほどの激震、そしてタンスの下敷きという被災体験。震災前の1991年から2005年まで撮影した作品を編集して震災10年後に出版した「一年後の桜」。その続編のような形で、生まれ故郷への想いをカタチにした「芦屋桜」という写真集を出版します。

この行為自体がとても正しいことだったと思える今日。東日本大震災から3年と10ヶ月の月命日。写真家として死ぬまで精進したいと想いを新たにした日。そして、日本で広告会社に働き、非営利組織の代表を務め、写真家として生きたいと願う自分ができること、すべきことを見つめ直す時間ともなります。ブログに備忘録として記します。


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写真集「一年後の桜」と校正中の「芦屋桜」

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2014年12月31日

2014年の最後の日に、営利と非営利の両立で見えること。

今年度は外で動き回ることを会社のミッションとして、これまで以上に意識的に対外業務を拡充した年でした。そのためか時代の変化のただ中に居ることの実感が深まった感があります。これは個人ブログとはいえ、会社員としては微妙な発言ともなるかも知れません。でも時代が動く中で生じる考えのズレにより意見が別れることを痛いほどに感じる立場として書いてみます。

「想いをカタチに」は非営利活動の合い言葉のようなフレーズです。僕も常に胸に抱いていますが、その一方で資金を考えなければより良い活動はできない。そして資金だけでなく収益性を追求しなければ継続性も危うくなってしまう。例え非営利であっても営利組織のようなセンスが問われる構造は至って単純な事ですが、これを営利組織の中で配役していくと歯がゆい事が多発します。

営利組織でも現場は目の前の業務に邁進し、「想いをカタチに」する非営利組織とも肌が合いやすく、ココロザシ高き意識を育む事ができ、まさにCSVという言葉を意識した業務を実現できそうな機運となります。若い世代ほど純粋にソーシャルモチベーションを持っているようにも感じます。しかし会社のヒエラルギーでは中間管理職となるとマネジメント能力を問われ、質だけでなく量を問われます。

ここで時間軸を林業のように考えられたら良いのですが、営利組織は往々にして自然界の育成感覚とは違う時間が流れていて、年次予算の中で成果を出すだけでなく中期視点で事業も人も社会も育成するという観点そのもを育む事ができない環境になってしまっている。きっと器量の大きな人すらも狭量なというか偏狭というか、料簡が狭い人のように見えてしまう社会になってしまっています。もちろん営利組織だからこそ中期戦略も立てるし評価軸もあるのですが、その先に何があるのか具体的に共有できていないように思うのです。

イベントの現場に立てば一目瞭然です。イベントはその場限りの盛上りだけではなく、実現したい何かの中間点であったり、これからの物語を共有するための場であったり、想いの表出の場であって営業ツールではない。少なくともそのような背景のないイベントに魅力はないでしょう。そんな現場ではココロザシの共有感があっても、練り上げの時間を共有できていない中間管理職がその場に来たらココロザシが通底できていないような空気が漂ってしまう。中間管理職の人間も本質は同じ種族のはずなのに、立場によって挨拶をするだけのネクタイ族にされてしまう。

中間管理職としてのマネジメント。ココロザシの共有の上で収益性の追求をマネジメントする能力、組織内だけではない役割分担が期待されるのだと感じます。

サステナビリティ、持続可能性、グローカリー、まだ見ぬ子ども達のため、未来からの預かり物。バックキャストのようなキーワードはいくつも散見できますが、それを実現するための具体的な言葉や行動を、非営利活動の精神性の中で営利組織が追いかける収益性を考えた事業計画として見せること。これは、きっと一つの事業計画ではない。一つの保全活動でもない。フィールドはひとつの地域を俯瞰したものであり、そこに関わる立場の多様性がなければ見えてこないような気がします。

答えを出せている人は誰も居ないけど、その鉱脈が見えていて一歩一歩近づいている人は大勢いる。事業家、公務員、コンサル、デザイナー、アーティスト、建築家、インタープリター、コミュニケーター。そんな資格や資質を持った人が、様々な業種で様々なアプローチがある。しかしそれは組織体ではなく個人の顔、生態系の一つの命という固有名詞。もちろんNGO/NPOでも、個人商店でも、個人プロデューサーでも、組織力の資源を背景にした人でも良い。

そこで大事なのは、他人ごとを自分ごとのように語る評論家ではなく、現場の実践家であり、自分ごと化、暮らしからの視点、生活者発想。言動一致、原体験を一人称で語る人であること。

CSR(corporate social responsibility 企業の社会的責任)なんて組織力がリスクとなる可能性もあるのだから、地球に生きる人間として心に常に持って行動するのは当たり前の話として、CSV(Creating Shared Value 共有価値の創造)というキーワードが本当に指し示していることは、ココロザシとビジネスの融合であり、テーマを深掘りできる非営利組織と収益性を持続させることができてきた営利組織が育む化学変化そのものだと感じます。

そんな中で、僕は広告会社という組織体にとても可能性を感じるし、その方向を企業として真剣に考えるべきだと思っている。広告代理業という一端ではなく、社会をプロデュースする会社としての広告会社。

南三陸で見えてきたことがあります。2005年に環境の仕事に就いて、気候変動、森林問題、生物多様性、なぜ環境テーマを本気で学ぼうとし環境コミュニケーション・デザインという領域を歩んできているのかが判りました。地球に生きる人間の本能として学んだとも言えますが、そのアウトプットをするタイミングに来たと感じています。デベロップメント(development)を開発や発展と訳していますが、「地域づくり」と意訳すると良いと実感しているのと同じ感覚です。産業振興、環境保全、人材育成、流域思考、物語、郷土愛、生活者発想。南三陸の皆さんとの取組みにはその全てがあります。南三陸での取組みは、日本のどの地域でも当てはまる基本形のように感じています。

僕はとても良いチャンスを得ていると思うし、僕の立場でできることを進めるだけだと信じている。広告会社の社員、非営利組織の代表、写真家。この3つの社会的な立場から見えることと創造できること。俯瞰とフォーカス。言葉にしないと誰にも伝わらない。人生は常に発信と学びの繰り返し。だからこそ一人でも多くの人とこの想いを共有することをシアワセと考えています。

今年一年、本当にありがとうございました。来年も益々よろしくお願い致します。


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2014年最後の日に自分の手に可能性を信じる




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2014年10月19日

生物多様性条約第12回締約国会議(COP12)をコミュニケーションの視点で振り返る

韓国のピョンチャンで、10月6日〜17日まで開催された生物多様性条約第12回締約国会議(COP12)に、12日〜15日までNGOのプライオリティパスで参加しました。既に、充実したさまざまなレポートがアップされていますが、僕はコミュニケーションの視点で感じたままに書き残しておきたいと思います。


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金浦空港で見上げた夕空


今回は、2020年までの生物多様性戦略「愛知ターゲット」の中間報告のタイミングです。先日の新聞報道で明らかになりましたが、日本国内での生物多様性の認知が低迷しています。国際的に見ても、この会議の初日に発表されたGBO4(Global Biodiversity Outlook 4=地球規模生物多様性概況4)で、依然として生物多様性の危機が伝えられていますが、今後に向けて以下のように記載されています。

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戦略計画2011-2020(愛知ターゲット)に関するこの中間報告は、たとえ困難でも、目標の多くは依然として達成可能であると示唆している。目標の達成のためには、残された時間の中で、多くの分野における革新的で大胆な行動と、幅広い政策分野で生物多様性を重視し続けることが必要である。我々は自然と共生する機会を掴み取るための行動を加速させなければならない。
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コミュニケーションの領域で重視しなければならない言葉を抽出すると、「革新的で大胆な行動」そして「行動の加速」。


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会場での配布冊子


これからは、情報発信だけの普及啓発から態度変容に関する成果を見える化する施策の強化が求められます。戦略計画2011−2020(愛知ターゲット)のプロセスを重視するために、日本の市民セクターから日本政府に提案し、日本政府案として国連の採択を受けた「国連生物多様性の10年(=UNDB)」。この活動は、提案者である日本が世界に向けて率先して働きかける必要があります。それも市民セクターと政府が連携して提案したものですからオールジャパンによる海外への働きかけが大切。

そこで、本会議開催中の10月14日の朝10時から夜19時まで、「国連生物多様性の10年日本委員会(=UNDB-J)」と「生物多様性条約事務局」が共催する「UNDB DAY」を開催しました。


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UNDB Day


日本では、マルチステークホルダーによるUNDB-Jが環境省によって設立され、自治体・企業・学術研究機関・市民・ユースなどの事例を集める基盤ができて、各々が工夫を始める事ができるのだと3年を経て見えてきました。自治体は「生物多様性自治体ネットワーク」、企業は経団連による「生物多様性民間参画パートナーシップ」、市民セクターでは、IUCN-Jの「にじゅうまるプロジェクト」とCEPAジャパンが立ち上げUNDB-Jの主催事業に仕立てた「MY行動宣言5つのアクション」と「生物多様性アクション大賞」など、国内での認知はまだまだ弱いですが各セクターが個性的な活動を始めています。これを踏まえて、僕としてはこれらを取りまとめオールジャパンで世界に発信する必要を感じたので、COP12のサイドイベントを主催して海外へ影響力を発揮する機会にしましょうと働きかけてきました。その結果、環境省の皆さんの理解と、何よりもIUCN-J(国際自然保護連合日本委員会)事務局長の道家哲平さんが、生物多様性条約事務局との調整と交渉を踏ん張って様々なアイデアを盛り込んでこのような一日が実現しました。


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ルイザ・ディグスさん(国際自然保護連合教育コミュニケーション委員会)


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UNDB Day 日本、ドイツ、中国の登壇者を囲んで


内容は、主催者である日本の星野環境省参与と涌井UNDB-J委員長代理、条約事務局のディアス事務局長によるキックオフ対談に続き、日本、中国、ドイツが国内委員会を設置し生物多様性の主流化を進めているという国レベルの共有から、自治体は豊岡市の真野副市長からコウノトリの取組みの進展や、ハワイの持続可能な社会づくりのコーディネーターからはアロハチャレンジの紹介(これは島嶼国である日本も参考になる内容)、ユースは日本の若者ネットとドイツのユース代表、この他にNPO、ビジネスの各セクターが日本の取組みを中心に続々と発表しました。


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CEPA Fair会場


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市民セクターではCEPAジャパンの宮本理事が登壇


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この流れを受けて、夕方からは条約事務局長、韓国、インド、モルジブ、そして日本の政府高官、国連環境計画(UNDP)、ワシントン条約事務局、国際自然保護連合(IUCN)などが登壇するハイレベル会合も開催。各国の、生物多様性国家戦略の策定と推進を通じて「国連生物多様性の10年」を推進するという表明も行い、とても盛りだくさんで充実した1日となりました。


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UNDB Day ハイレベル会合フォトセッション


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UNDB Day 終了後IUCN-J道家さんを挟んで


官民一体となったUNDB-Jと生物多様性条約事務局が組んで、1日サイドイベントを開催できること自体が非常に大きな成果でしたが、国内では個性的な活動をする様々なセクターも、このような国際会議ではオールジャパンとして一丸となって行動すると、非常に力強い発信が出来る事が判りました。これは、2010年の名古屋で開催されたCOP10の成功体験が礎になっているのだと実感します。COP10に向けたNGO活動で初めて知ったCEPAというキーワード。CEPAとは、生物多様性条約第13条である「教育と普及」で重視されている「Communication, Education and Public Awareness(コミュニケーション・教育・普及啓発)」の頭文字。そのCEPA活動で、条約事務局とこのようなカタチでタッグを組んで日本から世界に向けてメッセージを発信ができるようになるとは、まさに隔世の感があります。


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冷える朝


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エキシビション会場


さて、NUDBは愛知ターゲット達成のための認識の強化の10年であり、まさにCEPAの10年でもあります。その証として、今回「CEPAとUNDBの進捗報告」という決議もありました。CEPAジャパンとして、この決議文素案に対して政府団と意見共有を行って、日本政府からのステートメントの実現、そしてNGOとしても提言活動を行いました。2010年のCOP10の際は、「愛知ターゲット」「名古屋議定書」「国連生物多様性の10年」など大きな重要テーマがあり、CEPAまでは手が回らないと日本政府に断られたために、僕自身が条約事務局に直接交渉しベルギー政府団の支援を受け、NGOスピーチを成功させ修正決議を実現できました。今回は、CEPAジャパン理事の宮本育昌さんにトライしてもらい、日本政府と歩みを共にすることはできたのですが、残念ながらNGOスピーチまでは実現できませんでした。

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「CEPAとUNDBに関する進捗報告」の最終決議文からポイントを抽出すると、「愛知ターゲットの、目標1に関する指標設定や国民の意識調査の実施、国内委員会の設置などを通じたステークホルダーとの恊働、国連生物多様性の日の活用、地方自治体との連携、行動変容に関する研究の推進、世界規模のコミュニケーション戦略開発、2007年に発刊されたCEPAツールキットの更新、ESDに生物多様性を統合」などが記載されています。
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CEPAジャパンとして文章化を目指したのは、「国内委員会の恊働」という記載だけでなく、「国内委員会が事例を収集し発信する事で、地域の取り組みのエンパワーメントと国内で生物多様性の理解を具体的に促すことができる」という要素でしたが、残念ながら入っていません。僕が文章の入れ込みにこだわっていたのは、日本がCEPA活動では先進的に取り組んでいる締約国であるという存在感と、NGOスピーチによる修正決議の成功体験者を一人でも増やしていきたいという想いからでした。

そして気候変動のCOPと違い、生物多様性のCOPは民間の参画が本会議でも認められロビー活動が有効であるため、政府団と民間が切磋琢磨してより良い条約決議に盛り上げていける会議体である事を多くに人に理解してもらい、もっと主体的に参加する人が増える事も期待しています。

日本各地での地道な取組みにこそ、全世界の生物多様性保全や持続可能な利用のヒントが満載だと思っています。日本の国民全員が先住民族というわけではありませんが、日本で育まれた知恵は先住民族の知恵に等しいほどに価値のあるものだと感じています。そんな想いを、こんな国際会議の場で世界の人たちに共有してもらって、各国の取組みの潤滑油になればとの気持ちをさらに強くしたCOP12でした。


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サイドイベント会場


少しコミュニケーションの話題から外れますが、今回から新たな会議が始まりました。

遺伝資源の利用と公正な利益配分(ABS)に関する「名古屋議定書」に関するCOP1です。この会議でいよいよ議定書が発効されましたが日本は産業界との調整がつかず批准に間に合わず。しかも産業界からは拙速な批准に警鐘を鳴らす要望書を関係大臣に提出という状態です。この熱き議論を行う一番広い会議室はテント設営された建物で空調はなく「寒い!!」。政府団の机上に黄色の旗が立っている国が批准国。もちろん日本には立っていません。

COP10では日本政府の粘り強い交渉で不可能ではないかとまで言われていた議定書が成立し満場の喝采に包まれ、開催地である名古屋の地名が付いた地球の大切な資源を守るルールにも関わらずです。批准国は53カ国、そのうち先進国は5カ国。資源の提供国は国内の法律を作らねばなりません。地域の資源を守る法律を国内法で整理する事はきっと大変な調整を伴うのではないかとも思います。それができて初めて批准国の企業等と取引を行います。そして資金の設定など契約を条約事務局の関与のもと進める事になるようです。今はそれに向けた様々な議論が行われています。資源とは食糧、化粧品、薬品などの原材料。日本も資源の提供国となる場合もあります。もちろん企業は避けて通れない国際ルールであり、一般生活者の僕たちの暮らしに直結する課題です。自分たちの日常の暮らしから地球の大切な資源に想いを馳せるだけでなく、それを持続可能に利用するためのルール作りの議論。集中して議論するにはあまりにも厳しい環境ですが、各国の政府団からは真剣な発言が続いていました。是非とも日本も締約国となって、議論する事で国内の課題を国際的にクリアするというスタンスになって欲しいと客観的に思いました。


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大型テントのプレナリー会場


ここは2018年冬季五輪の開催地、ちょうどいま高梨沙羅ちゃんが練習に来ています。日が暮れると本当に底冷えがキツくなります。ある日は、室温が下がると共に、一気に発言が止まってしまって、議長が「心まで冷えきってしまいましたか?」と問いかけると多くの締約国から「イエーイ!」との声があがったようです。微笑ましいやり取りに人間味を感じてホッとしてしまいました。

日本の企業からの事例発表も盛んでした。簡潔に印象を書くと、経団連自然保護協議会の発表する事例は本業の技術を生かした社会貢献で、足立直樹さん率いるJBIBが発表する事例は本業そのものでの取組みでした。ともに広義のCSRとして考える事もできますが、いわゆる流行のCSV事例はありません。僕はコミュニケーション戦略で、生物多様性のCSVが創発できるのではないかと感じています。この領域を模索し続けたいと思います。


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プレスカンファレンスでのサイドイベント


さて、今後、国内のCEPA活動を工夫していくにあたって気になった発表が一つあります。世界動物園水族館協会が発表した「Bidiversity is US」というアプリです。日本国内の地域戦略で「私たちと生態系」「私たちといきもの」というような表現を散見します。これは、コミュニケーションの第一歩、生物多様性の入り口でつまずいています。「私たちも生態系」「私たちもいきもの」ですね。コミュニケーション戦略の根本を間違えては、何をやっても取り繕うことになってしまいます。ここが高度経済成長で見失ってしまった根本かも知れませんが、このアプリのネーミングは秀逸。降参です。生物多様性という翻訳語から逃げてコミュニケーションしてはいけない。生物多様性という言葉を入れてどのように表現できるかが僕としての課題でした。


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CEPA Fair会場でBiodiversity is USの紹介


CEPAジャパンは、日本語のスローガンを「もっと身近に、生物多様性。」として、これを英語で「Feel Biodiversity」と訳していました。日本人らしい情緒で考えたのは良かったのですが、英語的感覚ではなかったなと反省です。このアプリ、日本語も含む6カ国語で制作されており、さっそくダウンロードしてみましたが、なかなかセンスの良いデザインと使い勝手。しかし、フレームワークは良いのですが格納されているコンテンツが概念的で具体性に欠けるように感じています。つまりここが欧米人の感覚と日本人の感覚の違いだと思うのです。これを地域の具体的な活動をコンテンツとして表現する事が、日本の感性と知恵と技術による先進性となるのではと考えています。

2020年の愛知ターゲット達成を確かめるとき、オールジャパンによる取組みが世界各国の取組みの推進に影響を発揮し、愛知ターゲット達成の一助と目され、生物多様性保全先進国として評価されるようにCEPAからのアプローチを続けたいと思います。

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羽田空港に着陸直前の空


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2014年09月21日

山形、そして仙台へ

山形です。

日曜の朝から東北大学で3コマ講義をするのですが、仙台、福島、山形どこのホテルも満室で取れず、日帰りの予定をしていたのですが、たまたま山形市役所の大場俊幸さんから「会わせたい人がいるのでどこかで会えませんか?」とのメッセージが入り、「もし20日の夜に山形でホテルが取れたら行きますよ。」と伝えたら、なんと取れなかったホテルを調整してくれたのでした。

そして14時に山形駅に着いてチェックインしてから、山形ビエンナーレの会場を大場さんのクルマに乗って巡る事になったのですが、駅周辺に会場が散らばっているはずなのにどんどん住宅街に向かっていくので、「大場さん、今はどこに向かっていますか?」と聞いたら「河川敷です!」。「え?河川敷にビエンナーレの展示はないよ?」「川廷さん、芋煮も食べたいって言ってましたよね?芋煮は店で食べるものではないので仲間の芋煮の会に参加しましょう!」「なるほど〜」

という事で、まずは、馬見ケ崎川河川緑地で「城下町やまがた探検隊」の皆さんが芋煮の会をしているところにお邪魔しました。笑顔が素敵な隊長である新関芳則さんは、26年前に大鍋の芋煮イベントを仕掛けた張本人で、山形名物のやたら漬けの社長さんでもあります。山形県の職員である村上広志さんから山形の産業振興のポイントを教えていただきました。こんな展開は全く予想していなかったので、新幹線でしっかり駅弁を食べて到着したので、お腹一杯だったのですが皆さんのホスピタリティと、抜群に美味しい芋煮。良い陽射しと良い風の抜ける河川敷でいくらでも食べられそうなほどで、もう無理と思った仕上げのカレーうどんまで平らげてしまいました。


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芋煮のお鍋、向こう岸にはイベントで使う巨大鍋が置かれています


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仕上げのカレーうどんがまた旨い


そしてようやく山形ビエンナーレの会場で、一番のお目当てだった西村写真館に向かったら、何故か京都から来ている井上雅之くんにバッタリ。後で判った事ですが、この写真館は、横浜で「森ノオト」という活動をしている北原まどかさんのひいおじいさんが建てたものと判りビックリ。さらにこの建物を管理していて、会場でお話した男性は北原さんのお父さんと聞いてさらにビックリ。


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来てみたかった西村写真館


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そのままの机上


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"写場”


続いて文翔館(旧県庁舎及び県会議事堂)に行ったら、東北芸術工科大学の宮本武典さんに会え、さらに出展している山伏の坂本大三郎くんとも再会。大三郎くんに写真を撮ってもらって、僕の木彫りを作ってもらって山に還してもらう事になりました。そして建物を出ようとしたら、ちょうど1年前のTEDxTohokuで僕のアテンドを担当してくれた東北芸術工科大学の大津悠美子さんにバッタリ。何と4月から小山薫堂さんの事務所に就職が決まったと嬉しい報告をもらいました。


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坂本大三郎くんと


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大津悠美子さんと。


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文翔館


そして今日の本来の目的である大場さんが僕に会わせたい人、僕に会いたいと言ってくれていた人、日本一の葱師の清水寅さんと熱〜く語り合いました。日本人がシアワセになるためには、高度経済成長の落とし物や忘れ物を拾っていかねばなりませんが、それには第一次産業からの大きな動きが重要だと感じており、寅さんこそ、その役割を与えられた人だと感じました。あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも無茶な人です。申し訳ないけど、あまりの無茶苦茶さに大爆笑してしまいました。こんな人には初めて会いました。しかし、自分が関わりある人の笑顔を見ることが自分の目標だという気持ちは僕もまったく一緒。寅さん、素敵な男です。


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No1を目指す寅さん!


食事をしたのは山形駅に近い「おそばに」。寅さんも一度は食べに来たかったというこのお店を経営する福島隆之さんとの出会いも有り難かった。名物の冷たい肉そばは甘みがあって僕好みの旨さでした。福島さんから、今度はオフタイムに会いましょうと言われて、そうか僕らはオフタイムだけど、福島さんはオンタイムなんだと当たり前の事に気づいて思わず全員爆笑。


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おそばににて、左から福島さん、寅さん、僕、大場さん


わずか半日でしたが、山形にはいろんな可能性がある事が判りました。夢や希望を持った人、何よりそれをカタチにする人がたくさんいて、その実現する姿が浮かび上がって来るには程良いサイズの町のようにも感じます。全てを見たわけでもないし、じっくり滞在したわけではないけど、こういう第一印象こそが町に人を引き寄せるチカラだと感じるのです。山形は人に優しい素敵な町でした。

さて続いて仙台です。

山形からバスで1時間で仙台へ。9時過ぎの爽やかな朝の空気の中、早々にキャンパスの芝生に到着しました。今日は、東北大学環境科学研究科で10時半から16時まで3コマの授業をしました。企業人、自治体職員、大学院生、さまざまなセクターで志を持った人たちです。社会を変えたい想いで学びくる姿勢は素晴らしいと敬服するのみです。僕も想いは一緒ですが学校には行けていません。しかし現場の実地で学ぶことができているのではないかと思いました。


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環境科学研究科エコラボ


お昼ご飯は、生徒の皆さんと一緒にキャンパスの芝生。このコースでは初めての事だったようです。それだけ素敵なお日柄でラッキーでしたが、とても良い空気感をもった皆さんで、とてもメローな良い時間でした。授業は3コマともPKT(ペチャクチャタイム by 川嶋直さん)をやって、1人1分で発表してもらう事だけは出来ました。その1分で皆さん上手にまとめてお話いただけて、僕もスムーズに集約する事ができて良かったなと思っています。


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キャンパスの芝生でお昼ご飯


さて、授業が終わってからは仙台駅の近くで懇親会。ある相談では、自分でも納得の引出しを開ける事ができて「さっそく明日から実行してみます!」と満面の笑みをいただきました。嬉しいですね。自分のスキルが人のお役に立つというのは。クセになります。次の相談では、ある被災地に足を運んで欲しいというお話。もうすでに時間も思考もパンパン。とても責任を持ちきれないのですが、一度は足を運んでみようと思います。

それにしても、とても豊かな「志」を共有できた1日でした。講義のタイトルだけ記します。

1、CSVな働き方
  ソーシャルモチベーションの原点を共有しよう

2、CSRという共通言語を考える
  日本人の感性で地球に未来を還す

3、環境コミュニケーション・デザイン
  暮らしと国際条約をつなぐ

これは、いま僕が話せることの精一杯を整理してみたものです。話し慣れないパートもありまだまだ「修行」が足りないなと反省するところでもありますが、全体的に自分を俯瞰して整理することが出来ているのではないかと感じています。残念ながら駆け足で通りすぎたり、抜粋したりしたものもありましたが、今日の流れではそれで良かったと思っています。大学側ではビデオ撮影をしていますが、僕自身も記録のために全て録音しました。今後も人前でお話しする機会があれば出来るだけ録音してみたいと思っています。


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萩とススキが揺れる秋の日


今も当然ながら走り続けているので振り返る余裕はないのですが、蓄積を確かめながらより充実したアウトプットを創り出すためにも、今回の授業で3コマ分を整理してみて立ち止まる時間は必要だと実感しました。一人でも多くの方と共有してさらに磨きをかけたいと思います。そして何よりも、僕のこの働き方そのものを一つの表現として話せるようにしたいと思います。今日も皆さんからどんな日常なのかと問われましたが、興味の対象になれた事が何よりもの収穫だったのかも知れません。


posted by 川廷昌弘 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

南三陸の祭りの季節

9月12日(金)
今日から南三陸町です。

遅めの午後に到着し、少し黄金色の風景を撮影してから、きりこによるアートプロジェクトの吉川由美さんと林業家の佐藤太一くんと3人で、(株)ヤマウチの山内正文さんにお会いしました。するとそこへ佐藤仁町長が偶然に立ち寄られ嬉しい記念写真。不思議なものですね。僕が単純過ぎるのか、この写真を見ているだけで、いま取組み始めている南三陸の林業のお手伝いを頑張ろうと気持ちが溢れてきます。快く写真に収まってくださった皆さんに感謝!この後、太一くんと2人でこれからの夢を語り合う食事となりました。


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左から太一くん、佐藤仁町長、吉川由美さん、山内正文さん


9月13日(土)
今日は、テクテクめぐる縁がわアートin南三陸の主催団体ウィメンズアイの皆さんから撮影依頼をいただいたので、朝9時に集合してからから夕方16時までテクテクしました。するとまたまた良いご縁に。昨日Facebookにアップした写真が取り持つ縁。南三陸の袖浜に移住された中村幸夫医師です。一人勝手に必然の巡り会わせを感じています。


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中村幸夫さんと


結局、御昼ご飯抜きで豊かな恵みの風景の中、美味しい空気だけをいただきました。里山に点在する縁側がにぎやかです。タケヤという屋号のお宅では美術家スサイタカコさんと子ども達の作品が展示というかぶら下がっていたり、アラヤウエという屋号のお宅では絵本作家の中谷靖彦さんと子ども達の作品が貼付けられていたり、時間が経つと展示された作品の数がどんどん増えていたり、田んぼの中にきりこが立っていたり、イシハダケという屋号のお宅のご主人が描かれた家族の絵がガレージに展示されていたり、、、


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タケヤでスサイタカコさん達


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里山をテクテク


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アラヤウエで中谷靖彦さん達


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イシハダケのご主人


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入谷の阿部博之さん


そんな風景の中をノンビリ秋の空のもと過ごすイベントです。地域の魅力の掘り起しを、地域の人とコミュニケーションしながら発見する仕組みです。女性の仕掛けこそ生活者発想ですね。とってもアットホームで入谷の皆さんの人柄とのコラボレーションが見事にマッチしています。このセンスはちょっと秀逸です。


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吉川由美さんが手がけた田んぼにキリコ


そして今日は、本吉町小泉で「子ども小泉学」が開催されていたのですが、その終了後に、地元組織づくりの会議を行うので来て欲しいとの連絡を受けていましたので17時に駆け込みました。途中、なぜか会社の先輩の石井淳さんから電話。Facebookで僕が中村医師とつながったので面白くなって連絡をくれた模様。僕にすれば、山内正文さん、佐藤仁町長、中村幸夫医師と、素敵な南三陸数珠つなぎに感動していたので、この次はいったいどんな人につながるのかとワクワクしていたのですが、どうやら神様は会社のインナーコミュニケーションも大事だぞと教えてくれたようです。石井さんは気仙沼から石巻に南下、僕は南三陸から本吉町に北上、ちょうど歌津で落ち合ったところで情報交換と記念撮影。


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Facebookの数珠つなぎは会社の石井さんに至る


小泉での打合せは小泉という地名ではなく、津谷川流域や本吉町という地名を使う事で流域全体に視野を広げて活動をしていけると良いねというお話になり、また次回の「子ども小泉学」の後で会議をする事になりました。地域の皆さんの多くがやりたい事をサポートするのがヨソ者の務めですので、ヨソ者が善かれと思ってやる事ほど迷惑なものはないと思っていますので、コツコツと話し合って具体化してけると良いなと思います。

9月14日(日)
今日の午前中は、南三陸の入谷八幡神社の例大祭を撮影。打囃子が黄金色の里山に響きました。朝から最高の秋晴れの元、本当に絵になる素敵な行列があぜ道を練り歩きました。初めての撮影でしたが、様子を見ているうちに勝手が判ってきて、とにかくシャッターチャンスを出来るだけ多く得るために、行列を撮っては走って行列の先回りをしてを繰り返すなかなかのハードワーク。

公民館の阿部館長に宮司さんをつないでもらい撮影許可もいただいて撮りましたが、これだけの祭りを継承するコミュニティの存在そのものに感銘を受けました。ここ入谷は絹の名産として元気な時代がありました。その頃に京都の西陣織との交流もあったので、このお祭りのあでやかさは、もしかしたら京都の文化が入っているのかもしれませんね。


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仮設住宅の前でも獅子舞


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入谷の里山風景を練り歩く


14時から、いりやどで、11月に開催されるレディス・フォーラム21の打合せ。全国の自治体で林業に携わる女性職員300人を越えるネットワークです!年に1度のフォーラムが今年は宮城県で開催となり、県のご担当である南條緑さんがぜひに南三陸でと開催が決まったのですが、そのコーディネーターにご指名いただきました。登壇するのは、佐久の太一くん、丸平木材の小野寺社長、そしてYES工房などを仕掛ける阿部公民館長です。セミナーと視察やワークショップを2日間に渡って実施するそうです。僕にも新鮮な学びの場となりそうですし、何より写真家として撮影のチャンスともなりそうです。

さて続いて17時から志津川の上山八幡宮の宵宮祭りです。お世話係の佐久の太一くんからの依頼を受けての撮影。最初に宮司さんが祝詞を上げてお世話係の皆さんが玉串を納めるところから撮影。


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上山八幡宮


そして夜神楽が始まりました。祢宜の工藤真弓さんが判りやすく解説されてから演目に入りました。太陽の神様が岩の中に隠れて困った人々が川原に集まって考えたのがお祭りの事始め。1)道祖。道案内の神様が感謝を込めてお米をまいて道を開く。2)鬼門。悪い魔物に見立てた綱を刀で切る。3)産屋。豊玉姫は出産を見られて恥ずかしくなって妹に子どもを託して海に帰る。赤ちゃん役は地元の生まれたばかりのお子さんです。素敵なコミュニティです。4)刀切。面を外して神様は天へ、舞手は人へかえる。機材はCANON EOS 5D Mark III。ISO感度は20,000台。手持ちでフラッシュなしの撮影が可能な時代です。この場の印象、雰囲気を何とか絵にしたいとファインダーの覗きっぱなしでした。


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夜神楽 道祖


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夜神楽 鬼門


9月15日(月)
今日の午前中は、少し早起きして高台造成で変化している周辺を撮影して、10時から縁がわアートの公開ワークショップをひころの里で行うので、これも依頼を受けての撮影。


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南三陸町 新井田 周辺


地元のお母さんたちが刺し子模様の「あじさい刺し」にトライする様子を収めました。そして縁側では羊毛クラフトの交流が。新聞記事を見て羊毛で糸を紡いでいたおばあさんが訪ねて来られて、moco madeの矢野智子さんと羊毛作家の吉田麻子さん、そしてスタッフの皆さんも大感激。そんなドラマに立ち会えたシアワセを収めました。最後に刺しゅうにトライした皆さんで縁がわを背景に記念撮影。


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刺し子ふう刺しゅうのワークショップ


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ひころの里 松笠屋敷の縁側


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世代を越えて羊の毛織り談義に花が咲く


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山内恵美子さんと刺し子ふう刺しゅう参加者の皆さん


13時からは、林業家シリーズの撮影です。今日は一代で山作りを成功させている芳賀孝義さん。芳賀さんの山を太一くんと3人で歩きました。山に入ってからファインダーを覗きっぱなしで芳賀さんの表情を追います。ほとんどが笑顔。山の中にいるのが好きで好きでたまらないのがヒシヒシと伝わります。そして、歩くたびに足元に落ちた枝を林道から払ったり幹に絡むツタを切ったり、常に何か作業をしている様子は「杣人」という言葉がしっくりきます。様々な文献を読み、いろんな地方の山に行ってはやり方を工夫して真似てみたり種や苗をもらって来たり、見た目にも80歳には見えないし、常に研究、実験、前進あるのみの姿勢は、僕よりも気持ちが若いのではと思うほどです。


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山の中にいる間中、ずっと笑顔の芳賀孝義さん


ようやく予定が入っていない時間帯となり、高台造成やかさ上げの様子を撮影してまわり現状を把握していきました。


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南三陸町 清水浜 周辺


さて、縁がわアート、宵宮祭、例大祭、林業家の肖像、小泉海岸での打合せ、11月のフォーラムの打合せ、、、南三陸の撮影取材を中心とした日々を終えて、登米方面に夕陽を追いかけて見上げた空の清々しいこと。南三陸での出来事が、おとぎの国の物語かのように思ってしまいそうな空です。


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南三陸町 水境峠 付近


相当に疲弊をしていたけど、ロマンチックな気分でくりこま高原駅でチケットを買って新幹線に乗り東京駅に着いて、「あれ??スイカ定期券がない!」

財布を出したのはいつ?

レンタカーの返却?、イオンでの買物?、いやいやくりこま高原駅で切符を買った時だ!想いは駆け巡り、JR東日本の遺失物センターに電話をしたら、「くりこま高原駅は届けが少ないからすぐに判るでしょうから、ちょっと待ってください、、、、ん、スイカ定期ですか?あ〜、1枚ありますね〜。あなたのお名前は?」との声。思わず「よっしゃー!!」と電話口で叫んでしまいました。

しかし自宅最寄り駅でどうするかと思っていたら電話口から、「駅員さんに、くりこま高原駅に確実にあるので再発行整理番号票を発行してもらってください。明日の朝、出勤前にみどりの窓口で手続きをしたら、ご負担はデポジット1010円だけで済みます。もし、くりこま高原駅のスイカを送るとなると日数と送料を考えただけでも負担が大きいと思いますから。」

なんと親切な声、、、人助け、人の為になるとはこういう事だ。本当に困った人に、いかに適切な事ができるか。すべてはその道の経験を積み、そのスキルを活かす事だ、、、と極めて当たり前の事を助けてもらって実感した次第。

何かいろんな人に支えられている自分を感じました。この週末の自分のエネルギーは、ご先祖さん、南三陸の神様たち、様々な仲間たち、新たに出会った人たち、スイカを拾ってくださった人、届けられたスイカの事を遺失物センターに登録した人、そして電話口の人、、、僕はまだまだ可能性を持っているぞと勘違いしそうです。

が、しかし、落とすなよな〜スイカ定期。というか、すぐに気が付けよ〜。そんな事でいろんな人の手を煩わすなよな〜と、自分のザルのような性格を反省することしきりです。みなさま、ありがとうございます。


posted by 川廷昌弘 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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