2021年04月04日

2020年代は「スモール都市の10年」、世界で茅ヶ崎は第5位の自治体!

2007年に創刊したイギリスに拠点があるビジネス・ライフスタイル情報誌Monocle(モノクル)。独自の視点でA=Affairs (国際情勢)、B=Business (ビジネス)、C=Culture (文化)、D=Design(デザイン)、E=Edits (編集選定)の5分野で最新情報を発信。編集方針が日本本来の価値観との親和性が高いようで日本の情報も多い。

そのモノクルがスモールパッケージという世界のベスト都市ランキングを昨年発表した。

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世界に広がる特派員のネットワークを駆使して、世界のベストスモールシティのリストを作成。これからの10年を忙しい都会を離れてダウンサイジング。仕事、社会生活、家族、交通の便のよい空港など都会から離れても居心地のよい場所で手に入れることは可能だと信じている。それが2020年代は「小さな都市の10年」になる。

小さな都市での生活は、スペースや快適さだけではない。社会的にコミュニティ意識の高い場所では、生活が新鮮に感じられる。大都市は人々の距離を縮めるけど、それは実用的な意味であり孤立や孤独など避けられない副産物もある。

都会に住む人々は健康志向が強く、小さな都市での生活は精神的にも肉体的にも健康に役立つ。アウトドア生活が密接で、公害や交通量が減って、息抜きができるようになり、現代生活の喧騒から解放され、健康的な生活を送ることがでる。

モノクルが選んだ小さな都市は、テクノロジーによって仕事の仕方や場所が自由になる。都市の規模を小さくすることで、生活の質が向上することに驚くだろう。

人口20万人程度の都市は、社会的・文化的な多様性と趣向性の最適なバランスを提供する上で、ある種のスイートスポットと言える。モノクルの小さな都市のリストは、20万人より小さいところもあれば、少し大きいところもある。

(モノクルのサイトより抜粋和訳)
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つまり、この20万人規模のベスト都市の世界ランキングは2020年代を通して期待される都市ということ。そこに何と日本の自治体では唯一、さらに何と世界5位にランクインしたのが茅ヶ崎市なのだ。なぜこの事実が話題にならないのかが不思議でならないので、このことを教えてくれたフラワーの平尾くん、モノクルで記事を書いているオードリーさんとCheeegaで対談した。このランキングが発表されて1年近く経つがブログにもこうして記すことにした。

何よりコロナによって働き方も変化しコロナ以前の働き方に戻ることはないと思う。そうなると、モノクルが選んだ都会から程よい距離にあるこの20万人規模の小さな都市の価値はますます高まると思う。僕も「茅ヶ崎ワーケーション」と名付けて、今の働き方を楽しもうとしている。そういう意味でも2020年代は「小さな都市の10年」になるということなんだろうという実感がある。

こちらがそのランキングで、茅ヶ崎の選定理由も和訳して記す。

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1、ローザンヌ(スイス
2、ボルダー(アメリカ
3、ベルゲン(ノルウェー
4、ホバード(オーストラリア

5、茅ヶ崎(日本

山と海に囲まれた茅ヶ崎は、東京から電車で南に1時間の距離にあり、まるで田舎の隠れ家のような場所。サイクリング・インフラが整備されているので、移動には自転車が最適で、近くのビーチ・コミュニティを訪れるのにも適している。茅ヶ崎の中心部だけでなく、街全体に美味しいレストランが点在しているので、国際色豊かな料理が楽しめる。温暖な気候と治安の良さで、東京にはない静かな街。 茅ヶ崎はサーフィンで有名。湘南海岸は日本の近代的なサーフィン文化の発祥の地。若いファミリー層におすすめ。茅ヶ崎市では、働く母親のための制度が導入されており治安も非常に良い。リーズナブルな価格のオフィスやコワーキングスペースが不足。コワーキングスペース「チガラボ」は良い試みだがさらに期待する。

6、ボルツァーノ(イタリア
7、ボルドー(フランス
8、インスブルック(オーストリア
9、ポルト(ポルトガル
10、アーヘン(ドイツ
11、レイキャビク(アイスランド
12、サバンナ(アメリカ
13、ポツダム(ドイツ
14、バーゼル(スイス
15、チェンマイ(タイ
16、ビクトリア(カナダ
17、サン・セバスティアン(スペイン
18、アイントホーフェン(オランダ
19、バース(イギリス
20、オールボー(デンマーク

選外佳作
21、ヴィースバーデン(ドイツ
22、トリエステ(イタリア
23、ハーレム(オランダ
24、アナポリス(アメリカ
25、ザルツブルグ(オーストリア

(モノクルのサイトより抜粋和訳)
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茅ヶ崎駅から海への一本道「雄三通り」の眺め


posted by 川廷昌弘 at 00:47| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

デジタルでの撮影「芦屋桜」歩き始め

芦屋桜の撮影を再開した。

2019年の桜は、どんな機材で撮影をするのか考えCANON EOS 5D Mark IIIでスクエア画角での撮影にトライしてみた。そして2020年の桜は、コロナ禍の感染拡大で1回目の緊急事態宣言が出される直前。とても帰省できる雰囲気ではなく断念しただけに、機材も新調した今年はなんとか行きたいと考えていた。

例年だと関東の桜より1週間遅れて関西の桜が満開を迎えるのだが、関東とほぼ同時に芦屋の桜が満開を迎えることがわかってきたので、自分への年度末の慰労を兼ねて有休取得し桜帰省。これも気候変動のあらわれではないかと感じるが、ありがたくない風物詩の黄砂も大量に流れてくる予報。3月29日の夜、新幹線に飛び乗り30日から3日間の撮影。

2005年に出版した「一年後の桜」に収めた写真は1991年から2005年に撮影。2015年に出版した「芦屋桜」は2008年から2010年。いずれの写真集も、今は亡き親父から譲り受けた1971年製造のハッセルブラッド500Cに標準レンズのプラナー80mmだけで撮影した。今回は昨秋に購入した2020年製造となるハッセルブラッド907X CVF II 50に標準レンズのXCD 4/45Pの1本で撮影する。

撮影スタイルはウエストレベルで上から覗き込むビューファインダースタイル。フィルムカメラと同じように、それぞれの風景を辿るように懐かしく頭に浮かべながら故郷の芦屋を歩く。違うのはすぐに撮影結果がモニターで見れるということ。そして何より中判デジタルの5000万画素という驚異の精細データとなる。

25年の記憶の時間軸がバラバラに蘇ってきてしまうが、震災後の当時は新築に幼木だった桜樹が隆々と枝を広げ満開を誇っていたり、印象深い邸宅の桜の大樹を見に行くと邸宅そのものがなくなっていたり、桜樹の寿命なのか勢いが無くなっていたり、不思議と変わらぬ佇まいの桜樹に再会したりと、人間の栄枯盛衰というか日本の税制、経済循環といった社会の変遷を風景からナマナマしく感じる撮影にもなった。

もしかしたら、このシリーズの意義が変化していくのではないかという想像が働く。芦屋の風景の中にある桜を撮ることを目的にしているのだが、30年もの歳月を同じ視点で撮り続けることにもなると、その景観の構成要素である邸宅が変化していくという当たり前のことに行き当たる。それに伴い桜も消えたり新たに植えられたり。写し取られた写真が何を語るのか。

東日本大震災で10年の節目という言葉に対して否定的な意見をたくさん聞いた。意見は多様であるべきなので、それを否定しないが、僕は節目を設けることでいろんな気づきや学びを得ている。阪神淡路大震災から10年後、20年後という節目で出版することができた写真集がそれを物語ってくれるだろう。

30年後の節目となる2025年にどんなメッセージを込めた写真集が出版できるだろうか。また一つ写真家として目標ができた。自分の作風が良いのか悪いのかは将来が決めてくれるとして、芦屋をテーマにした2冊の写真集によって構築されつつあるように思う。これで行くしかないと腹を決めている。その密度、確率を高めて質の向上を目指す。そして見えてくる2025年のメッセージを楽しみに積み重ねる。

2025年は大阪関西万博の年だ。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。多様性、包摂性ある社会の実現としてSDGs達成と合致するとある。SDGsは人間の安全保障でもあり、経済成長の手段としての人材と捉えるのではなく、一人ひとりの価値観に応じた幸せな暮らしのための手段として経済を考えることだと言える。

壮大な話になってしまったが、”金持ちの町”と揶揄される芦屋。とんでもないお金持ちが住むのも確かだが多様な経済状況の暮らしがある町だ。しかし全国で唯一の芦屋市だけに適用される「芦屋国際文化住宅年建設法」が、戦後すぐに市民参加型の住民投票で作られた。芦屋の本質はここにある。桜樹を撮影することでそんな本質に少しでも迫れるだろうか。2025年の自分に問いかける。芦屋市市政80周年記念冊子「Road to Ashiya 2040」でインタビューを受けこの辺りの話が掲載されている。

さて、今回の撮影の本気度は歩数でも見て取れる。3月29日の夜、芦屋に帰り、30日は6時台から撮影を開始し昼休憩を入れて日没まで31,794歩。31日は7時台から歩き始め昼休憩を入れてやはり日没まで32,714歩。1日は撮りこぼしたものを探して7時台から歩き始め昼まで9,623歩。3日間で74,131歩。約60km歩いたことになる。天候にも恵まれ満開のピークとなる絶妙のタイミングだった。

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定番とも言えるし時代の変化を感じるとも言える開森橋からの芦屋川

これだけ迷いなく歩き続けられたのは、何より新たな相棒であるハッセルブラッド 907X CFV II 50Cのおかげだ。撮れば撮るほどに創作意欲を掻き立ててくれた。早くも良い相棒と言える。ところが、この相棒をとんでもないアクシデントが襲った。Facebook用にでもとスマホで風景を撮って一歩二歩と歩いたら突然ガシャーンと足元を黒いパーツが転がった。

よく見るとCFV II 50C、つまりカメラ本体の後ろにつけるデジタルバックの部分。それもデジタルセンサーが偶然にも上をむいて転がった。何が起こったのか理解できないまま、これは僕のだ!と慌てて拾って反射的にデジタルセンサーを服で柔らかく拭いた。ホコリならまだしも砂利がついていたら傷が付いてゲームオーバー。背中側を見るとディスプレイは割れてなくて周辺がガキガキに傷が付いた。首から下げているのはレンズとボディの907Xだけ。ロックボタンがなんらかの拍子に外れてしまったようだ。

このロックボタンはフィルムカメラの500Cと同じ構造で、これまでこんなトラブルは一度もなかったので驚いた。恐る恐るスイッチを入れたら違和感なく動作した。撮影してみたら写る。しばし様子を見ながら撮影してみたが、何事もない。

一生ものだと奮発して購入したのでなかなか乱暴に扱えずに雨や海の潮が怖いと思っていたのだか、とんでもない洗礼となった。これで腹を据えてどんな撮影条件にも持ち出せるように思う。これを不幸中の幸いというのだろうとつくづく思う。もし何かあればハッセルブラッド・ジャパンに持ち込んでこの状況を説明しよう。

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今のところ健在な相棒

最後に、気になったのは公園などでの花見。子供連れでビニールシートを敷いてワイワイと賑やか。芦屋川沿いもロックガーデンなどへのハイキングに向かう人の中にはマスクなしもチラホラいる。こちらは日焼けによる格好の悪いマスクの跡を気にしながらの撮影でおいおいという感じだったが、毎晩のニュースを見ると段々と大阪と兵庫は感染拡大で初の「まん延防止等重点措置」実施区域に芦屋市も指定される始末。ギリギリのタイミングだった。

さて、故郷の桜を撮る。これは写真家としての成長の記録になるのかもしれないと思い始めている。

posted by 川廷昌弘 at 19:26| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月04日

写真家・鷲尾倫夫さんと語り合った

自分の写真展で初めて鷲尾倫夫さんと語り合えた。偶然、個展の初日に鷲尾さんからお電話をいただいた。「じゃ見にくよ。」と言われたが、たまたま在廊していた今日、ふらっと入って来られた。ご縁、波長とはそういうものなのかも知れない。

更に、たまたま展示の打ち合わせに来られていた石内都さんと目の前で鉢合わせになった。芳名帳に鷲尾さんと石内さんの名前が並んでいる。石内さんは展示を見て「頑張ってくださいね」と言ってお帰りになった。光栄な瞬間だった。

さて、僕の写真は鷲尾さんの目に止まるのか?極めて緊張する時間だったが「いいな」と言ってもらえた。「孤独だろ?」と言われて二人で大笑いした。そして噛みしめるように、いつもの如く、ご自身に言い聞かせるように出た一言が心に響き渡った。

「写真は物語じゃない」

鷲尾さんですら写真を組んでいく時、撮るプロセスや時間に思い入れがある写真を選んでしまうという。それを「甘い写真」とおっしゃる。その瞬間が放つ力が写真であり、プロセスはどうでもいいんだと。「物語は他人が語るもので自分で語るものじゃない」。

この一言一言が自分の言葉のように染み込んでくるようになった。ここに写真を組んでいくときの「たしなみ」がある。写真集を編集してくださった大田通貴さんが展示を見て「大人になった」と言ってくれたのと同じ話だ。写真家として自分の成長を感じることができる。これだけで今後の写真家人生に大きく影響を受け続けることになるだろう。

2009年に知り合って以来、鷲尾さんの個展会場でお会いするたびに言葉をいただき写真家としての眼力を鍛えてもらって来たと思う。「受光体は自らを磨き発光体を探し出会う」(2009年)。「文章は一枚の写真」(2013年)。「相手が語るまで待つ」(2015年)。その時その時の自分の実力に応じて入って来た言葉のように感じる。

鷲尾倫夫さん、1941年生まれで、なんと今年80歳。とてもそんな年齢には見えない気力。80-90年代は「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマン。つまり時代のスナイパーだった人。多数の個展を開催されている。受賞歴に1991年『伊奈信男賞特別賞』、1996年『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』がある。現在のテーマは沖縄。次の展示は5月を予定されている。まだまだ現役のまま導いていただきたい。

鷲尾倫夫さんの「写・写・流転」(2009年)
写真は一枚。文章は一枚の写真(2013年)
鷲尾倫夫さんの写真展「巡歴の道オキナワII」を観た(2015年)

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(撮影:岡部優香里さん)

posted by 川廷昌弘 at 00:55| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

写真家が個展を開催する意義

心が震えました。写真家としてのポジショニング、表現者としての進むべき道を、日本写真家協会の大先輩である伏見行介さんに示していただいたと受け止めています。

真剣に写真に向き合っているならば、写真で勝負をしたいと思っているならば、自分では見えていない成長や育んでいる個性というものを、個展を継続して開催することで発信できることを実感しました。

一つのテーマに取り組み試行錯誤をしている最中には、自分を信じて頷きながら走っていても、孤独で迷いや弱気や挫折しそうな気持ちにもなります。しかし、きっと自分の感性を信じて追い詰めれば追い詰めるほど、自分の成長につながり結果が見出せるのだと今回の個展ほど実感したことはありません。

年齢的な熟成もあるのかもしれませんし、何より今回は10年振りに開催できたことが大きいかもしれません。その間、人生のスランプや業務での飛躍など大きな山と谷を経験しながら、ずっと今回発表した作品を撮影し続けていました。

写真家として死にたい。そう思って生きています。今回はその思いに一歩近づけたと思いました。

伏見行介さんのブログFrom our Diary. MASH 「写真は楽しく!に、10年以上に渡って見守っていただいているような温もりを感じました。益々この道を精進します。ありがとうございます!

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posted by 川廷昌弘 at 11:38| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月17日

117に想う

阪神淡路大震災から26年。毎年、この日に想うことを記してきた。今年はやはり、コロナ禍による緊急事態宣言中でのこの日を迎えたということに尽きる。

阪神淡路大震災を契機としたかの如く、それ以降、大規模で甚大な被害をもたらす天災に見舞われてきた。災害大国日本はまさに激動期なのではないだろうか。

間もなく10年を迎える2011年の東日本大震災、2015年の御嶽山の噴火、2016年の熊本地震、2018年には西日本豪雨と北海道胆振東部地震、2019の台風19号など。そして2020年のコロナウイルス感染症である。

コロナがトドメのように受け止めいているが、しかし緊急事態宣言を過ごしている中でさらに危惧されているのが、東南海地震や首都直下型地震だ。東南海は今後30年で70〜80%の確率で発生すると言われ、富士山だって噴火スタンバイ状態と言われている。

地震、噴火、津波、氾濫、そしてウイルス。いずれも生死は紙一重。

阪神淡路大震災でタンスの下敷きになったことは、僕にとってはショッキングな記憶となっているが、同じように何かの下敷きになって亡くなった方は、死亡者の7割以上とも言われている。毎年の報道を見るたびに「生かされた」という想いが強くなる一方、備えることに対して緩んでしまっているのも事実だ。

備えあれば憂いなし。今年の117ほど多様な災害に対して、この26年間の学びを振り返り、コロナ禍の中で起こるかもしれない次の天災に備ねばと想う次第です。

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今年の正月は帰省を控えたので芦屋の最新の風景写真がないため、2019年の4月に撮影した芦屋の桜です。

こちらは、震災10年後に出版した「一年後の桜」の作品群へのリンクです。
posted by 川廷昌弘 at 12:00| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月30日

この時代にバライタ印画紙が性能向上で感激

来年2月に開催する「松韻を聴く」の個展に向けて、久しぶりに11x14インチのバライタ紙でプリントしている。

印画紙は大阪写真専門学校で使い始めたILFORDをもう30年ほど愛用している。しかし2013年頃に国内での取り扱いが変わって値段が倍増し、暗室ワークもこれまでかと思っていたら、海外からの取り寄せだと半額近い値段で手に入ると知り息を吹き返した。

NYにリアル店舗があるB&Hは、ネットでも日本円で表示されているので購入しやすいため、多くの写真家が利用していると聞き活用する。

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B&Hのリアル店舗(Googleストリートビューより)

今回の作業では、その頃に国内で購入していたバライタ紙がまだ手元にあったのだが、10枚ずつの小ロットで作業に没頭するには枚数が小刻みのため、無意識にB&Hで購入した50枚入りのBOXを使った。するとこれまで経験で培ったデータよりも光を強く感じ違和感を持ったけど、露出を絞ったためなのかこれまでになく階調が豊かに再現でき、期待以上のプリントワークができたので、気分も良く調子に乗って作業を進めることができた。

3日目の今日、50枚を使い切ってしまい、ストックしていた国内で購入していた印画紙でプリントをしてみたら、光を感じにくくデータがまた狂ったと愕然とし一瞬落ち込みかけたが、何でだろうと両方のパッケージを見比べれみたら、何と!同じバライタ光沢厚手だが、商品名が写真の通り違うのである。これに今頃気がついた。B&Hで購入したのはCLASSICとなっている。

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同じタイプの印画紙だが表記が違った

慌ててネットで調べてみたら、このようなデータを掲載している写真家の斎藤純彦さんのサイトを見つけた。

性能向上に関してメーカーの記述を抜粋転記。
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イルフォード・マルチグレードFB CLASSIC ファイバー多階調印画紙は、イルフォード・マルチグレード IV FB ファイバー多階調印画紙の後継製品として、以下のように性能が向上しています。

・最大濃度が上がった
・水洗時間が50%短縮
・露出時間が短くなった
・各グレード間の階調差がより均一
・画像がシャープになった
・現像時に画像がより速く出現
・階調特性が改善された
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腑に落ちる、腹に落ちる、合点がいく、自分が感じた通りのことが書かれているので大いに安堵した。さらに詳しく斎藤さん自身の見解が書かれている。志向する表現が違うので、その見解がさらにヒントになった。

そして何より感激したのは、デジタルカメラ隆盛のこの時代に、バライタ印画紙の性能をILFORDと言うメーカーは向上させてくれているということだ!もう行く末が見えないと思いながら、12年ぶりに、自分で暗室にこもりプリントをするモノクロの個展を開催するにあたり、驚きと感激、そしてモチベーションが500%ぐらいアップなのである。

そうなると、暗室機器の寿命が心配になってくる。1991年に大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ大阪)の夜間部に入学した際に購入した機器が現在も元気に動いているのである。

引き伸ばし機はLUCKY 90M-D、タイマーはLUCKY Timer3、そしてセイフティライト。イーゼルはLPLユニバーサルイーゼルマスク5132。

印画紙が進化している現実を知り、どうか生涯の友であって欲しいと切に願う今日なのである。

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今日の暗室

2月の個展では、このように暗室ワークに新たな生きがいを感じ、様々な場所で出会った光景に再び感情移入しながら、印画紙に焼き付けた成果を展示したいと思いますので、是非とも来てくださいね!

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川廷昌弘写真展
「松韻を聴く」
場所:蒼穹舎ギャラリー
日時:2021年2月22日ー3月7日 13:00-19:00
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DMの入稿原稿


posted by 川廷昌弘 at 23:33| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月24日

写真集「松韻を聴く」を出版します

僕にとって4冊目の写真集の制作が始まっている。新宿御苑にある出版社の蒼穹舎で印刷会社から届いた初稿を見た。とても力強く手応えを感じるものになっていた。明らかにこれまでの写真集とは違うと思う。ワクワクする。

編集者の大田通貴さんのドライなセレクトで松の木にしっかり集中できる流れとなり、デザイナーの加藤勝也さんの手によって写真たちが新たな呼吸を始めていた。さらにとてもクオリティの高い印刷技術によって、ここまで僕のプリントが表現していたのかと思うほどの世界が再現されている。

自分で言うのもおかしいが、これまで自分が作ってきた世界観がとてもしっかりとした思いに支えられていることを実感する一方で、このような手応えを得られる機会をこれまでにも積んできていたら、もっと自信を持って撮影の時にしっかりと松と向き合って作品の枚数は増えたであろうと思う。こうして成長していくのだと思う。

写真集の構成は、これまでと違い自分の主観をできる限り捨てて大田さんに100%編集を委ねることができるようになった。人間として成長したのかな。それによって写真たちがとても互いに響き合い良い感じで収まっているのだ。テキストも大田さんの指示に従い、伝えたいと思っていた感傷的な部分は削除した。この写真集が陳腐にならないように。一人歩きできるように。

タイトルもシンプルにした。「松韻を聴く」だ。英語タイトルは翻訳者のヒントン・ミユキさんによって「The Voice of the Waves Through the Pines」となった。

発売は2021年2月21日の予定。出版に合わせて10年ぶりに写真展を開催することにした。蒼穹舎ギャラリーで2月22日ー3月7日。東日本大震災から10年の節目となる。

蒼穹舎ギャラリーへのアクセス

この「松韻を聴く」に取り掛かった背景について書いてみようと思う。

東日本大震災の直後から、東北大学に集まってグリーン復興プロジェクトと銘打って、岩手と宮城の海岸線に住む様々な人と交流し支援のあり方を考え行動し、各地の現状を把握していった。そんな中で、閖上「ゆりりん愛護会」の大橋信彦さん小泉海岸の阿部正人さんをはじめ、陸前高田の「高田松原を守る会」など、故郷の海岸線の風景を守りたいという強い思いを持った人に出会った。そして北海道から東北の海岸線に足を運び、地域の自然植生を活かした景観を再生する「はまひるがおネット」の鈴木玲さんとも出会った。

日本人の心の風景ともいえる「白砂青松」の風景。暮らしを守るために人の手で作られた風景。これが津波で徹底的に破壊された。閖上の大橋さんは震災の前に子供たちを集めて松林で環境教育を始めていた。この美しい風景を次世代に引き継ぐためだった。しかし壊滅した。大橋さんの自宅も流され、大橋さんもなんとか生き延びた。閖上の松林を取り戻したい。その一心で動き始めていた頃に出会った。小泉の阿部さん。美しい白砂青松の風景は跡形もなく、そこに幅90m高さ14.7mの防潮堤の建設が決まりゆく中で出会った。いずれも、何ができるのか足を運んで語り合ったが、外部の人間の無力感を抱くことになった。

地域の力になれることを模索している頃、ヒントが欲しくて写真家の視点で見つめてみることにトライしようと、2013年のGWに松川浦から閖上の松林のあった風景を車中泊で撮影した。無人の荒涼とした風景に佇む立ち枯れた松や生き残った松。圧倒的な存在感。被写体としての魅力。この手応えを形にすることができないだろうかと思ったが、この地域に何のゆかりもない僕が、これを撮って良いのだろうかとためらってそのままになってしまった。

阪神淡路大震災の10年後に出版した写真集「一年後の桜」は、被災者としての言葉にならない心情を撮り続けたものだった。部外者の自分にできる写真を通した表現とは何かを悩んだ。

2015年、震災から4年が経ち、復興の槌音が聞こえ海岸線の風景にも変化が出始めた。この変化する風景の中で、あの松たちがどんな表情を見せてくれるのか、やはり撮りたいと思い、それから毎年、まとまった時間がとれる時に、北は青森の下北半島から南は北茨城まで、車中泊で海岸線を巡った。様々な立地の中で、立ち枯れた松、生き残った松が、雄弁に語りかけてくれた。しかし多くの立地は、人間の暮らしを感じる場所ではなくなっていた。暮らしを守る風景とはどうあるべきなのか。それを問いかける作品になればと思う。

撮影機材は、亡き親父から譲り受けた1971年製造のハッセルブラッド500Cにプラナー80mm標準レンズ1本で、フジフイルムのアクロス100というモノクロフィルムを使った。

阪神淡路大震災は被災者として撮影して10年後に「一年後の桜」を出版した。東日本大震災は外部者として撮影して10年後にこの「松韻を聴く」を出版する。地震大国に生まれ生きる人間として風景をどう表現するのかを追求することになってきたように感じる。是非とも手にとってご覧ください。個展にもお運びいただき購入してもらえたら、さらに嬉しいです。

写真集「一年後の桜」はこちらか購入できます。
続編の「芦屋桜」もあります。

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表紙の見本と本編の初稿です。



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2020年10月17日

今日は写真家の1日

13時から新宿御苑にある蒼穹舎で写真集の打ち合わせ。来年2月に向けて出版が決まりました!東北の海岸線に佇む松の木を2013年から撮り続けてきたシリーズが結実します。

8月23日、新宿御苑の蒼穹舎に10年ぶりぐらいに足を運び、編集者の大田通貴さんとつい先日会ったような雰囲気で語らいました。ここは写真集の出版・販売・ギャラリー運営をしている、写真に向き合う人間の聖地。阪神淡路大震災から10年後の2005年に、僕の初めての写真集「一年後の桜」を大田さんの編集で出版しました。今回は久しぶりだったので、大田さんに近況報告と2つの作品ファイルを見てもらいました。

1、2009年に新宿と大阪のニコンサロンで個展を開催し、現在も撮り続けている「松韻(湘南を渡る)」。
2、東日本大震災後の2013年から撮り続けてきた東北の海岸線の松のある風景「松韻(海岸線の記憶)」。

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すると、「これ本にできるね。」と東北のファイルを見て一言。「阪神淡路大震災の10年後に写真集を出した川廷さんが、東日本大震災の10年後に再び写真集を出すという流れだね。」極めて納得の物語。僕はどんな写真家として何を残していくのかが少し見える物語です。写真家として、僕は方向性を見失っているのではないかと毎日悶々としていたけど、この一言ですべてが吹っ切れました。自分の思考を信じて写真を撮っていて本当に良かった。

10年という歳月でさまざまな経験をして、客観性や普遍性に対する理解も多少深まり、多くのものを蓄えてきたからこそ、この瞬間が待っていたんだなあと時間の持つ意味を深々と感じました。これで「写真家として死ぬ」という人生最大の目標に近づけます。

亡き親父から譲り受けた1970年製造のハッセルブラッドに標準レンズ1本で1990年から撮り続けて今年で30年。その成果は、阪神淡路大震災から10年後に出版した「一年後の桜」。そして東日本大震災から10年後に出版するこの写真集です。タイトルはまだ仮ですが「松韻ー海岸線の記憶ー」の予定です。出版に合わせて久しぶりに個展も開催しようと言う事になりました。

頑張ります。

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そんなハイテンションのまま、表参道にあるハッセルブラッドジャパンへ。予約していた907X CFV50C デジタルバック入荷の連絡があり買いに来ました!1970年製造の親父から譲り受けたボディ500Cとレンズのプラナー80mmに、最新鋭のデジタル機能を搭載することが出来るのです!

マイレガシー、マイフューチャー、そしてマイドリームです。

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僕にはこれぞSDGs!生涯にわたり最新の技術で、親父が若き頃に夢を抱いて大枚叩いたこのボディとレンズを使い続ける事が出来るのです!僕も大枚を叩きました。しかしそれだけの価値があります。

このデジタル対応に向けて、いよいよ不調になっていたボディとレンズを8月7日に後楽園にあるクラシックカメラ修理のエキスパートであるウメハラカメラにオーバーホールに出してしっかりとメンテナンスを済ませていました。準備万端です。

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フィルムでも撮影が出来、デジタルでも撮影が出来る。夢のような話ですが現実です。1枚のCDカードにミラーレスのデジタルレンズで撮影した写真と、フィルムカメラのレンズで撮影した写真が並ぶのです。

様々な時々の大きな決断によって、人生が楽しく豊かになってきました。気持ちホクホクの東海道線での帰路に1本の電話がありました。

僕が指導する写真クラブの元メンバー荒井信雄さんの御遺族からでした。家族全員が集まり、写真集を是非作っていただこうということになりました!是非よろしくお願いします。と、とっても弾んだ声の電話でした。

荒井さんは僕にアドバイスを求め作品づくりに励んでいたのですが、体調を崩され闘病むなしくお亡くなりになってしまいました。

お通夜で、奥様から僕に成果を見せるために病院のベッドにパソコンを持ち込んで最後の最後まで楽しそうに作品づくりをしていたと聞かされ、棺を抱いて泣きました。

お葬式が終わり、写真クラブのメンバーとお家に伺いお話を改めて伺いました。ご本人は僕の指導の元で作品をセレクトし写真集にするつもりで研究していたとのこと。僕はその作品を預かり遺志を形にしようと決意しました。

しかし、実はこれは8年前の話なのです。詳しくは当時ブログに書きました。2012年12月9日でした。
http://kawatei.seesaa.net/article/306735637.html

その後、僕自身が離婚や引越しなど人生の巨大な節目を作ってしまい、自分の歩みの立て直しで精一杯で、常に荒井さんの写真を何とかしなきゃと言う気持ちは持ち続けていたのですが動けませんでした。

そして、茅ヶ崎に家を建て、毎日取り組んで来たSDGsも著書を出す事が出来、ようやく8年前に預かった写真作品が入ったボックスを開こうという心持ちになれたのでした。

2020年8月13日、写真クラブのメンバーの中島直さんに自宅に来ていただき、一緒にセレクトをしました。とても一人では再びこの作業をする自信がなったのです。8年経って改めて見る作品はさらに迫力を感じました。これが写真の持つ力なのかもしれません。印画紙が変化しているわけではないけど、自分が人生を刻むことで見え方が変わるためですが、荒井さんが見つけたアングルの魅力を理解できるようになったということなのかも知れません。

中島さんとも相談し、既に8年も経過してご家族の心境も変化しているかも知れず、この写真の話をするなら、写真集の発売が可能なところまで作業を詰めておこうということとなり、これもまた10年ぶりぐらいに蒼穹舎の大田通貴さんに連絡して相談に乗ってもらえることになりました。それが冒頭に書いた8月23日に蒼穹舎に行くきっかけでした。中島さんと蒼穹舎に2人でセレクトした写真と残った写真もボックスに入れて持って行き、この作品群を写真集にできるか相談をしました。ザッと見た大田さん、被写体をよく見ているようだし出来ると思うから少し預かってセレクトしてみると言ってくれたのでした。この時に僕の作品も持って行って、僕の写真集も進めていくことになったのでした。

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9月26日、再び蒼穹舎に行くと、大田さんの手によって枚数を増やし並び替えをされた写真群は1枚1枚の魅力がより伝わりやすくなって手応えのあるシリーズになっていました。これなら写真集にできるねと大田さん。思い切って8年ぶりに荒井さんのご自宅に電話をかけました。奥様が出られてこちらの状況をお話したら、やはり8年の歳月が経っていてすっかり僕が忙しさのために荒井さんの写真の事は忘れてしまっているのだろうと思って諦めていましたと戸惑いの声色でしたが、お話しするうちに段々と声色にも変化があり娘さんと一緒に話を聞きましょうと言っていただけました。

翌日の9月27日に8年ぶりに荒井さんのご自宅に伺い、8年もお待たせしてしまった経緯をご説明し作品群を見てもらいました。ありがたいことに、お二人とも僕のことはインターネットや新聞などで見聞きしてくださっていたようでご理解いただけました。僕の思いが8年前から変わっていないことを知って大変に喜んでくださり、写真集にすることを諦めていたけど、家族全員で集まって相談してみますということになりました。

写真集の持つ力。それは本人が存命でも他界していても関係なく、写真の魅力で存在し続ける。亡くなる直前まで作り続けた作品は写真集になることで半永久的に作者の思いを世の中に問い続けることが出来る。つまり荒井さんの遺志は意思としてこの世に存在し続ける。そんなお話をしました。

そして、荒井ファミリーは今日集まって久しぶりに荒井さんの写真について語り合われたのでした。僕の8年前のブログも家族で読まれたようで、その思いを持ち続ける僕に全てを託したいと言ってくださいました。

天国の荒井さん。大変にお待たせしました。2021年の前半には、写真集を完成させることができると思います!

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2020年01月17日

117に刻む

阪神淡路大震災から25年。今年の追悼のキーワードは「きざむ」だ。記憶の風化についての報道も年々多い。しかし今年は風化は自分の中で進んでいるという当事者の声が印象に残ったり、メディアが流す当日の多数の写真に不思議と体温を感じた。

被災者の一人として、風化させてはいけないということが、意識ではなく体感として染み込んできたのではないかと思えるのだ。

関西支社に芦屋の実家から通っていた。その実家は震度7のベルト地帯となった。最初の突き上げと爆音で、寝ていたはずなのに布団の上に座っている状態で寝覚めた。その後の揺れの記憶もあるし自分がどう反応したのかも覚えている。羽毛ぶとんを頭からかぶって右に左に叩きつけられ地球は壊れるのかと死を意識した僕の上に、足元にあったタンス2つが倒れてきて揺れが止まった。

左右にも上下にも揺れるローリング状態だったということは、数日後にNHK神戸支局の映像を見て理解できた。僕は多くの「下敷き」になった一人だったのだ。しかし幸いにも自力でタンスを押し上げて抜け出すことができた。被災地全体で、家具、梁、天井などの下敷きになって窒息・圧死した人は亡くなった方の約77%を占めるという調査結果もある。そう考えると僕は運が良かった。

その後のニュースなどで被災の実態がわかってくると段々と「生かされた」と感じるようになった。この体験が、環境や社会を強く考える人間へと成長させてくれたのだと考えている。無意識のトランフォームが自分の中に起こっていたのだろうと思う。

今年から国連はSDGs達成に向けた「行動の10年」を始める。誰も置き去りにせず、統合された解決策を推進する体制を強化し、国内や地域における取り組みを強化するように呼びかけている。

毎年117に繰り返しているこの想いを心に刻みつけ、生かされた命を使いきれるように感謝を胸に走り続けたい。

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2020年正月に芦屋霊園から市内を望む
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2019年06月12日

富士フイルム「ACROS II」の開発に成功!

誕生日前夜に飛び込んだ朗報!吉報!

2000年11月に発売開始され極めて繊細でシャープな再現力を誇った富士フイルムのモノクロフィルム「ACROS」。

いま撮り続けているモノクロ作品では、愛機のハッセルブラッドに中判カメラ用のブローニーサイズを装填しその恩恵にあやかり制作意欲を維持してきていたのですが、2018年秋にフィルム市場の縮小に伴って製造販売が終了?!というショッキングなニュースが飛び込み、慌てて市場に出回っているものを買い込んで気持ち的には細々と作品作りを続けていました。

そして、いよいよ今年中にはストックが切れてしまうのでデジタルへのシフトを考えねばなあと思っていたところ、なんとなんと!!

富士フイルムは、製造プロセスを見直して「ACROS II」の開発に成功したというではないですか!従来品に比べハイライト部の階調をメリハリのある設計とし、立体的な階調再現が可能!とか、世界最高水準のシャープネスにより、被写体の輪郭を強調した描写が可能!とか。そしてそして、発売時期は2019年秋(予定)と富士フイルムのプレスリリースには書かれているではないですか!

デジタルに切り替えを検討していたのに、今からこのフィルムを使うのが楽しみで仕方ありません!亡き父から受け継いだ1971年製造の愛機であるハッセルブラッド500Cとプラナー80mmの標準レンズ。まだまだ現役フィルムカメラとして活用できそうです。

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富士フイルム!ありがとう!やるじゃないか!!

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