「世代を超えて、人と人、場所と場所、思いと思いを『むすぶ』ことによって知恵や教訓を伝えていく。神戸だけではなく、様々な被災地が結びつきながら語り継いでいくことが大切」とのメッセージ。
やはり経験を言葉にすることは大事だと、毎年この日に思う。あの日、2歳だった長女が普段寝ている床に敷いた布団に、腰痛が気になって僕が寝て長女は僕のベッドで寝ていた。
そこへあの揺れ。僕は、とても長く感じる時間、実際は15秒だったが、床と壁に交互に叩きつけられ、恐怖のあまり「死」を意識しながら羽毛布団を頭から被ったら、そこへ足元にあった衣装ダンスがドスンと僕の上に倒れてきて揺れが収まった。
この地震での圧死者は死者全体の8割。震災直後は自分が生きているのが当たり前で、それ以上のことは何も考えていなかったが、後から圧死された方の現場の状況を聞くにつれ、また時間の経過とともに、「僕は生かされたのではないか?」との考えが段々と強まっていった。
今はそれが確信となって、「この何かの力によって生かされた命を使い切ることが自分の人生」と考えるようになり、SDGsを人生そのもので捉える現在にに至っている。
東日本大震災の際には直後に被災地に入ることは自分の被災経験のトラウマが強すぎて何もできなかった。しかし、自分が活かされるのではないかと考えご縁があった東北大学を起点とした「グリーン復興」に関わった。
閖上、小泉、陸前高田などの海岸保全に全力を尽くす人々の思いを広げ「むすぶ」ことに生きる意味を感じた。さらに南三陸でFSC認証とASC認証の取得によって生業を活性化しようとする人たちとも深く関わり、自分らしくできることを考え企業や地域を「むすぶ」ために走った。
写真家としても2つの震災がテーマになった。
阪神淡路大震災の際は、1991年から故郷の芦屋を少年時代の町をテーマに撮影していたが、一瞬で瓦解した喪失感を抱きながら故郷の撮影を続け「一年後の桜」に出会った。そして復興していく故郷を撮り震災から10年の節目に写真集を出版した。
東日本大震災の際は、2013年から2019年まで青森から茨城までの海岸林を撮影し、やはり震災から10年の節目に写真集と写真展を開催した。
いずれも、写真を通して暮らしを守る風景とはどんな風景なのかという思いを「むすぶ」べく発信した。
世代、地域、思い、確かに「むすぶ」ことが自分にできることだった。
今年は、いよいよ定年退職。物心がついて以来初めて、いかなる組織にも拘束されない人生に踏み出す。だからこそ自分らしく生きる。この発想の原点には阪神淡路大震災のこの被災経験がある。
以下は、毎年ブログに記してきた思いは15年になりました。これもまた人生が見えてくるように思うので、自分のためにも全てのリンクを残しておきます。
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正月にスマホで撮った故郷芦屋の山からの眺め