8月23日、新宿御苑の蒼穹舎に10年ぶりぐらいに足を運び、編集者の大田通貴さんとつい先日会ったような雰囲気で語らいました。ここは写真集の出版・販売・ギャラリー運営をしている、写真に向き合う人間の聖地。阪神淡路大震災から10年後の2005年に、僕の初めての写真集「一年後の桜」を大田さんの編集で出版しました。今回は久しぶりだったので、大田さんに近況報告と2つの作品ファイルを見てもらいました。
1、2009年に新宿と大阪のニコンサロンで個展を開催し、現在も撮り続けている「松韻(湘南を渡る)」。
2、東日本大震災後の2013年から撮り続けてきた東北の海岸線の松のある風景「松韻(海岸線の記憶)」。
すると、「これ本にできるね。」と東北のファイルを見て一言。「阪神淡路大震災の10年後に写真集を出した川廷さんが、東日本大震災の10年後に再び写真集を出すという流れだね。」極めて納得の物語。僕はどんな写真家として何を残していくのかが少し見える物語です。写真家として、僕は方向性を見失っているのではないかと毎日悶々としていたけど、この一言ですべてが吹っ切れました。自分の思考を信じて写真を撮っていて本当に良かった。
10年という歳月でさまざまな経験をして、客観性や普遍性に対する理解も多少深まり、多くのものを蓄えてきたからこそ、この瞬間が待っていたんだなあと時間の持つ意味を深々と感じました。これで「写真家として死ぬ」という人生最大の目標に近づけます。
亡き親父から譲り受けた1970年製造のハッセルブラッドに標準レンズ1本で1990年から撮り続けて今年で30年。その成果は、阪神淡路大震災から10年後に出版した「一年後の桜」。そして東日本大震災から10年後に出版するこの写真集です。タイトルはまだ仮ですが「松韻ー海岸線の記憶ー」の予定です。出版に合わせて久しぶりに個展も開催しようと言う事になりました。
頑張ります。
そんなハイテンションのまま、表参道にあるハッセルブラッドジャパンへ。予約していた907X CFV50C デジタルバック入荷の連絡があり買いに来ました!1970年製造の親父から譲り受けたボディ500Cとレンズのプラナー80mmに、最新鋭のデジタル機能を搭載することが出来るのです!
マイレガシー、マイフューチャー、そしてマイドリームです。
僕にはこれぞSDGs!生涯にわたり最新の技術で、親父が若き頃に夢を抱いて大枚叩いたこのボディとレンズを使い続ける事が出来るのです!僕も大枚を叩きました。しかしそれだけの価値があります。
このデジタル対応に向けて、いよいよ不調になっていたボディとレンズを8月7日に後楽園にあるクラシックカメラ修理のエキスパートであるウメハラカメラにオーバーホールに出してしっかりとメンテナンスを済ませていました。準備万端です。
フィルムでも撮影が出来、デジタルでも撮影が出来る。夢のような話ですが現実です。1枚のCDカードにミラーレスのデジタルレンズで撮影した写真と、フィルムカメラのレンズで撮影した写真が並ぶのです。
様々な時々の大きな決断によって、人生が楽しく豊かになってきました。気持ちホクホクの東海道線での帰路に1本の電話がありました。
僕が指導する写真クラブの元メンバー荒井信雄さんの御遺族からでした。家族全員が集まり、写真集を是非作っていただこうということになりました!是非よろしくお願いします。と、とっても弾んだ声の電話でした。
荒井さんは僕にアドバイスを求め作品づくりに励んでいたのですが、体調を崩され闘病むなしくお亡くなりになってしまいました。
お通夜で、奥様から僕に成果を見せるために病院のベッドにパソコンを持ち込んで最後の最後まで楽しそうに作品づくりをしていたと聞かされ、棺を抱いて泣きました。
お葬式が終わり、写真クラブのメンバーとお家に伺いお話を改めて伺いました。ご本人は僕の指導の元で作品をセレクトし写真集にするつもりで研究していたとのこと。僕はその作品を預かり遺志を形にしようと決意しました。
しかし、実はこれは8年前の話なのです。詳しくは当時ブログに書きました。2012年12月9日でした。
http://kawatei.seesaa.net/article/306735637.html
その後、僕自身が離婚や引越しなど人生の巨大な節目を作ってしまい、自分の歩みの立て直しで精一杯で、常に荒井さんの写真を何とかしなきゃと言う気持ちは持ち続けていたのですが動けませんでした。
そして、茅ヶ崎に家を建て、毎日取り組んで来たSDGsも著書を出す事が出来、ようやく8年前に預かった写真作品が入ったボックスを開こうという心持ちになれたのでした。
2020年8月13日、写真クラブのメンバーの中島直さんに自宅に来ていただき、一緒にセレクトをしました。とても一人では再びこの作業をする自信がなったのです。8年経って改めて見る作品はさらに迫力を感じました。これが写真の持つ力なのかもしれません。印画紙が変化しているわけではないけど、自分が人生を刻むことで見え方が変わるためですが、荒井さんが見つけたアングルの魅力を理解できるようになったということなのかも知れません。
中島さんとも相談し、既に8年も経過してご家族の心境も変化しているかも知れず、この写真の話をするなら、写真集の発売が可能なところまで作業を詰めておこうということとなり、これもまた10年ぶりぐらいに蒼穹舎の大田通貴さんに連絡して相談に乗ってもらえることになりました。それが冒頭に書いた8月23日に蒼穹舎に行くきっかけでした。中島さんと蒼穹舎に2人でセレクトした写真と残った写真もボックスに入れて持って行き、この作品群を写真集にできるか相談をしました。ザッと見た大田さん、被写体をよく見ているようだし出来ると思うから少し預かってセレクトしてみると言ってくれたのでした。この時に僕の作品も持って行って、僕の写真集も進めていくことになったのでした。
9月26日、再び蒼穹舎に行くと、大田さんの手によって枚数を増やし並び替えをされた写真群は1枚1枚の魅力がより伝わりやすくなって手応えのあるシリーズになっていました。これなら写真集にできるねと大田さん。思い切って8年ぶりに荒井さんのご自宅に電話をかけました。奥様が出られてこちらの状況をお話したら、やはり8年の歳月が経っていてすっかり僕が忙しさのために荒井さんの写真の事は忘れてしまっているのだろうと思って諦めていましたと戸惑いの声色でしたが、お話しするうちに段々と声色にも変化があり娘さんと一緒に話を聞きましょうと言っていただけました。
翌日の9月27日に8年ぶりに荒井さんのご自宅に伺い、8年もお待たせしてしまった経緯をご説明し作品群を見てもらいました。ありがたいことに、お二人とも僕のことはインターネットや新聞などで見聞きしてくださっていたようでご理解いただけました。僕の思いが8年前から変わっていないことを知って大変に喜んでくださり、写真集にすることを諦めていたけど、家族全員で集まって相談してみますということになりました。
写真集の持つ力。それは本人が存命でも他界していても関係なく、写真の魅力で存在し続ける。亡くなる直前まで作り続けた作品は写真集になることで半永久的に作者の思いを世の中に問い続けることが出来る。つまり荒井さんの遺志は意思としてこの世に存在し続ける。そんなお話をしました。
そして、荒井ファミリーは今日集まって久しぶりに荒井さんの写真について語り合われたのでした。僕の8年前のブログも家族で読まれたようで、その思いを持ち続ける僕に全てを託したいと言ってくださいました。
天国の荒井さん。大変にお待たせしました。2021年の前半には、写真集を完成させることができると思います!