2019年05月04日

東北の海岸林9 東海岸ならではの光

4月30日 平成最後の日

今回は青森と岩手県県北部の沿岸の撮影を目指す。

八戸駅に10:47着。駅前でレンタカーを借りて一路海岸へ。途中、願成寺の桜に呼び止められる。まず最初は松並木が見えた五戸川の河口。周辺は防潮堤の建設が終盤に差し掛かっており、松の植樹も済み、以前からある松並木の中に、津波の爪痕の足元に水仙が可憐に咲き時間の経過を思う。

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おいらせ町の海岸

雨がこらえきれずに降り出したが、降ったり止んだりで上下カッパを着て撮影。八戸市、おいらせ町と延々と海岸線が続く。松林は深い。おいらせ町の防潮堤にはたんぽぽがへばりついたり、所々には松も自生し始めている。なんともたくましい。強い海風に乗って波の音が聞こえる場所に、松林を背景に桜が満開の甲洋小学校を見つけた。いつまでも佇んでいたい風景。

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甲洋小学校

防潮堤は延々と続くように見える。しかし所々に自然の地形のままで砂の丘があるだけの海岸線もあり嬉しくなって寄り道してしまう。ちょうど4年前のGWに撮影した三沢市四つ目周辺の浜辺。放置された舟は朽ちており、植樹された松は密度が濃くなっていた。津波で折れ曲がった松はそのまま。少し被写体を探して撮影。風が冷たく気温は10度程度。

六ヶ所村入ると、ますます広大で荒涼とした風景。時間とともに砂に埋まる風景。ここでは防潮堤の力も及ばないようだ。18時近くなったので今夜の寝場所を探す。やはり人っ子一人居ない海風に吹かれる場所が良い。六ヶ所村商工会の横にある野鳥観察公園のトイレを頼りに、六ヶ所漁協の奥、老部川の河口にあるスペースに宿をとる。

フィルム2本
Mark III 147枚
記録用コンデジ 17枚


5月1日 令和最初の日

5時半起床。雨も上がり早速撮影開始。

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六ヶ所村のこの風景の中で夜を明かした

そして北上開始。国土地理院の津波浸水範囲概況図に基づくと、六ヶ所村泊が大きく浸水した北限に見える。ゆっくり車を走らせると崖下から姿を見せる立ち枯れた松に呼び止められた。

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六ヶ所村の泊

北上し東通村の原発手前で浜に出てみる。多くの松が打ち上がっている。ここも老部川のようだ。水面漁協の対岸になる。原発の施設が背景になるよう撮影。さらに北上して、本州の太平洋側では砂浜最北端にあたる猿が森砂丘の北限である尻労地区に向かう。ヒバの埋没林は4年前に訪ねているので立ち寄らず。途中、砂丘に出ようと試みるが、東京電力と防衛省の敷地で立ち入りれる道を見つけることができなかった。こうして延々と黒々と広がる松の海岸林がありながら、どこからも立ち入ることができない砂丘地帯。大半を防衛省が管理というのを安心とも取れるが、政府が管理しているとも考えられる。

今日は、本州の太平洋側では砂浜最北端にあたる猿が森砂丘の北限である尻労地区から、雄大な風景を眺めてみた。生まれて初めて訪ねた集落はあまり人影もなく、冷たい海風が吹き気温は10度。山の上では巨大な風力発電が何台も回っていた。だだっ広い砂丘を時間を気にせず延々と歩いてみる。砂はきめ細かく柔らかく足が重い。吹き付ける風に冷え切っていたが戻ってくると汗だくになっていた。この集落の人たちは、風力発電の恩恵にあやかっているのだろうか?いろいろ複雑な気持ちになる。近くて遠い砂丘。本州の最北端の広大な砂浜はそんな場所だった。

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大須賀海岸

さて、昨日と今日は北の方が雨の確率が低かったため選択が的中して撮影をこなせた。明日は田老町から2日かけて八戸に北上する計画。そこで今日はこれからできる限り南下する。途中、ヤマセが発生していて写欲をそそる。たまらず八戸の大須賀海岸に立ち寄ってしまった。その後も様子を見ながら走り続け、日没を十府ヶ浦海岸で迎える。圧倒的な防潮堤が暗闇に浮かぶ。地図を見ると堀内地区にまついそ公園を見つけそこを今夜の宿とする。

フィルム3本
Mark III 227枚
記録用コンデジ 33枚

5月2日 晴れ

4時半起床。快晴の朝。早速、十府ヶ浦海岸で流れ行く雲と生き残った松を撮る。続いて4年前にうまく撮影できなかった崖の松も粘ってみる。今日はここから田老町に向けて南下する。

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十府ヶ浦

普代村の巨大水門。河原に降りて流れ行く雲の影をみながら撮影。4年前にこの水門の巨大さに驚いたが、東北各地に軒並み巨大防潮堤が立ち上ってきたので今は大きく感じない。

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普代村の水門

この東北の海岸林シリーズは「海岸線の記憶」をテーマに撮り続けているが、どんな風景に旅愁を感じるだろうと思いながら走っていたその時、黒崎橋から見下ろす小さな漁港が目に飛び込んできた。遠く水平線、シンプルな防波堤と小さな漁船。普遍的な風景。旅の空、旅の心を感じる。「記憶」とは、海岸林がもたらしてくれたであろう時間に思いを馳せるつもりで考えていたが、その中にこのような風景を混ぜることで深みが出てくれたらと考え撮影。

田野畑村に入った。前回訪ねた黒崎や北大崎をやり過ごし明戸浜。破壊された堤防の部分が保存され背後に道路を兼ねた防潮堤が完成していた。その内側に1本松が残り周辺に松が植樹されている。昭和12年に県有防潮林6ヘクタールが植樹されたらしい。いつか松林が復活した頃に訪れてみたい。ハイぺ海岸で休憩したあと島越の漁港でフォトジェニックな風景に出会ってしまい雲待ち。

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島越漁港

リアスらしい地形に沿って海沿いを走る。白池海岸では荒れた海の波しぶきが道路を濡らしている。ここには防潮堤がない。ここから道路はどんどん標高を上げていく。見えてくるのは高原の風景だ。緩やかな斜面に農地や牧草地が広がりサイロも見える。そんな風景から県道を外れて林道を20分ほど下って真木沢の海岸に至る。ここは鵜ノ巣断崖から一番手前に見下せる浜。うねりが大きく雄大な風景に打ち寄せる。みちのく潮風トレイルの標識があり、鵜ノ巣断崖まで0.8km、明戸浜まで9.3km。人の気配がなく去りがたい場所だった。

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去りがたき真木沢

これから少なからずご縁がありそうな田野畑村は、思った以上に広大で、ひとことでいうと東北の高原と断崖と海辺の村。北大崎や鵜ノ巣断崖のような代表的な海岸風景、多様な時代の地層が露出する海岸。そして穏やかな高原風景。多彩な魅力があるだけに観光や定住促進など課題が散漫になりそうで、地域に入る人の手腕が試される自治体だと感じた。

岩泉町に入って小本漁港の松の植樹エリアに向かった。ここでは大きな防潮堤が現存するがその内側に1本松が生き残っている。多分に相当な被害があったことは容易に想像できる。強風にあおられながら広大な風景を表現したくて四苦八苦する。気持ちが落ち着いたので一気に田老町まで向かう。水門横にある松林で松韻を聴く。明日は野田村から八戸までの撮影を残しているので一気に野田村まで戻り夕景の十府ヶ浦海岸で今日の撮影は終了。

Google mapsで充実する現在の旅。各地に残る海岸林の様子が良くわかり、どこにいてもロケハンが出来る。今回も事前に見つけていた明戸浜と小本漁港の1本松を訪ねた。そして真木沢は打ち上げられた松が確認できていた。その現物に会いに行った。そして現場に立って被写体として追い込んでいく。自分が納得できる絵作りができるかどうか。毎回、被写体からテストを受けているような感じだ。こんな旅の楽しみ方もあって良い。今日は1日中、時計よりも空を見上げ雲の流れをみていた。

今夜の車中泊は満点の星空。

フィルム3本
Mark III 258枚
記録用コンデジ 35枚


5月3日 快晴

4時半起床。昨日と違って身震いしながら目が覚めた。放射冷却なのか、日中の気温が高かったのに朝の冷え込みがきつい。油断した。

今日は八戸に北上する。海女ちゃんのロケ地小袖を抜けて久慈市内に入る。ここでは夏井海岸に松が数本防潮堤の外側に残っているが、その中でも数本が折れてしまっているのが印象深い。周辺には松の植樹は終わっており順調に育成していた。ひたすら海に近い道を選択して時間を気にせず北上を続ける。

今日のような快晴だと昼前から海がどんどん青くなる。洋野町あたりからは、右手の松林越しに延々と青い海と空が広がる。今日も多くの無名の風景と出会った。次にチェックをしていたのは洋野町有家。ここは想像以上の場所で海を背景に単線の八戸線の踏み切り。そして見下ろす海は絶好のサーフスポット。いろんなアングルを探して1時間は滞在したがとても去りがたい。

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好きな条件の全てを満たしてくれる場所

次は小山川河口の海岸。地元の人が玉砂利の上に昆布を干している。なんともホッとする風景に次々と出会った。松の足元は緑が広がりその間を砂利道が海へ降りていく。ここも観光エリアではなく地域の生活道だが、この光ならいくら眺めても飽きがこない。こんな出会いがあるから写真を撮りたいと本能で思うし、こんな撮影旅は自由で楽しい。

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無名の風景

緑が広がる階上町の小舟渡海岸。よくみたら小舟渡小学校と地続き。境界線に隔てるものはなく、きっと子供達は休み時間にグランドで飽き足らず海岸まで駆けて行ってしまっているのではと想像し、なんとも豊かな子供時代を過ごせることが羨ましく思う。震災後もこの立地に小学校があるのは安全だったのだろうか。避難場所にも指定されていた。

八戸駅に向かうには少し早い時間。初日に不完全だったおいらせ町の一川目で最後の撮影。西日が演出をしてくれた。その場で荷造りをして早めにレンタカーを返し八戸駅に着いた。これで4日間の撮影は終了。

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最後においらせ町の海岸

車を所有しなくなって何年だろう。毎回、公共交通機関で出かけてレンタカーを借りる。高齢者の事故のニュースが後を絶たない。普段は全く運転をしなくなったので、年齢に関係なく安全運転を心がけねばと思う。今回も大過なく4日間の旅を終えた。旅の空と写真の神様に感謝。

天気予報とにらめっこの日程調整は成功し、前半は曇天の下北半島に終始し、後半の晴天を岩手北部に当てた。とても充実した撮影ができたと思う。そろそろ、この「東北の海岸林」シリーズの撮影も終了を考えよう。足掛け7年間GWや夏休みなどを活用して車中泊の撮影旅を続けてきた。今回の撮影分を合わせてファイルチェックをしたいと思う。「海岸林をつくった人々(小田隆則)」「海岸線の歴史(松本健一)」などを読み漁り、横山大観の「海十題」の「松韻濤声」「波騒ぐ」「浜海」などを眺めながら、自分なりの世界観を作ろうと試みてきたが、写真家に問われるのは、風景に出会う想像力と風景に出会ってからの創造力だと感じる旅でもあった。だいぶ見えてきたように思う。そろそろ作品としてまとめねばと思う。

今回もHasselbradにPlaner80mm の標準レンズ1本、モノクロフィルムでメインの作品作りを行い、記録用にキヤノンS110でモノクロスクエア。そしてキヤノンEOS5 Mark IIIでカラーの絵作り。ブログにはこのカラーをアップ。これにFacebook用にiPhone7でもカラースクエアで撮っている。全部で4台のカメラ(笑)。この不自由さというか、デジタル時代のアナログ発想とでもいうのか、我流のこの撮影スタイルの呼吸で、メインのハッセルの作品作りの追い込み作業に効果があるのも事実。35mmフルサイズで広角24mm画角でみるのと中判スクエアフォーマットの80mm標準画角でみる風景は全くの別物で、中判での追い込みは難易度がかなり高いぶん達成感が格段と違う。

親父がスウェーデンから取り寄せた1971年製のHasselbrad 500CとシルバーのPlaner80mm。保証書も持っている。これを1991年ごろに譲り受けた。間も無く親父が購入してから50年。僕が使い始めて30年。二度ほど修理に出して全く問題なく使いこなせている。このハッセルで撮影した作品で、写真集「一年後の桜」「芦屋桜」を出版し、写真展「松韻〜劉生の頃〜」を開催した。驚くほどの長い付き合いとなった。愛用のフジフイルムACROS100がすでに製造販売を終了しており、買いだめてあるフィルムも40本ほどになってしまった。有効期限は今年の秋までなので、今後の撮影計画を立てねばならない。生涯を通した愛機にするので、デジタルバックの購入を考え始めている。

フィルム3本
Mark III 110枚
S110 16枚

撮影合計
ハッセルフィルム132カット
Mark III 撮影枚数742枚
記録用コンデジ 撮影枚数101枚
posted by 川廷昌弘 at 19:11| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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