これだけの歳月が経つと、自分の上に倒れてきたタンスの重みは、全く感じられなくなってしまった。「あの震災」と言っても「どこの?」と聞かれるようになってきた。
震災を知らない世代は20代となっている。そんな彼ら彼女らが、阪神淡路を知りたくて各地のボランティア参加で疑似体験を語るニュースが印象的だった。「ボラバスで非日常の被災地に足を運ぶが、帰宅すれば普通の生活のペースに戻ってしまう。」
当時のビデオカメラで撮られた映像を、アーカイブするのも20代だ。今ならスマホで簡単にとれるからこそ、映像アーカイブも彼らからすれば当たり前のこと。こうして当時の空気をなんとか感じようとしてくれる地元の若い世代に感動を覚えた。
天皇陛下のひまわりの歌に心打たれた。
震災で亡くなったはるかさんの自宅跡で、はるかさんが持っていたひまわりの種が芽を出し花を咲かせた。その種が震災10年の式典に参列された天皇陛下に贈られた。陛下は御所にその種を植えられ毎年成長を見守られてきたという。
贈られし ひまはりの種は生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に
象徴を模索され続ける陛下のにじみ出るような御心を深々と感じる。震災の日とは、その地に生を受けたものとして、原点に返ることなんだと教えられたように思う。初夏の光に向けて葉を伸ばすひまわりのように、生かされた命を精一杯使い切りたいと思う。
芦屋霊園より市内をのぞむ(正月の墓参りの時に撮影)