2018年02月12日

日本で写真を撮る意味を考える

昭和31年に毎日新聞社から出版された写真集「雪国 濱谷浩」を古書で手に入れた。

「もはや戦後ではない」「太陽の季節」が流行語で、大卒銀行員の初任給が10,000円の時代。高度経済成長に向かいつつある時にこの写真集は出版された。価格は1,500円。今の対価で30,000円ぐらいだろうか。

撮影を始めたのは昭和15年。戦前戦後にすでに失われゆく日本の暮らしを、日本海側の冬の季節に求めて20代だった濱谷浩は夢中になって通い移住までしていた。写真作家で食っていけるわけでもないのにひたすらに撮っている。撮影データも添付されている。キヤノン、ライカ、ローライ。フィルムだけでなくフィルターも記されている。レンズはもちろん単焦点だが28mmから90mmが多用され最大でも200mm。

ポートレイトから風景。地域に腰を据えて自分の作品としてまとめる作業。僕がいつのまにか目指すようになっていたスタイルだ。108枚で構成されダイナミックなエディトリアルで作り上げられている。被写体に向かっていくエネルギーをひしひしと感じる作品群。

あとがきに、「写真の記録性を強く主張して、仕事を進めました。特に、人間の形成に基底的な作用を持つ、民俗というものは、何らかの形で今のうちに記録にとどめておく必要を痛感しました。」「ここの人たちにはアメリカの近代生活を夢見ることがありません。一日一日を正確に真実に生きることを考えています。その裏付けに、彼らの民俗があるのです。私のカメラは以上のような考えをもって桑取谷へ入ったのです。」とある。

いつの時代も、政策によって日本の民俗は少しずつ少しずつ失われてきた。何度も何度も読み返し、自分の写真との向き合いを考える。また一つバイブルを手に入れた。僕は、自分の感性を信じてコツコツと撮影を続けていくというささやかな決意をこの写真集に誓う。

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posted by 川廷昌弘 at 14:04| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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