人が成人するだけの歳月も経てば、風化は当然なんだと感じていました。だからこそ誰も語っていないことを語る必要がある。伝える必要がある。責任もある。しかし、これまで被災体験は境遇によって違いがあり自分の経験が語るに値するのかどうか自分では判断できない。機会を与えてもらって語ることを許されたように安堵して話をしていました。
今日という日に芦屋の町を歩いて、僕も被災した者として語って良いんだという、何と言うか解放を感じたのです。
自分だけの物語にしない。むしろしてはいけないとさえ感じました。人の数だけ物語がある。言葉では判っていたけど、僕も物語る一人で良いんだと思えました。これまでは写真で表現することで補っていたのかもしれません。写真の力を借りなければ被災者だとは言えないような感覚だったのかもしれない。それは、僕よりももっと辛い想いをし苦労をしている人が圧倒的に多いからそう考えて当然だと思っていたのです。
しかし経年劣化ではなく風化によって、被災の大小、強弱ではなく、誰もが物語の主役であって、その物語を一人でも多くの人と共有することが、次への学びとして人のためにもなり、人としての成長にもなる。
2015年1月17日、僕は初めて芦屋公園の慰霊と復興モニュメントで、記帳して献花して手を合わせることができました。これまで、僕にはそんな事をできる資格はないと思っていたので、とても清々しい気持ちで松林を歩く事ができた。被災から20年を経て、僕もようやく被災者として成人できたのかもしれません。
芦屋公園の献花台。
故郷にある芦屋市立美術博物館の看板に「一年後の桜」が咲きました。この地に生まれ、この地で被災し、想いを記録した者として一言。「感無量」です。
芦屋市立美術博物館前
2015年1月17日、芦屋市立美術博物館の第二展示で感じたままに。写真の一人歩き、一人語り。
展示作品の前で美術館の皆さんと


