鷲尾さんの眼を通して沖縄を俯瞰するような内容だった。前回の写真展では、鷲尾さんが沖縄に対して構えていたというのか、見る側に緊張を強く感じさせる内容だったように記憶している。それに比べて柔らかく感じた。最後から3枚目に少年の写真がある。この1枚でやはり優しいと感じ、2周目にこの写真を観た時に、この少年は鷲尾さんだと気がついた。というか鷲尾さんの意図を見抜いた。
鷲尾さんも沖縄に通いながら変化していったようだ。古老から話しを引き出すことから、語りを待つようになったという。それも眼を観ながら待つという。きっと年上からしたら人懐っこく見える鷲尾さんの瞳にひかれるように語るのだろうと想像する。
明るい時間に何度か通った洞窟に夕方向かったそうだ。どんどん日が暮れるにつれて空気が重くなって息苦しくなり、ついには立てなくなりうずくまったという。そんな沖縄の呪縛も体験し、鷲尾さんは何かの一線を越えられたのかもしれない。人々に向ける視線が鷲尾さんが本来持つ優しさに貫かれているのは、それが理由なのかもしれない。そしてあの少年を見つけるに至ったのかもしれない。
全体を通して時間が止まってしまったような、置き去りにされてしまったような沖縄が浮かんで来たり、余りあるチカラを抑圧され抱えたままの若者がいたり、誰にも言えない物語を心にしまって今を生きている古老があまりに自由でいたり、今の沖縄を鷲尾さんの本来の優しさとフォーカス時代に培ったスナイパーとしての鋭さとで表現されている。
通ううちに古老から「ご飯は食べたのか?」と聞かれるようになったという。「どれほどご馳走になったかわからないが、本当に美味いんだ。」という。それだけを聞くと地域に入っていく典型的な手法なのだが、それでも外の眼で沖縄という一つの地域を見つめる。沖縄には沖縄の時間があり、それを自由に撮っているだけだと鷲尾さんは言いたいのかもしれない。
黒人を撮った時に、相手が「何故撮る?」と迫ってきたらしい。その時に、あまりにピュアでストレートで美しい写真家らしい言葉で鷲尾さんが返したら、スッと体の力を抜いて「オーケーだ」と言ったらしい。その言葉を僕はいただくが、ここには記さないようにしようと思う。僕だけが教えてもらった写真家の企業秘密のようなものだから。
鷲尾倫夫さん、2009年に僕が新宿ニコンサロンで個展を開催した時に出会って以来、お手紙をいただいたり、2013年の鷲尾さんの展示でも語り合い、淡々としたペースで親交させていただいている。恐れずにいうと、僕にとっては写真を見る眼を試される写真家の良き大先輩になっている。
2013年の鷲尾さんの展示のことを書いたブログはこちら。
2009年の鷲尾さんとの出会いを書いたブログはこちら。