水際とは、多様な植生や生きもの達が支え合って、豊かな地域の海産物やフィールドなどの自然資源を育み、これが地域の人間社会の経済を支える事になるのだと思っています。つまり生物多様性が地域の暮らしの基盤となるという、見た目には、ただの湿地であったり荒廃地であったり無駄な土地に見えるのですが、実は地域を支える象徴的な場所なんだと思うのです。
前回のうみたんグリーン復興プロジェクト会議に、伊里前小学校の阿部正人先生と正太郎くん親子が初参加。サポートしている秦範子さんがつないでくださったのですが、高校を間もなく卒業する正太郎くんが発した「地域が動くアイデアが欲しいのです。助けてください。」という声に、思わずこのプロジェクトメンバーで小泉海岸を歩きましょうと提案して、3月2日(日)のエクスカーションの実現となりました。
仙台から東北大学の中静透教授の車に乗って、小泉地区でプレハブで営業する「粋膳(すいせん)」に集合。小泉地区に入ると一気に視界が拡がり、心地よい空間が表れました。両側に丘陵が伸び、海が見え、流域の上流方向には山々が連なり、平野部には里山風景が残る部分もあります。この地形が多くの自然資源を育み、出来上がった風景が心に安堵を与え、多くの人を惹き付けてきたことを実感します。今日はフジテレビの取材クルーが一日同行取材。地元の毎日新聞の記者と環境会議所東北の記者も同行。他に仲間である日経BP藤田香さんも同行し記事を検討してくれています。
さて、阿部正太郎くんの挨拶に始まり、阿部正人さんから現状のレクチャーを受け、お昼ご飯にカキフライ定食を食して出発。この地域は、平地は田んぼや畑にして、住民は高台移転する事が決まっています。すでに平野部は広大な造成が始まっており、一見穏やかならぬ光景が広がっています。海辺ではシーサイドパレス、駐車場、松林だった津谷川の左岸はできちゃった干潟となっていましたが、資材の仮置き場にするため大きく埋めてしまっており、損失が大きいように感じます。田んぼだった津谷川の右岸もできちゃった干潟となり、牡蠣がゴロゴロあって地元の方も初めて知ったようでした。近くではJR気仙沼線の小泉駅の駅舎は消えてしまっていますが、線路が一部よじ曲がった状態で津波遺構として残っています。この辺りは、永遠の川ガキの及川慶一さんにガイドしてもらいましたが、子どもの頃の思い出と、これからの想いを語ってくださいました。自分たちは海が見える暮らしをしてきたが、防潮堤の高さはこれまで通りの5mほどで充分、海が見えなければ逃げる事もできない。自然との共生ができない小泉にしたくない。抗がん剤で病と戦いながら寒風の中で語る姿は勇ましく、しかし切実です。
阿部正太郎くんの挨拶でスタート
及川慶一さんのガイド
現在の防潮堤
及川さん想いを語る
有名になった津波遺構のシーサイドパレスの建物。その手前には幅90mほどの砂浜が復活していますが、まさにこの上に14.7mの巨大防潮堤が建設される予定。図面や俯瞰図で姿形は見ていますが、実際に建設される場所に立ってみるとまったく想像できない構造物でした。あまりに大きすぎるからか、同規模の構造物を見た事がないからか、目の前の光景に完成した状態を想像する事ができないのです。これは地域の方も同様ではないかと思いますし、何より自分たちの暮らしの先行きが見えないのに、実感すらできない構造物の議論をする余裕があるとは思えません。高台移転と巨大防潮堤はセットではないのですが、ほとんどの住民の方々はセットで考えねばならないと思い込んでいる可能性が高いようです。しかし時間の流れに乗って動いている中で、波風を立てると復興が遅れるのではとの懸念から、住民の理解を確かめるための話し合いすらできないようです。
小泉海岸
シーサイドパレスの遺構
津谷川の河口、できちゃった干潟、復活した砂浜、海に近い高台の神社、公共工事が進む平野部、高台移転の開発地、津波遺構となった気仙沼線を見て回りました。お三時には蔵内地区にできた「海の駅よりみち」で、めかぶや昆布のシャブシャブとタコのおにぎりをいただきました。こんな拠点が大切ですね。
海を望む高台
気仙沼線
こうして、エクスカーションを実施してみて理解したのは、正太郎くんの声は自分たちの世代にどんな負担が残されるのかもわからない事を、大人達が議論もなく計画を受け入れるというより、コミュニティのために流れに身を委ねざるを得ないという苦悩する姿を見て、何とかしたいという想いなんだと感じました。阿部正人さんも、具体的にどんな構造体が自分たちの「ふるさと」に出現するのかを、地域のほとんどの人が知らないまま意見を交わすことなく計画が進んでいくのに対し、「小泉海岸及び津谷川の災害復旧事業を学び合う会」を立ち上げて、「巨大防潮堤」の議論をするのではなく、小泉地区の方の誰もが理解しているはずの、小泉湾が持っている魅力や地力を活かした「復興」を議論できる場を作りたいと考えています。
高台から大造成中の平野部を見下ろす
最後に振り返りのワークショップを、森良さん(CEPAジャパン/ECOM)のファシリテートで実施しました。いろんな意見や感想が出されましたが、大切なのは地域の人が事実を把握して、世代を越えて意見を出し合えること。そしてヨソ者は、そんな小泉を支えられるようチカラを合わせること。そこで森さんからMLを作りませんかと提案。僕も「小泉応援団」を作りましょうと提案。すると、小泉地区水利組合の小野寺久一組合長から「小泉湾」と言ってくれると嬉しいとの声が。これには有り難かったです。地元の方に、自然地勢の流域を表現するのに「湾」を付けて「小泉湾応援団」と命名してもらい、ヨソ者の勝手応援団にお墨付きをもらえた気分です。そして何より慶應大学岸由二名誉教授の「流域思考」で共有する事ができます。
振り返りワークショップ
さて、ひとつのタイムリミットは9月の入札と考えて、三陸復興国立公園「みちのく潮風トレイル」や、「ジオパーク構想」のコース設定やメニュー作りに資する事になるように、想いを共にして主体的に企画実施できる仲間を増やし、いろんな視点とアプローチでアクションを創発できたら良いなと思って、「小泉湾応援団」を立ち上げましょうと提案しました。そして具体的に何をするか、阿部さんとのSkype会議での予習と今回のエクスカーションで出たアイデアや僕の妄想を加えての提案です。
1、法制度や政策へのロビー活動
九州大学清野聡子准教授の海岸法などからのアプローチで、砂浜や湿地をバッファーゾーンや荒廃地として残し、水際のある地域を残すセットバック代替案の提案を続ける。
2、巨大防潮堤のAR(Augmented Reality)制作
これは東北大学の岡田さんの発案ですが、小泉湾と津谷川を望めるあらゆる場所から巨大防潮堤を実感できるシミュレーションソフトの開発。清野聡子准教授、中静透教授、占部城太郎教授の監修で測量会社などのCSRで作成する。
3、子ども達の声を大人社会に届ける取組み
地域の未来を担う世代が社会づくりに関われるように、ESD関係者と、総合学習の授業、フィールド調査、聞き書き、議会体験などESDイベントを実施し、プログラムの成果物として次世代による「小泉湾復興計画案」を作成する。
4、小泉の魅力を引き出すアウトドアスポーツのフィールドづくり
自然学校関係者、アウトドアスポーツ企業、アスリートの方々と一緒に、小泉湾全体魅力を引き出す「次世代自然学校」構想を描く。世代を問わず、波乗り、シーカヤックなどマリンスポーツ、鮭の一本釣り、ハングライダー、マウンテンバイク、乗馬など、人間や動物のエネルギーのみ使うあらゆるアウトドアスポーツを楽しめるフィールドづくり。地域の健康が心と体の健康を育む事を実感し、災害に対応できる生きるチカラを育む拠点づくり。
5、小泉の魅力を発信するモノ作りと拠点づくり
海産物、農産物、林産物、そして湧水。地域の恵みと地域の知恵の伝統的な郷土料理や、有名シェフや地元のお母さん達の新たに開発したメニュー。新旧の食文化の理解、郷土史研究、郷土工芸、災害の学びなどを、道の駅、海の駅、川の駅、里の駅、山の駅など、作り手や語り部の育成による販売や発信の拠点づくり。
6、小泉の全てを理解できるガイドマップづくり
津波後に消えてしまった砂浜が再生したり、田んぼが浸水して湿地となったり、施設が遺構として残っていたり、時間とともに変化する小泉。セットバック代替案によるランドスケープで可能となる「次世代小泉湾復興計画」、アウトドアのフィールドづくり、モノ作りと拠点づくりなどを体感できるガイドコース設定などを記載したマップづくり。
小泉での学びが次の備えになります。地域の復興、人の復興、心の復興。「小泉湾応援団」がサポートしたいのは「復興」への歩みなんだと思います。この6つの提案が期限までに実現できるかどうか。「今だからできること」を動いていきましょう。まずは、このブログから発信します。多くの人に届きますように。
津谷川の右岸、できちゃった干潟