往路は高松空港行きのチケットを買っていたのですが、家を出るときにはすでに粉雪が降り始め、7時台の飛行機は離陸はするが高松か伊丹か羽田に着陸との事。ぎっしり予定を詰めているのですが、次女のアイデアで高知空港行きに変更。さらにレンタカーも営業時間の都合で高知に着いてから無事変更!高知は小雨でしたが、高松からの高知自動車道は雪のため通行止めだったようでラッキーなスタート。
長宗我部元親生誕の岡豊城址に着く頃には雨が上がり、現存の大手門と天守が望める貴重な高知城では気持ちよくゆっくり見学。その後、元親が戦勝祈願をした若宮八幡宮、元親の銅像、そして元親の墓へ。その後、はりまや橋にあるホテルにチェックインし、路面電車に乗って「ひろめ市場」で夕ご飯。「塩たたき定食」がとってもリーズナブルで美味しくて満足。
ホテルに帰って、東京の大雪のニュースを見てビックリ。朝は家を出るときは、今回の旅は行くべきでないという神様からの思し召しかと落ち込んでいましたが、次女の機転もあり航路変更して運を引き寄せたような感じ。明日も良い旅ができますようにという気持ちで眠りました。
岡豊城址
高知城天守閣
若宮八幡宮
塩たたき!
2月15日(土)は、まだ暗い6時前にはりまや橋のホテルをスタート。青空のもとを須崎から窪川を経て四万十川に絡むように国道381号で宇和島へ。途中、四万十町役場近くに架かる上宮沈下橋をまず見つけて大興奮。続いてデザインが美しい上岡沈下橋(向山橋)を見つけて感激して撮影&休憩。その後は300番台とは思えない快適なコースで9時45分に宇和島市立伊達博物館。
伊達政宗の政治力で側室の長男秀宗を宇和島藩主に。関ヶ原前後の画策が日本の文化に大きく影響している事をここでも実感。宇和島城は城づくりの名手である藤堂高虎の手によるもので、水城、山城、両方の魅力を備えた立地。さぞかしワクワクと腕を振るった事でしょうね。昼ご飯は市内の郷土料理「ほずみ亭」の刺身でタレをかける宇和島の鯛めしで満腹。
次に大洲城へ。ここは平成の時代に再現した天守や石垣で真新しいものでしたが、町中に遺構があり、特に三の丸南隅櫓は大洲高校のグランド横にあるのですが、そのグランドが中学の校庭より水はけが悪いのが天守から見下ろせて、今の景観を俯瞰しながら古地図を重ねる楽しさを味わいました。
いよいよ松山。道後温泉に向かう前に、砥部焼を見たくて寄り道。白磁に青い絵付けがクールで格好良いなと思っていたのでお皿を購入。そして道後温泉の近くに湯築城址の資料館に17時の閉館ギリギリに到着。周辺には中世の武家屋敷が再現されており、素敵な公園として整備され、冬の黄昏時に兵どもの夢のあとをしみじみと感じます。今夜は道後温泉本館を道を挟んで目の前に見下ろせるホテルにチェックイン。周辺の土産物街を散策して、炊き込んだ松山の鯛飯を食べてから温泉でゆっくり温まりました。
天候は、北上する車中は曇天や降雨でしたが、目的地に着くと青空が追いつき、結局傘は持たずに一日を終えられ、道後温泉本館の上空にはお月様がクッキリと浮かんでいました。
上宮沈下橋
上岡沈下橋
宇和島城
宇和島城天守閣
ほずみ亭の鯛飯!
大洲城天守閣
湯築城址
道後温泉本館
さて、2月16日(日)は7時起床。今日は今治城と松山城を巡るのですが、時間をうまく使おうとホテルを8時に出発して先に今治へ。往路に国道319号を選択しましたが、峠道ではかなりの積雪だけど問題なく9時に到着。ここも藤堂高虎が腕を振るった海城。お堀は大きく残りますが、平成の事業で真新しい6階建ての天守閣がそびえています。その天守からは港の向こうに瀬戸内海を渡るしまなみ街道が望め海城であることを実感。
お城だけを観て今治を離れるのは名残惜しく後ろ髪を引かれつつ、松山への復路は海沿いの国道196号を選び、途中で瓦の故郷である菊間周辺を抜けて温暖な陽射しのもと松山城周辺へ。お城のロープウェイの足下の駐車場に12時頃に車を入れて、歩いて10分ほどの「五志喜本店」でそうめん定食。ここはFacebookで情報をいただき知ったお店。デザートにと教えてもらったお店「みよしの」は時間を急ぐのでお店の写真だけ撮りました。
ロープウェイと思ったのですが、陽射しも暖かいのでリフトに乗り、いよいよ今回の旅の最終目的である松山城。思った以上に遺構が残り一番見応えのあるものでした。たっぷり時間があるのでゆっくり見て回り、次女がお気に入りだというのぼり石垣を探して徒歩で下山すると茂みの中に見事な遺構がありました。
これでお城巡りは終了です。「岡豊城址」「高知城」「宇和島城」「大洲城」「湯築城址」「今治城」「松山城」7つを巡り、そのうち百選は6つ。天守閣が現存するのは3つ。とても見応えのある内容。小学校の遠足で行った姫路城の記憶が焼き付いているのもあって、お城というと懐かしいというか不思議な魅力を感じますし、実在の武将のとてつもない野望や、地元の人のとてつもない労働によって築かれた遺構から、今も息づく歴史に魅せられているのだと思います。
松山空港には早めに着いたのですが、予定の飛行機が遅れに遅れて羽田に22時半に到着。とっても充実した記憶を刻みましたが、とにかく疲れ果てた状態でそれぞれの帰路につきました。
2泊3日の車の旅。車中で他愛もない話も沢山しましたが、次女がこれから勉強してどこでどんな仕事をしたいかや、僕がこれからどんな人生を考えていくかなど、少しだけですが将来も語り、僕の至らなさから別れて暮らす事になってしまった子ども達との絆を少しは頑張れたように思います。
いろんな親子のあり方がある。精一杯がんばって生きていれば、きっと幸せな親子の時間を少しでも長く得る事ができると信じたい。この3日間は、とてもうれしくて、丸くて、幸せで、泣きたくなるほど愛しい時間でした。この日記はそのつたない記録です。未熟な父親にチャンスを与えてくれた次女からのバレンタイン・トリップに感謝。
海水のお堀と今治城
今治城天守閣からの眺望
松山城天守閣
松山城
松山城二の丸付近の昇り石垣
帰路の飛行機に月明かり