東北復興に心を熱くして、行動をしているのは、この経験があるからでもある。
1995年の1月17日の早朝、爆弾が被弾したと勘違いした衝撃で目が覚めて、死を意識したあの揺れ、タンスの下敷きになったが、僕は生かされたと感じた。
阪神淡路大震災から19年。今はすっかり平成の町になった生まれ故郷。
この正月に帰省して数十年振りに会った仲間達も半世紀を生きて、人生の後半生に眼が向き始めている。
僕はこれまでに何を残して来れたのだろう。これから何を生き甲斐に生きて行くのだろう。
あの経験が人生観を大きく変えたという事を、新たな社会課題に向き合うたびに、そして、年を経るごとに実感を深める。
しかし、「生かされた」という実感が薄れているように感じる。毎年、この日を迎えるたびに、「もっと頑張らなきゃ!」って思ってきた。
でも今日は、「生きるということは世のため人のために自分を使うこと。そう考えると、僕はまだまだ自分を使いきれていないぞ!だからもっともっと頑張らなきゃ!」と感じた。
いつのまにか117に想いを綴るのが恒例となり、
いつのまにか117に想いを確かめるのが恒例となり、
いつのまにか117に生きている意味を考える日となった。
こう考えると複雑な気持ちで迎えていた日だったが、本当に大切な日だと割り切れるようになってきた。
僕にとっての117は、この世に生かされている自分を見つめ直す大切な日。
黙祷、そして感謝。
正月休みに墓参りした芦屋霊園から芦屋浜を振り返ったときの光景