鷲尾さんとの出会いは2009年3月。僕は、新宿ニコンサロンで個展「松韻〜劉生の頃〜」を開催したのですが、次の展示が鷲尾さんでした。その時に鷲尾さんの文章を読んで、写真家として完全にノックアウトされたのでした。
その日のブログです。
それ以来、嬉しい事に鷲尾さんからハガキをいただくようになり、今日4年ぶりにお会いできたのでした。
一度展示を見て、鷲尾さんの文章を読んで、もう一度展示を見て、そして鷲尾さんご自身とお話をしました。お聴きしたお話と自分の印象を合わせて文章にしてみました。
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文章は一枚の写真。
始めは覗き見るように歩く。風景の中から声を掛けられ、その風景の中の一人となった時、シャッターを切る。
聴きたかった過去を被写体に踏み込んだとき、誰にも語られなかった言葉を受け取り、ミッションを授かった人となる。
これまで、言葉や文章は、写真の展示には必要ないと考えていた。
しかし、受け取った言葉は文章となり、一枚の写真として壁に並ぶ。ミッションとして授かった写真家は、被写体が最後まで語らなかった部分を、写真というイメージの集積で表現するのだと理解して、わずか2年の歳月とは思えないほどの重量を感じる、様々な世代のポートレイトや、地力のある風景を、一枚、そして一枚、撮り重ね、印画紙に自ら焼き付け、活字から吸収したこの土地の物語を、自ら生み出す物語へと昇華した。
その白から黒で表現されたグラデーションは、現実よりも愚直に雄弁に語り、目に痛いほど脳裏に焼き付く。そんなイメージに囲まれて聞く写真家の生の声は、何よりも豊かであり学びであり刺激だった。
鷲尾倫夫さんにますますリスペクト。別れ際にやっと言えた言葉は、「お元気で、撮り続けてください。」だった。
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鷲尾さんは、新潮社のフォーカス専属のフォトグラファーを20年勤め上げた筋金入りのスナイパーです。今日はその頃の事もお聴かせいただいたので、ますます鷲尾さんの写真の深みに魅了されました。
人間としてギリギリの精神状態で、体も様々な不調を訴えている中で、かろうじてバランスを取りながら、フォーカスの文章も必要ないぐらいに時代を暴いた写真を撮り続けていた。
だからなのか、しかしなのか、今、目の前にいる鷲尾さんの瞳は、とても澄んでいてキレイのです。
銀座ニコンサロンにて