15年前、僕は兵庫県芦屋市の実家でタンスの下敷きになりました。ご近所では多くの方々がお亡くなりになりました。僕は「無力感」というものを知り、嫌と言うほど味わいました。
そこから始まったのかも知れません。今の僕のこの動き方は。だとすれば、もっと頑張らなきゃ。僕はあの場所で生かされたのだから。
翌日ぐらいに大きな余震が来て、恐怖から反射的に隣に座っていた父親と、まるで抱き合うように手を握り合ってしまったという赤面体験も今ならこうして書けます。
あの揺れの体験が、薄れてきているのは事実です。しかし今でも、例えば新幹線がすれ違うときのバン!という振動には過剰反応します。体が何かを記憶しています。
写真集「一年後の桜」を出版してから、早くも5年が経ちました。
「環境コミュニケーション」を生業にできる今に感謝しながら、多くの方々と「持続可能な社会づくり」「安心で安全で健康な町づくり」のために一歩一歩を刻んでいきたいと思います。本当はそんなことが仕事にならない社会であるべきだと思いつつ。
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写真集「一年後の桜」より
芦屋市内 1995年1月
被災地の少年たち 1995年1月
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2010年1月17日 自宅から見上げる雲
2010年1月17日 書斎の窓から