メディアは「阪神大震災」と呼び始め、
震源である淡路を加えて「阪神・淡路大震災」と政府が命名。
そう記憶している。
あの日、あの数秒を体感し、
タンスの下敷きになったけど、
こうして何事もなかったように生きている。
僕なりの震災との向き合い。
芦屋にハッセルブラッドを向けるという行為は、
故郷に花を手向けるという事だと思っている。
「一年後の桜」という写真集を出し、
僕の中で風化させてはいけないが、
必要以上に引き戻すこともない。
淡々と自らのバランスの中で刻み続ける、
自分が滅びるまで。
写真集「一年後の桜」(蒼穹舎)
1991年、転勤で生まれ故郷の芦屋に帰郷し、
父から譲り受けたハッセルにモノクロフィルムを詰めて、
ノスタルジックに撮影していた。
そこにあの激震、撮り続けるしかなかった。
そして、瓦礫や更地に咲く桜に出会ったのだった。
戦後復興で作られた僕の少年の町は永遠に失われ、
均質化された街区が作られていった。
町は破壊と再生の繰り返しである事を体感する。
そして新しい町に生まれ変わったのを見届け、
2005年、ちょうど震災から10年後に出版しました。
ご興味があれば、是非amazonのページへ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862190022/sr=1-1/qid=1200758397/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1200758397&sr=1-1&seller=
1月17日 鵠沼海岸
未発表のファイルから
「震災の記憶」
1995年1月17日
1995年1月17日
1995年1月17日 こんな状態でも店を開けたダイエーに感激
1995年1月17日が暮れていく 燻る西の空
国道2号線 こどまでも続く避難する人々
国道2号線 まるで戦争映像だった
JR神戸線 何日も放置されたまま
国道43号線 数日経つと見慣れた光景