僕にとっては初孫が生まれて初めての117。毎年いろんなことを思い出して書いているけど、2歳だった長女とのことを今年は思い出しました。
1995年1月16日の夜。なぜかその日に限って腰痛がひどく、どうしてもいつもより硬い布団が良いと思って、いつもは長女が寝ているベッド横の床に敷いた布団に僕が寝て、長女はベッドでと交代したのでした。
そして1995年1月17日5時46分。バーン!と突き上げられローリングする床に左右に叩きつけられているうちに、僕は足元から倒れてきた2つのタンスの下敷きになった。
何とかタンスの下から這い出してベッドの上でキョトンとしている幼い長女を見て、もしいつも通りに寝ていたらどうなっていただろうと、何たる偶然というか、何たる奇跡というか、世の不思議を思うしかありませんでした。
数日たって近所を一緒に歩く長女が、左右に壊れた家々を見ながら「しんさい、たいへんね」と覚えたての言葉を言いながら、ひび割れた道をおっかなびっくりジャンプしたりしていたのを思い出します。
今日は実家の用事があり芦屋にいます。昼過ぎから予定が空いたので、芦屋川沿いにある芦屋公園に設置された献花台に記帳&献花して祈ることができました。震災直後、壊れてしまった町を写真家として撮り続けるのに心身ともに疲れ果て、気がついたらこの老松が林立するこの公園に佇んで癒してもらっていました。
本当に穏やかで優しい気持ちになれる場所。今日もここで穏やかな心持ちで過ごすことができました。人は自然とともに生きるというより、自然に生かされていると感じます。僕にとって環境コミュニケーションや写真家としての原点となる場所なんだろうと思います。還るという言葉がしっくりくる場所になってきました。
2022年1月17日 芦屋公園の献花台