2020年01月17日

117に刻む

阪神淡路大震災から25年。今年の追悼のキーワードは「きざむ」だ。記憶の風化についての報道も年々多い。しかし今年は風化は自分の中で進んでいるという当事者の声が印象に残ったり、メディアが流す当日の多数の写真に不思議と体温を感じた。

被災者の一人として、風化させてはいけないということが、意識ではなく体感として染み込んできたのではないかと思えるのだ。

関西支社に芦屋の実家から通っていた。その実家は震度7のベルト地帯となった。最初の突き上げと爆音で、寝ていたはずなのに布団の上に座っている状態で寝覚めた。その後の揺れの記憶もあるし自分がどう反応したのかも覚えている。羽毛ぶとんを頭からかぶって右に左に叩きつけられ地球は壊れるのかと死を意識した僕の上に、足元にあったタンス2つが倒れてきて揺れが止まった。

左右にも上下にも揺れるローリング状態だったということは、数日後にNHK神戸支局の映像を見て理解できた。僕は多くの「下敷き」になった一人だったのだ。しかし幸いにも自力でタンスを押し上げて抜け出すことができた。被災地全体で、家具、梁、天井などの下敷きになって窒息・圧死した人は亡くなった方の約77%を占めるという調査結果もある。そう考えると僕は運が良かった。

その後のニュースなどで被災の実態がわかってくると段々と「生かされた」と感じるようになった。この体験が、環境や社会を強く考える人間へと成長させてくれたのだと考えている。無意識のトランフォームが自分の中に起こっていたのだろうと思う。

今年から国連はSDGs達成に向けた「行動の10年」を始める。誰も置き去りにせず、統合された解決策を推進する体制を強化し、国内や地域における取り組みを強化するように呼びかけている。

毎年117に繰り返しているこの想いを心に刻みつけ、生かされた命を使いきれるように感謝を胸に走り続けたい。

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2020年正月に芦屋霊園から市内を望む
posted by 川廷昌弘 at 20:16| Comment(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする