2017年06月26日

学びの島、豊島へ

瀬戸内海に浮かぶ豊島に1泊2日だけ滞在した。

違法産廃に苦しめられた信じられないような現実の40年。自治行政の長から「豊島の海は青く、 空気は綺麗だが、住民の心は灰色だ」と誤解され突き放される経験。親から見限られたような失望感の中で住民の暮らしを守るための運動。

そこにあるべき正義を勝ち取るための戦い。極めて純粋に当たり前の暮らしを取り戻すための意思表明。それを見守っていた人の中で立ち上がった兵庫県警の国松氏。そして中坊弁護士。さらに全国各地の無名の人々による支援によって本当の勝利を勝ち得た戦い。住民の主役たちも高齢化し、事実を語り継ぐための伝承を1日も早くする必要があることを肌で感じた。産廃跡地も後処理の問題から6月末日で一般の立入りが禁止される。

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沖から望む産廃処理場

一方で、2010年から始まった3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」。その第一回開催時に開館した「豊島美術館」。住民1,000人に満たない島に3期に分け105日間に及ぶ会期中17万人が訪れるイベント。これをきっかけに移住する若者が増え、通年を通して多くの旅行客が訪れるようになっている。

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豊島美術館

豊島の漁港で漁師と話をしていたら、明らかに日本語ではない家族の会話が近づいている不思議。多くの住民が優しく挨拶をしてくれて会話が進む。これが豊島の日常のようだ。こちらも安心して住民の方に挨拶をして世間話をすることができる。自分も解放してもらえるような空気が流れていた。

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漁師の角石さんは踊りの名手

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民泊でお世話になった角石さんの奥さん

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家浦地区の路地

戦争中はこの島に住民の3倍の人が疎開したという。弘法大師の伝説が残る湧き水があり、農業があり米が収穫でき、自給自足で暮らせる環境。移住した若い人たちは、高齢となった住民の農業、漁業、食事のレシピなど、生きるために教えて欲しい知恵と技術がたくさんあると口を揃え焦りを隠さない。

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弘法大師の伝説が残る唐櫃の清水

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住民の心を後世に伝えたいと願う山口さん

今回、お会いした島民のキーパーソンの印象的なフレーズを記す。

植松武義さん(元自治会長)島全体が美術館 
石井亨さん(元県会議員)これまでの振り返りをしなければならない
安岐正三さん(住民会議事務局長)やりきることで第二の豊島を作らない
砂川三男さん(元住民会議議長)全国の人の支えによってできたこと

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豪快に人生を語る植松武義さん

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冷静だけど熱い語り口が印象的な石井亨さん

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産廃跡地で圧倒的な情報量を語る安岐正三さん

砂川さんは、今、高松市内の病院に入院されているだが、どうしてもお話を聞きたくて押しかけさせていただいた。大変にお元気で丁寧にお話してくださった。開口一番は「さあ何でも質問してください」だった。

腰を骨折されて3か月入院されていたが、間も無く退院できるそうだ。90歳で3か月入院して退院できる骨の持ち主。どれだけ基礎がしっかりしているのかと思う。意識も記憶もしっかりされていて豊島で育まれた体がいかに強靭かを思い知らされる。こんなところからも豊島の生活環境の魅力を感じる。

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静かな闘志を感じた砂川三男さん

その砂川さんが記された2005年の文章が、「豊かさを問う2ー調停成立から5周年をむかえて 豊島事件の記録」の巻頭ページにある。中坊公平氏の言葉を引用したところから切り取ってみる。

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「行政依存の安易な考えで資料館を造ることは人間廃棄物として世にさらけ出すだけだ。学びの島として再生することは至難の技だ。人の心をゆり動かせるだけの情熱がなければできず、出来たとして誰も来ない島になるだろう。」中坊公平氏

必死の思いで活動してきた支援してくださった人々や130余名の物故者のことを過去のこととして捉え、現実から忘れようとした心が中坊先生を失望させた。今、豊島住民はこれからのことを決して忘れてはならないことを学んだ。こころの資料館を身の丈に合った心のこもったものとして充実に向けて、島の再生と併せてすすめなければ、事件や運動が過去のものとなり忘れ去られる。

砂川三男「忘れてはならないこと」より

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「生態系・芸術・社会・生業による生きる知恵を授けてくれる学びの島、豊島」を、住民と豊島に魅力を感じて移住した人たちや、足を運ぶ豊島ファンの人たちが、創りだせたら素敵だと勝手に思いを馳せている。ここでもコミュニケーション・デザインの力が求められている。

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棚田の脇の抜ける道からの眺め

豊島に心を寄せる方にも考えてもらいたくて記します。この2日間をアレンジしてくれた佐々木良さんに感謝します。得たヒントをアイデアにしたいと思います。


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2017年06月18日

写真の天使

めぐみの雨の日曜日。久しぶりに暗室ワーク。

先週の日曜日、僕の誕生日に10年ぶりぐらいに娘たちをハッセルブラッドでも撮影したので早速プリントしてみた。

現像液に浸して浮かび上がってくる2人は、毎日のように撮影していたあの頃がそのまま続いているかのように写っているのだが、それぞれ大学に通い就活をして、長女は社会人1年目、次女は内定、とぐっと大人になっているから歳月は確かに刻んでいる。

撮影の時、露出計をかざしてファインダーを覗き込むと、すっと2人ポーズをとってくれてサッとシャッターが切れていたことを、浮かび上がってきた2人を見て思い出した。

撮る方も撮られる方も呼吸を合わせることが自然にできるようになっていたようで、10年の時間をスッと越えることができた。

思い返せば、生まれた時から離れて暮らすまで、赤ちゃんの頃は毎日のようにカメラを向けていたし、小学校を卒業した後も気がついたらカメラを向けていたように思う。会話をするように撮影をしていたんだろうなと思い返す。

娘たちに限らず、海や山などいろんな撮影で、ファインダーに集中して撮影して仕上がりを見ると、こんな絶妙なタイミングのシャッターを切っていたっけ?と思い返すような抜群の写真があったり、自分の想像を超えたシャッターチャンスに巡り合って興奮しながら撮影することがある。

それを、「写真の神様」が撮らせてくれたと感謝しているのだが、娘たちは僕にイマジネーションやチャンスを与えてくれる「写真の天使」だったのだと今になって気付かされる。

娘たちはこの世の誰よりもたくさん写真を撮ったモデル。

僕が写真の腕を上げるために、娘たちはなくてはならい存在だったのだ。改めて感謝が深まる。なかなか揃っては会えないが、これからも何とか機会を作って撮れたら嬉しいなと思う。

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posted by 川廷昌弘 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする