2016年02月14日

熊楠への旅

何年振りだろう、、、学生時代にはバイクにシュラフをくくり付けて走った真夏の国道42号線。砂浜がなくなった芦屋から想う南紀は陸続きの異郷の南国だった。世界に名を馳せながらも、後半生はその地に留まり生態系の宇宙を彷徨った熊楠。

僕は、気候変動、森林問題、生物多様性、減災防災、SDGsとテーマを拡充しながら歩んできたが、南三陸の人々との出会いが大きなキッカケとなり、ここに来て言葉や概念に捉われずに地に足の着いた日本らしい自然共生文化を伝えるにはどうしたらいいかと考えるようになってきた。

そこで改めて熊楠に思い至る。2017年に生誕150年の節目を迎える。博物学者、知の巨人としての熊楠を俯瞰することは並大抵ではないが、日本のエコロジー先駆者としての側面を追いかけることであれば、まさに本領であるCEPA(コミュニケーション、教育、普及啓発)ではないかと白浜に移住した盟友の水野雅弘さんと思い至ったのである。

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南方熊楠顕彰館の生誕150年ロゴ

そんなタイミングで、白浜会館で開催された「吉野熊野国立公園指定80周年・拡張記念式典」を水野さんがプロデュースすることになり、後半に組まれた「つなげよう支えよう森里川海プロジェクト」でパネルディスカッションのコーディネーターに声をかけてくれ2月13日に開催。

「森」「里」「川」「海」のフィールドをつなぐのを「教育」と「水」をテーマとし参集したパネルは素敵な方々だ。

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パネルディスカッションのリーフレット

奈良教育大教授の松井淳さんの「森」は、紀伊半島の三大流域、紀ノ川、熊野川、宮川の水源である大台大峰は危機的状況にある話から始まり、三重県速水林業代表の速水亨さんの「里」は、森川海へ人為的影響を与える里の管理や森は光の管理ということを哲学と科学で解き明かす話があり、川上村森と水の源流館の木村正邦さんの「川」は、源流と下流域の交流による流域俯瞰の世代を越えた活動の話。

これら、よしくま(吉野熊野)の山々に想いを馳せる話から視点を変えて、和歌山南漁協組合長の榎本さんの「海」は、森里川海のつながりは恵みを与えてくれるだけではなく、汚染や開発という負の影響を海に与えている事実に目を向ける話に展開し、大杉谷自然学校校長の大西かおりさんの「教育」は、自然と人をつなぎ、高齢者から子どもへ世代をつなぐという心に沁みる話で、最後に自然写真家の内山りゅうさんの「水」は資源であり、世界は水を求めて争いつつあるが、和歌山は水が豊かで美しいという話へと続いた。

僕には、大きな紀伊半島に流域による自然の地図が浮かび上がり、この豊かな半島の自然資本を守って使い続ける知恵が、熊楠のDNAのごとく地域から湧き上がっているように感じた。

登壇者の発言を借りると、「地域に足を運び接点をつくり(内山さん)」「自然体験をしてアタマを良くして(大西さん)」「大事に取り組み(榎本さん)」「川を通じてつながり(木村さん)」「創造力を持って見えないつながりを感じ(速水さん)」「大台大峰を守る(松井さん)」ことで紀伊半島は未来に続く。となる。

このコーディネイト体験によりグッとリアリティを帯び、夜の懇親会では真砂田辺市長、井澗白浜市長と懇談、翌2月14日に南方熊楠記念館の谷脇館長ともお会いした。

そして、エコロジスト熊楠の足跡を感じるために、水野さんと共に彼が残した継桜王子の神社林である野中の一方杉に会いに行った。明治末の神社合祀令による伐採を免れた数少ない巨樹の佇まい。

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盟友の水野雅弘さん

熊楠の想いは、このように生きた形で熊野に点在している。これを巡るための仕掛けを多くの方々と考え形にするための構想をモワモワと妄想し始めた。

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継桜王子の神社林である野中の一方杉





posted by 川廷昌弘 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする