2015年01月17日

阪神・淡路大震災から20年

あれから20年。はやくも20年。ようやく20年。

人が成人するだけの歳月も経てば、風化は当然なんだと感じていました。だからこそ誰も語っていないことを語る必要がある。伝える必要がある。責任もある。しかし、これまで被災体験は境遇によって違いがあり自分の経験が語るに値するのかどうか自分では判断できない。機会を与えてもらって語ることを許されたように安堵して話をしていました。

今日という日に芦屋の町を歩いて、僕も被災した者として語って良いんだという、何と言うか解放を感じたのです。

自分だけの物語にしない。むしろしてはいけないとさえ感じました。人の数だけ物語がある。言葉では判っていたけど、僕も物語る一人で良いんだと思えました。これまでは写真で表現することで補っていたのかもしれません。写真の力を借りなければ被災者だとは言えないような感覚だったのかもしれない。それは、僕よりももっと辛い想いをし苦労をしている人が圧倒的に多いからそう考えて当然だと思っていたのです。

しかし経年劣化ではなく風化によって、被災の大小、強弱ではなく、誰もが物語の主役であって、その物語を一人でも多くの人と共有することが、次への学びとして人のためにもなり、人としての成長にもなる。

2015年1月17日、僕は初めて芦屋公園の慰霊と復興モニュメントで、記帳して献花して手を合わせることができました。これまで、僕にはそんな事をできる資格はないと思っていたので、とても清々しい気持ちで松林を歩く事ができた。被災から20年を経て、僕もようやく被災者として成人できたのかもしれません。

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芦屋公園の献花台。

故郷にある芦屋市立美術博物館の看板に「一年後の桜」が咲きました。この地に生まれ、この地で被災し、想いを記録した者として一言。「感無量」です。

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芦屋市立美術博物館前

2015年1月17日、芦屋市立美術博物館の第二展示で感じたままに。写真の一人歩き、一人語り。

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展示作品の前で美術館の皆さんと

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2015年01月11日

写真家という生き方

2013年に出版されたセバスチャン・サルガドの特大写真集「GENESIS」を久しぶりに開いてみた。

初めてページをめくったときに震えるような感動をしたけど、そのときよりも静かに深く染み入ってくる。サルガドが言いたいことは強烈に視覚が刺激されて脳にビシビシと伝わってくる。これだけのスケールで作品を撮って編集できる写真家は世界で一人しかいない。圧倒的なチカラを感じる。

情緒的に「創世記」と訳していいのか、ストレートなメッセージである「起源」と捉えていいのか、地球に暮らす生命体の起源を表現したものだと受け止めた僕には「起源」と読める。


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サルガドは、ブラジルの農家出身で、大学で経済学の博士をおさめ、独学で写真家となって世界中の飢餓貧困、過酷な労働など、人間社会の歪みそのものを撮影してきた。その結果、本人の精神も病みつつあり写真家活動を休止し帰郷した。

そこで、年老いた両親から受け継いだ農地が世界で起きている社会問題と同じく森林破壊の場となっていることを知り、地球に住まう生命体としての基本に立ち返る精神で思考するようになった。気候変動、生物多様性、循環型、人間社会の言葉に置き換えるまでもない思考で農地を森林に戻し、写真家として再び機材を持って世界を駆け巡った。それが「GENESIS」となった。

これ以上のメッセージがあるだろうか?

これはサルガド自身がTEDで話したことです。16分ほどで人生を語っています。世界中に多くの素晴らしいTED Talkがありますが、僕にはこのTalkが最高峰であり、もっとも影響を受けます。そしてもっとも理想的な解決策の提示だと思います。

写真家という生き方が、単に人より良い機材を持って、人より撮影に関する知識を持って、人より上手に撮影するだけでなく、いきざまそのものからにじみ出る作品が、人の心に突き刺さるメッセージとなること。

「写真は哲学」「写真家はいきざまそのもの」

1991年から2年間通った大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ大阪)の先生たちから叩き込まれた精神、というかその先生たちそのものの生き方から学んだこと。これは、僕が受けたいかなる授業よりも価値のあるものだったことを再確認した。

今年で阪神淡路大震災から20年。死を意識した20秒ほどの激震、そしてタンスの下敷きという被災体験。震災前の1991年から2005年まで撮影した作品を編集して震災10年後に出版した「一年後の桜」。その続編のような形で、生まれ故郷への想いをカタチにした「芦屋桜」という写真集を出版します。

この行為自体がとても正しいことだったと思える今日。東日本大震災から3年と10ヶ月の月命日。写真家として死ぬまで精進したいと想いを新たにした日。そして、日本で広告会社に働き、非営利組織の代表を務め、写真家として生きたいと願う自分ができること、すべきことを見つめ直す時間ともなります。ブログに備忘録として記します。


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写真集「一年後の桜」と校正中の「芦屋桜」

posted by 川廷昌弘 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | エコロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする