いつもの事ですが、身の回りの事を充分に気遣う事もできず、生き急ぐように先を先を見て、足元を見ているようで見ずにいたように思います。そんなときは単純な話ですが、部屋に物が積み上がったり、机上に書類や郵便物が重なったり、気持ちが落ち着かなくなるのですが、パソコン画面や書類、本に集中する事で、片付ける事を思考から排除して、先を思考するようにしてきたように思います。
311は、会社の会議室で揺れを体感し、そのまま待機状態の中、自席の近くのテレビの前で、人や車がのどかな里山風景の四方八方から迫る津波に追い込まれる映像、どう考えても逃げ切れる時間も逃げる場所もない映像に「逃げてくれ!」と叫ぶしかできない状態。僕は阪神淡路大震災で被災してタンスの下敷きとなった後の被災生活をトラウマのごとく思い返してしまい、全くスケールの違う災害だったのにも関わらず、思考すれども頭は停止状態のごとく、答えなどあるわけもないのに頭の中で探してしまいました。とにかく真っ先に動けたのが、RQ市民災害救援センターの立ち上げ、そして広報チームの編成でした。この領域の先輩達が迅速に動くものの手数が足りない事がわかり、思いつくままに意見も良い動きもしました。しかしこれも時間が経つとともに自分の手から離れていきました。理由は簡単です。現場に向かえなかったからです。
スタックした本業の立て直し、社内プロジェクトの対応、被災経験者として動かねばと言う焦るだけの気持ち、写真家として行動したい気持ち、何人もの自分が錯綜し思考を混乱させ動くに動けない状況を招いていました。最も自分のネガティブな状態でした。こういう緊急時だからこそ素の自分をさらけ出すのだと自分を情けなくも思いました。しかし今、東北大学生態適応グローバルCOEの「海と田んぼからの復興プロジェクト」の立ち上げから関わらせていただき、自分が貢献できそうなアクションに辿り着けそうな流れが来ています。自分が必要とされる場所がある事を幸せに思います。
5月28日には一般社団法人CEPAジャパンを設立していました。COP10に向けて活動しCEPA決議を修正するという成果を収めた、生物多様性条約市民ネットワークの普及啓発作業部会、TEEB作業部会、開発作業部会の仲間が集まって、その成果である決議に基づき、日本の市民のフォーカルポイントを作ろうという事で立ち上げました。環境省や経団連自然保護協議会の方々との連携を密にして、国連生物多様性の10年を普及啓発の10年と捉えて、「愛知ターゲット」の達成に向けて推進するための組織です。
そして11月に入って、来年6月に開催される地球サミット2012(リオ+20)への国内からの提言に生物多様性の本質を踏まえた内容が希薄である事を懸念して、20年前にリオで生物多様性条約の設立に大きく関わった堂本暁子さんと相談し、多くの有識者の方々と「リオ+20と生物多様性実行委員会」を立ち上げる話となり、12月13日に議員会館で設立の記者会見を開催、そのファーストアクションとして、12月17日に開催された「国連生物多様性の10年国際キックオフイベント」において「リオ+20と生物多様性に関する石川宣言」を採択するという短期間の準備ながらハードネゴシエーションで敢行しました。今後は世界に向けて、この「石川宣言」とは「日本の市民社会が生物多様性は日本の精神であり、世界中の人間の暮らしの基盤そのものである」、という概念を伝えるものだという意図を理解してもった上で、これ以上、地球との新たな約束は必要なく、COP10で採決した「愛知ターゲット」を始めとしたすでにある「地球との約束」を果たして行く事などを、ゼロドラフトに対する提言として行っていきます。
12月16日のエコプロ展では、ジョグラフ生物多様性条約事務局長と環境コミュニケーションステージに登壇し、ジョグラフさんが世界中で推進する「グリーンウェイブ」は、日本では「木のある暮らしを再認識する機会」になる事を共有し、災害復興のプロジェクトでもグリーンウェイブを準備をしている事を多いに評価していただき、さらに12月18日には国際キックオフイベントが開催された石川県で、生物多様性条約事務局とIUCN日本委員会、CEPAジャパン、UNDB市民ネットは、国連生物多様性の10年の普及啓発を推進し、「愛知ターゲット」達成に向けて多様な地域の取組みを推進するという事で、覚書に調印しました。
来年はもう少し気持ちにゆとりを持たせて、こつこつ丁寧に何事にも配慮できる男にならねばと言うのが今年の反省です。しかしこれも性格、一朝一夕では修正できるものではないので、自己を律していく事で対処したいと思います。
今日の鵠沼海岸はとても穏やか。弱い南風、波も小さく、空いています。引地河口でお昼前に1時間ほど小さいけどカタチの良い波でロングライドして今年の乗り納めをしました。


鵠沼海岸